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第43話 過去を知る者③
電撃のような怒りが深雪の全身を貫いた。頭の芯がびりびりと痺れ、体が激しい熱を帯びる。
一瞬でもこんな奴の主張を正しいかもしれないと思った自分に、虫酸が走った。自分の弱みをうまく突かれたのだと思うと、よけいに腹が立つ。
このまま坂本を放置してはおけば、いくらでも悪事を重ねるだろう。そのたびにあれが悪い、これが悪いと言いワケを重ね、決して己の罪を顧(かえり)みることはない。そして生きている限り――力がある限り、改心することは無いのだ。
シロや自分のためだけではない。こんな悪党を我がもの顔でのさばらせてはいけない。坂本が愉悦に頬を歪ませるたびに、誰かが苦しみ、涙を落とす。坂本自身は、それを一顧(いっこ)だにしないのだ。
坂本に力がある限り、惨劇を根絶やしにすることはできないだろう。
激しい怒りとともに全身に燃えたぎった血潮が駆けめぐり、右の手の平がおびただしい熱を帯びはじめる。それは人の体温を超えてもなお、とめどなく上昇し続ける。
「だったら……ゴーストじゃなくなったら、殺人をやめるのか?」
体の発する熱量とは真逆に、自分でも背筋がぞっとするほどの冷淡な声音だった。
「あん……?」
ただならぬ深雪の変化を察したのだろう。怪訝そうに眉根をよせる坂本に、再び問いかける。
「人間になったら、真っ当な人生に戻るのか」
「はっ……なに言ってんだてめえ? ゴーストが人間に戻るワケ……」
「……戻るんだよ」
死神が振り下ろす鎌のように絶対的な宣告に、わずかに怯んだ坂本は、それを誤魔化そうと嘲りを浮かべる。
「は? おい、どうした? 恐怖で頭がいかれたか?」
「お前はゴーストになるべきじゃなかった。力を得てはいけなかったんだ!」
言葉は叫びとなって、喉の奥からほとばしった。
間髪置かず、右手の熱が頂点に達したように爆発を起こした。手の平から腕を伝い、肩まで伸びる赤い亀裂にそって、まばゆいばかりの白光が奔る。
すさまじい熱を帯びた白い光の本流は、深雪の肩甲骨のあたりで大きく膨らむと、光の粒子を放ちながら、天に向かって大きく広がってゆく。
それはまるで、若鳥が大空へ飛び立たんと翼を広げたようでもあった。放射状に広がる純白の光は、どこか神々しささえ感じさせる。
ドウドウと、耳の奥で低い地鳴りが響く。それが心臓の鼓動だと気づくのに、時間はかからなかった。全身が火を噴いたように熱い。体がはじけそうなほどのエネルギーが、心臓から毛細血管に至るまで、あますところなく全身を駆けめぐる。
少しでも気を抜けば飛んでいきそうな意識を、深雪はぎりぎりの状態で保っていた。鮮烈な白光を放ちつづける右腕をコントロールしようと、何とか理性を繋ぎ止める。
それでも、この力がはじめて顕在化(けんざいか)した時にくらべると幾分、冷静だった。深雪は両眼を大きく見開くと、マグマのように赤い光を放つ瞳を坂本へ向けた。
「な……んだ、こりゃ……!?」
深雪の変容を目の当たりにした坂本は、ごくりと喉を鳴らして後ずさった。凶悪な目元は驚愕に見開かれたまま、何が起こっているのか理解できず、軽いパニックを起こしているのだろう。
そんな坂本を深雪は冷めた感情で眺めていた。体には蒸発しそうなほどの熱量が、波となって押し寄せているのに、頭の芯は流氷の塊でも入れたようにひどく冷め切っている。
深雪が右足を一歩踏み出すと、坂本は本能的に恐怖を感じたのか、顔を引きつらせて後ずさる。また一歩、左足を踏み込むと、坂本も後退する。
あれほど攻撃性に満ちた言動を繰り返していた坂本は、今や完全に逃げ腰だった。深雪の発する得体のしれない『力』を前にすっかり萎縮してしまい、恐れているのだと自覚する余裕すらないようだ。
「お前には、そのアニムスは過ぎた代物だ。だから……俺がお前を人間に戻す!」
