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第41話 過去を知る者①
深雪は暗い夜の廃墟を、わき目も振らず走り続けた。
崩れかかった廃ビルばかりの街は、日をまたぐ頃合いに足を踏み入れるには、少々勇気がいる。地上を照らしていた満月も、今は雲の中にあると見え、ただ漆黒の闇が広がるばかりだ。遠くに繁華街の明かりが見えるものの、周囲にひと気は無い。
もっとも他者を巻き込む心配が無いので、深雪としてはむしろ好都合だったが。
その時、背後に凄まじい冷気を感じ取り、深雪はその場を飛び退った。
「くっ………!」
直後、何かが凝縮し、固まるような金属質の鋭い音が響き、深雪は走る勢いそのままに地面を回転する。
すぐさま起き上がって数秒前まで踏みしめていた場所に目を向けると、すべてが凍りついていた。割れたアスファルトや錆びついた道路標識、崩れかけたビルの壁にいたるまで、ぶ厚い氷の塊が覆い尽くしている。
もし、これが直撃していたら。永久凍土から発見されたマンモスよろしく、きれいに氷漬けになっていただろう。深雪の背中を冷たいものが走る。
だが、ゆっくり立ち止まっている暇などない。背後からゆっくりと砂利を踏みしめる音が聞こえてきて、深雪は思わず振り返った。
「よう、どこまで行きゃいいんだ? 場所はとっくに変わってると思うがな」
「……‼」
坂本の声は不気味なほど落ち着いており、どこか余裕すら感じられるほどだ。
「もったいぶんなよ。さっさと殺し合おうぜ」
「殺し……合う……? なに言って……!」
意味がわからず眉をひそめる深雪を、坂本は「はっ!」と一笑に付した。
「おいおい、カマトトぶるなよ! お前の仲間も、みんなやってることじゃねえか。今頃、猟奇殺人を起こした連中はひとり残らず狩られているだろう。これが殺し合いじゃなくて何だってんだ?」
「俺は……そんなことしない!」
「……何だと?」
「俺はゴーストだからって、そんな簡単に殺し合いなんてしない! ゴーストもアニムスも、そんなことのためにあるんじゃないだろ!!」
今は絶望的な状況でも、いつかきっと変えられる――そう信じたい。
ところが坂本は心底あきれたように目を見開くと、何がおかしいのか大声で笑い出したのだった。
「くくくく………ははははははははははは‼ 何だって? こりゃ、傑作だ‼」
「な……なにが可笑しいんだよ!?」
「気になるか?……教えてやるよ‼」
坂本はそう言い放つと、ひと息に間合いを詰めてきた。坂本の右手――機械電動式義手(マニピュレーター)が深雪を狙う。よく見ると義手の先端は銛(モリ)のような形になっていて、坂本の動きに合わせてギラリと禍々しい光を放つ。
深雪はぎりぎりで避けたものの、義手の鋭い爪先がパーカーのフードを捕らえる。坂本はすかさず義手とは反対の手で《ヴァイス・ブリザード》を発動させた。
「くっ……!」
「フン‼」
深雪はぎりぎりまで首を捻って直撃を避けるが、《ヴァイス・ブリザード》の風圧をまともに食らってしまう。深雪の体は後方に吹き飛ばされ、ビルの壁に容赦なく叩きつけられる。
「ぐっ……う……‼」
背中を派手に打ちつけたものの、咄嗟に頭をかばったおかげで、意識は失わずに済んだ。《ヴァイス・ブリザード》による凍傷も覚悟していたが、どうにか無事のようだ。
深雪が体を起こすのを待ち構えていたように、坂本がゆっくり歩いてくるのが見えた。その口元には酷薄な笑みが浮かんでいる。
「やはりな……その双頭の蛇――《ウロボロス》だろう」
深雪は、はっとして己の姿を確認すると、先ほどの攻撃でパーカーとその下に着ていたTシャツの肩口がボロボロになっていた。
その隙間から覗くのは、二匹の蛇が互いに絡みあい、喰らいあっているエンブレム。背中に刻まれた《ウロボロス》の刺青が、衣服の間からあらわになっていたのだ。
「……ッ‼」
深雪は無意識のうちに左肩を隠していた。自分以外の人間に《ウロボロス》の刻印を見られることに、ひどく抵抗があった。知られたくない過去の過ちを、露見させてしまうよな気がしたのだ。
坂本は侮蔑を含んだ視線で、その刺青を冷ややかに見つめている。
「俺が《ディアブロ》を立ちあげる時、当時世話になってた人から言われたことがある。蛇のエンブレムは縁起が悪いからやめとけってな。昔、双頭の蛇のエンブレムで身内同士殺し合ったチームがある――そいつらの名は《ウロボロス》。上の世代にゃ有名な話らしいな。まさかその生き残りと、こうやって相まみえる事になるとは思わなかったぜ」
