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 国内、某所にて。  そこは壁も、扉も、置いてある机も椅子も……。  何もかもが白く、どこか現実らしさを感じない部屋だ。  その中に、俺ともう一人。  部屋と同じ色の……、医者が着るような白衣を着た、全体的に痩せこけている中年男が居る。 「私はあなたの担当医となりました。柏崎三郎と言います」  男は淡々と自己紹介を始めた。 「はぁ……」  俺はため息混じりに彼の覇気の無い言葉を右耳から左耳へ流しつつ、男の顔を見る。 「えー、登録番号1240201……。山田……、太郎さんで間違いないですか?」  医者という社会的地位の高い職に就いているも関わらず、死んだ魚のような目からは自信や情熱を感じさせず、絶食しているのではないかと疑うくらい頬もこけてやつれていた。  だが、俺にとってそんな事はどうでもよかった。 「はい」  俺は、ため息をつきながら答えた。  きっと今の自分も、この医者と同じ顔をしているのだろうと思う。 「最終確認をしますので、こちらをどうぞ」  俺は中年男から受け取った書類を見る。  書類の表題は、堅苦しい字体で”自殺補助同意書”と記されており、死体の処分や責任の所在であろう事についてつらつらと書かれていた。  現在この国は、凶悪犯罪者の若年化が進んでいた。  将来に絶望した人々が、他の境遇が恵まれた人を襲う事件。  ネットで言われている”無敵の人によるの反乱”がここ数年で多発しているのだ。  この事態を重く見た国は、学校教育のカリキュラムで命の尊さを強く説いたり、老若男女問わず利用可能な相談窓口を設けたりした。  だが所詮は役所仕事だ、その程度で事件が減る程世の中は明るくはない。  国の対応も空しく、日に日に凶行は件数と苛烈さを増していった。  無実の一般人達は現状を酷く嘆き、また見識者の一部はこの状況の打開は不可能と見なし、弱者救済不要論や優生学を唱えだした。  そんな時、国は新たな制度を作った。  それは、”未来に絶望し生きる気力を無くなった者の、命を絶つ手伝い”をする事。  合法的な死に場所の提供、すなわち安楽死制度だった。  俺は全てが最悪だ。  頭も悪い、要領も悪い、見た目も悪い。  異性どころか、同じ人間にすら好かれない、家族にすら愛された事がない。  毎日家の中で引きこもっていて、居場所も未来も無い。  そんな俺なんか、生きていても意味が無い。  だから俺はこの制度を知ると、ネットで応募し見事に受かり、今に至るというわけだ。 「書類の署名欄に記入が終わりましたら、指紋と髪の毛と血液を採取します」  俺は何の迷いも淀みもなく、特に中身を読むこともなく”自殺補助同意書”へサインを済ませ、医者の言うとおりに自身の証明を済ませていく。  そして、大した間をおかずに今居る部屋の入り口とは逆の壁にある扉が開いた。 「本人確認が終わりましたので、この奥へお進み下さい」  生体認証ってこんなに早く終わるのかと、ほんの一瞬感心しながらも俺は、医者に対して何も返事をしないまま奥の部屋へと入っていく。  扉の先。  そこには同じ色の部屋の中に、人が一人入れる程度の大きさの、流線型のカプセルが一つ置いてあるだけだった。  俺がそれに出会うのは初めてだったが、それがどういう物かを理解すると、中年男の指示を待たずにその中へと入っていく。 「ポットの中にスイッチがあります。もしも気持ちが変わった場合はそちらを押せば執行は中止となります」  ふと手元にある赤色のスイッチを見た。  きっと死ぬのが怖くなって、生きたいと思ったらこれを押せば中断されるんだろう。 「ですが、一度中止になれば二度とこの制度を受ける事が出来ません。よろしいでしょうか?」 「……はい」  だが、俺は押さない。  俺なんて、生きている意味が無い。  もうこんな世界に何の未練も無い。 「それでは開始します」  このまま生き続けても、待っているのは惨めな生活と死だけだ。  だからもう、だから……。  あれ、何で泣いてるんだ俺……。  涙を拭おうとした時、カプセルの蓋が閉まる。  間を置かずして、強烈な眠気に襲われる。  このままこの眠気に委ねて意識を失えば、二度と目を覚まさないんだろうな。  死に際は、今までの記憶が走馬灯のようにぐるぐると頭の中を巡るというが、奇妙に冷静なのは気のせいか?  まあ、もうどうでもいいや。  全てを諦めて現状を受け入れると、俺の意識は消えた。  これで楽になれる、これでもう……。
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