第3話 島津大河の宣伝効果

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第3話 島津大河の宣伝効果

ハンドルネーム「フウイ」 横浜市に住む壮年の男性である。 ハンドルネームの由来は彼の尊敬する歴史人物 馮 異(ふうい)からきている。 孫子が好きな地方役人でしたが、戦乱に巻き込まれて将軍になりました。 彼の変わったエピソードとしては将軍たちが手柄話を自慢しあっていたとき彼だけは大きな木の下で本を読んでその場をやり過ごしていたという話があります。 この話が日本人好みだったのでしょうか、室町時代に征夷大将軍のことを大樹将軍と異名がつけられたほどです。 フウイは祭り之介の島津誘致のアイデアを好ましく聞いていました。彼が南九州の片田舎である宮之城市を盛り上げるため努力していることを知っていたからです。 一方で孫子の愛好家である彼はこの話を情報戦と認識し、準備とその結果についてシビアに計算しようとしていました。この点では祭り之介よりもコモロウの消極的な考えに近いものがありました。2つの相反する考え方に揺り動かされながらこの時点では祭り之介の理想の実現に考えが傾きました。 決め手は都城の歴史と大河ドラマでした。 島津義弘の初めての結婚相手は都城を支配する北郷氏の一族であり一時的ではありますが親子の関係になっていました。また、関ケ原の前に都城で大きな反乱がおこりました。この2つの出来事だけでも都城がらみで2話は影響があると読んでいました。また、独眼竜政宗の大内定綱のような味方の脇役のような扱いとなれば5話分ぐらいの露出効果を見てもいいのではと考えていました。 フウイは歴史に詳しく、また都会育ちのため都城で意外というか不思議な感想を聞きました。それは篤姫が大河ドラマで放映された少しあとの「島津発祥祭り」という都城の祭りで城の番兵をしていた門番さんが篤姫放映当時は今の何倍も観光客が来て賑わっていた、と教えてくれました。 篤姫と都城のかかわりについてあまりないのではとフウイは考えていましたが現実の観光ではそのようなことに関係なく沢山の観光客で賑わっていたという事実がありました。 余談ですが、沖縄の首里城も名古屋城も大阪城も昔の建物とはだいぶつくりや色が違うそうですが歴史遺産として観光客が多く集まっています。 フウイは歴史遺産とは昔だけではなく今の人々が築くものだという将来につながる教訓をこの時得たのでした。 フウイがつぶやく「以上の結果100万円掛ける4(1分)掛ける40(分)掛ける5(話)で8億円の都城宣伝効果を期待していいのではと試算しました」 「かなりあまあまだけどまあ身内の話だし夢を語ってもいいのではないか」フウイはおおらかに内心を隠していました。 このつぶやきに対して祭り之介はつぶやいた。「すごい」彼は素直に感動した。 ですがコモロウは彼と違う反応を示した。どんな反応でしょうか。それは次の回で。
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