深雪の発した言葉に、坂本はようやくはっと我を取り戻す。こいつだけには負けたくないと、プライドだけで自我を取り戻した――そんな様子だ。
「人間に戻す……だあ!? 舐めやがって何様だ、てめえ!?」
坂本の表情は相変わらず強張ったままだったが、それでも深雪に負けたくない一心なのだろう。どすの効いた唸り声をあげ、精一杯の虚勢を張ってみせる。
「何様もなにも、言葉通りの意味だ。……来いよ。俺をぶっ殺すんだろ。やってみろよ」
あからさまな安い挑発だが、混乱の只中にある坂本には効果てきめんだった。鬼のような形相を浮かべて剣呑な殺気を放つものの、さすがに感情任せに殴りかかっては来ない。
深雪の右腕を流れ、肩のあたりから放射状翼に広がる光の奔流は、いまやはっきりと翼の輪郭を形取っている。
すでに月が傾き、廃墟の街はますます深い闇の中にのみ込まれてゆくが、深雪の周囲だけは昼間のように明るい。
「う……この……!」
さすがの坂本も、得体の知れない『力』を警戒するだけの理性は残っているのだろう。深雪に飛びかかってズタズタに引き裂いてやりたいが、何も分からぬまま下手に手出しできない。坂本が歯噛みをして悔しがっているのが分かった。
顔を渋面に歪ませつつも、決して近づこうとはしない坂本に、深雪はどこか高いところから見下ろすような心境で静かに告げた。
「来いよ。それとも……俺が怖いのか?」
「何だとっ!?」
さらなる挑発に、禿頭のこめかみにビキッとひびが入る。
短気でプライドの高い坂本のことだ。怒りの沸点は、恐ろしく低い。どれだけ安っぽい挑発であろうと、それを聞き流すような耐性は備わっていなかった。
機械化した右腕を振り上げると、感情のまま猛然と突っ込んでくる。
「吠えてんじゃねーぞ、このクソ野郎がぁぁぁぁぁ‼」
鋭利な金属の手甲が、舌なめずりをするかのようにぎらりと狂暴な光を放ち、深雪へと襲いかかってくる。一歩踏み出せば恐怖はどこかに行ってしまったらしく、坂本の顔は凶気に染まっていた。
しかし、禍々しいほどの殺気を真正面から受けても、深雪は何も感じなかった。自分でも不思議に思うほど冷静で、これからどうすべきなのか、手に取るように分かった。
「クソ野郎はお互い様だろ」
深雪はそう吐き捨てると、右手を突き出すように構えた。
坂本の機械化した右手と、深雪の光の翼を帯びた右手が交差し、ぶつかり合う。その刹那、触れ合った部分からすさまじい火の粉が吹き上がった。
深雪の放つ熱に耐えきれなくなった坂本の義手が、一瞬にして融解し、ぐしゃっと崩壊した。外側の金属装甲が剥がれ、内部のフレームや機械部品があらわになる。
「な、何!?」
坂本はぎょっとし、瞠目(どうもく)した。しかし、一度ついた勢いは簡単には削がれない。
「これで正真正銘、最後だ‼」
深雪は叫ぶと、義手を破壊してもなお苛烈な光を放つ右の手の平を、そのまま坂本の顔面に叩きつけた。
右腕を這いまわる白光がひときわ大きくうねりを上げたかと思うと、坂本の顔、首筋や胸、胴体を侵食しながら、坂本の中から『何か』を吸い上げてゆく。
まるで坂本の中に溜まった毒気を浄化するかのように、光の翼から空中に放出される光が細かい粒子となり、砂金のように儚く輝いている。
「あ……うあ……ああああああああああああああああああ!?」
坂本は悲鳴じみた絶叫を上げた。深雪の腕を払うこともなければ、逃れる素振りすらない。荒れ狂うエネルギーに抵抗もできず、ただただ翻弄(ほんろう)されている。
やがて光の粒子が放出されつくすと、白い光の翼は、ガラスの砕け散るような乾いた音を立てて、役目を終えたとばかりに空中に霧散する。深雪の右腕も同時に輝きを失い、再び濃い夜の闇が戻ってくる。
坂本は力つきたのか、ガクッとその場に膝を折る。禍々しいほどの殺気に満ちていた顔は、憑きものが落ちたかのように弛緩し、すっかり呆けていた。
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