「ど……どこでそれを……!?」
「情報屋ってのはこういう時に使うんだよ。《ウロボロス》のメンバーは、みんな死んだってことになってるが、噂じゃ生き残った奴がいるって話もあった。そいつが最近、《東京》にあらわれたって話もな。お前、すでに一部じゃ有名人だぜ?」
「情報屋……? まさかエニグマか!?」
「さあてな。お前にゃ関係ねーだろ。それより、そっちこそどうなんだ、雨宮深雪? お前はあの《ウロボロス》の生き残り――大量殺戮者なんじゃねーのか!?」
「ち…違う! 俺は……‼」
己の過去を突きつけられ、わずかに言い淀んだ深雪は、それでも毅然として顔を上げる。
「俺はただ、みんなを止めたかっただけだ!」
あのまま抗争を激化させるわけにはいかなかった。憎しみにかられ、復讐を連鎖させてはならないと思った。何よりも大切な仲間だから、どこで何をしようが知ったことではないと、見て見ぬ振りはできなかったのだ。
欺瞞だと罵られても仕方ないが、それでも深雪は最後まで《ウロボロス》のメンバーのことを大切な仲間だと思っていた。説得が難しいのは分かっていたし、走り出した車輪がいずれ脱線するのも分かっていた。だからと言って、自分だけ無関係を貫くことなどできなかった。
それを聞いた坂本の殺気が膨れ上がったかと思うと、氷のように鋭く研ぎ澄まされてゆく。
「何を止めるってんだ、おい? 笑わせるなよ。殺し合いはお前の十八番(おはこ)じゃねえかよ‼」
坂本を中心とした空間が甲高い音を立てて凍りつくと、巨大な氷の結晶が宙に浮かび、一斉に深雪へと襲いかかる。
深雪はとっさに氷柱を避けるものの、坂本は続けざまに《ヴァイス・ブリザード》を放ってくる。逃げる深雪の動きに合わせて、地面のアスファルトが次々と氷漬けになっていく。
「……くそっ!」
坂本の執拗なまでの追撃に、深雪は気づけばパーカーのポケットに手を伸ばしていた。その中には鮮やかな羽根のビー玉が数個、まだ残っている。
(やるしかないのか……!?)
しかし、いざとなると躊躇してしまう。坂本の異様な殺気を見れば、退く気が無いのはあきらかだ。やすい挑発に迂闊に乗ってしまえば、本当に殺し合いになってしまう。それこそ坂本の思うツボだ。
だが、坂本から永遠に逃げ続けるわけにもいかない。深雪の体力、集中力にも限界はある。《ヴァイス・ブリザード》の直撃こそ免れているものの、冷気をかすめた肌が凍傷のように腫れて、ひりひりと痛む。
(このままじゃ……ヤバい……!)
逃げ回る深雪に業を煮やしたのだろう。坂本は冷気をまとった拳を振り回しながら、挑発的に口元を歪めた。
「ちょこまか逃げ回ってんじゃねーよ! お前がやらねえってんなら、かわりに犬耳の女を殺ったっていいんだぜ!?」
「……‼」
シロのことを言っているのか――そう気づいた時には体が勝手に動いていた。
素早くパーカーのポケットに手を突っ込むと、二個のビー玉を地面へと放つ。ビー玉が坂本の足元へと転がったタイミングで、最大威力の《ランドマイン》を発動させた。
「‼ ちぃっ……!」
今度は坂本が真横に飛び退く番だった。禿頭の巨躯が地を蹴ると同時に、ビー玉がたて続けに破裂していく。
パアンと、爆竹にも似た鋭い音が連続で空を打った。二メートルもの粉塵が舞い上がり、周囲の崩れかけたビルが細かく振動する。直径一センチの小さなガラス玉が爆発したとは思えないほどの威力だ。
坂本は舌打ちをして爆発をやり過ごすと、即座に態勢を整えてみせる。そして深雪の姿を認めると、どこか満足そうに頬を緩めた。
「ふん……ようやくやる気になったか?」
視線の先にある深雪は、雰囲気が一変していた。先ほどの気弱な少年の面影は、どこにもない。坂本をじろりと見据えたまま、低い声で囁く。
「シロには手を出すな……!」
「嫌なら俺を殺すしかないな。お前が死ねば、どのみちあの女も殺す。俺が死ねば、お前らは助かる。二つにひとつだ」
「どうして、そういう考え方しかできないんだ‼」
苛立ちと怒りをまとめて吐き出す深雪に、坂本は野犬のように歯を剥き出すと、呻り声を発した。
「……お前のその偽善者くさい態度がムカつくんだよ! 自分は被害者です、みたいなツラしやがって‼」
深雪は一瞬、その激しすぎる怒りに戸惑う。坂本が何故それほどまで深雪に憎しみをぶつけてくるのかは分からないが、シロに危害を加えさせるわけにはいかない。
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