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第1話 《タイタン》
(ああ……早く終わんないかな……)
つい、そんな不謹慎なことを考えてしまい、深雪は軽く自己嫌悪に陥った。
何年も前に打ち捨てられた、廃墟と化したビルの内部。当時は技術の粋を尽くして建設されただろう建物は、鉄筋はすっかり変色し、天井にはひびが入り、今にも崩落しそうだ。電気系統もショートしているのか、昼間だというのに黄昏時のように薄暗い。
そんな中、深雪は崩れかけた壁に身を寄せ、その向こう側の気配を探っていた。視界が悪く、姿は確認できないものの、すぐに十代から二十代の若者たちの息まく声が聞こえてきた。
「くそっ、《死刑執行人》め! 来るなら来やがれってんだ‼」
「返り討ちにしてやる!」
(……無駄な抵抗なんてせずに、さっさと投降してくれればいいのに)
深雪は切に願ったが、逆上した彼らは決して投降という選択はしないだろう。少年たちは《死刑執行人》である深雪たちを内心では恐れている。捕えられたら命はないと思っているのだ。故に気迫も凄まじく、まさに死に物狂いなのだった。
少年たちが投降する可能性は、限りなくゼロに近い。最後まで抵抗を貫き、隙あらば逃げ出そうとするだろう。とどのつまり、やるしかない。その事実が、深雪に重いため息をつかせていた。
(俺は……ゴーストとは戦いたくないのに……)
東雲探偵事務所に、《タイタン》という名のゴーストギャングを制圧するよう依頼が来たのは、一週間前のことだ。
《タイタン》はここ最近、急激に勢力を伸ばしてきたチームで、他のチームともたびたび衝突を起こし、問題視されていた。それだけならまだいいが、調べていくうちに、さらに厄介なことが判明した。
彼らは薬物の密売に手を出していたのだ。
《Heaven》と呼ばれる薬物は、ゴーストのみ効果のある特殊な成分を含んでおり、アニムス値の低いゴーストが摂取すると、実力以上の力を引き出すことができるという。その為、ゴーストギャングの間では目を見張るような高値で取引されていた。新興チームである《タイタン》が急激に勢力を拡大できたのも、その辺にカラクリがあるらしい。
深雪は不動王奈落、オリヴィエ=ノアの両名と共に、《タイタン》のメンバーを制圧する任務に駆り出されていた。
しかし、勢いづいている《タイタン》がそう簡単に投降するはずもなく、根城である廃ビルに立てこもり、抵抗をはじめた。深雪たちは《タイタン》の頭の身柄を押さえるため、ビル内部へと潜入し、こうして応戦しているというわけだ。
深雪たちは三方に分かれて攻め込んでいるため、奈落とオリヴィエの姿は見えないが、深雪と同じように気配を伺いながら頭の居場所を探っているはずだ。
ビルのフロアには、すでに拘束された少年たちの姿もある。だが、手下たちばかり捕まえても意味はない。末端のメンバーが《Heaven》に関する情報を持っているとは限らないからだ。薬物の密売ルートや製造工場の場所を引き摺りだすには、詳細な情報を持っているに違いない、頭の身柄拘束が絶対条件だった。
その為にも、決して気の抜けない任務だったのだが。
(同じだ……こいつらは俺達と《ウロボロス》と同じ……)
深雪の目には、《タイタン》とかつての仲間の姿が重なって見えた。仲間意識や結束力の強さ、それと比例するかのような攻撃性と排他性。彼らの年齢が自分に近いこともあって、余計にそう思えてしまう。《タイタン》のメンバーが必死になって籠城し、抵抗する気持ちも痛いほどよく分かった。
《ウロボロス》も同じ境遇にあったなら、やはり全力で抵抗しただろうと思うからだ。
(確かにクスリに手を出すのはまずいと思うけど……)
そんな《ウロボロス》に対する感傷と《タイタン》に対する親近感が、深雪の集中力を削ぎ、判断を鈍らせていたのかもしれない。気がつくと、《タイタン》のメンバーが深雪の背後へと回り込んでいた。
「へっ……ここは俺らの城なんだ!」
「お前らに気づかれずに移動するルートなんて、いくらでもあるんだよ!!」
深雪に襲い掛かってきたのは二人の男女だった。金髪の男は肉体強化のアニムスを持っているらしく、怪物のような強大な体躯をしており、もう一人は肉体強化のアニムスで俊敏性をいちじるしく上げた少女だった。
ビル内部の構造はそれほど複雑ではないが、ダウトの排気口などを含めると移動ルートは存外に多いのだろう。完全に隙を突かれてしまった。
奇襲を受けた深雪だが、慌てることなく彼らと冷静に距離を取る。そして羽織っていたコートのポケットに手を突っ込むと、すぐにガラス玉の冷たい感触が指先に伝わってきた。深雪は迷わずビー玉を掴むと、振り向きざまに金髪の男に放った。《ランドマイン》を発動させるために。
《ランドマイン》――地雷を意味する通り、爆発の効果を持つアニムスだ。触れた物質を好きなタイミングで爆発させることが出来る。
「うらああっ‼」
金髪の男が腕を振り上げると、肩が小山のように盛り上がり、その拳を重力に任せて思いきり振り下ろした。
男の拳が完全に振り下ろされる寸前、深雪は先ほど放ったビー玉を破裂させた。宙に放たれたビー玉は、《ランドマイン》によってパアン、と甲高い音を立てて爆発する。
媒体がビー玉ということもあって、さほど大きな爆発ではなかったが、男の重たい拳を弾くのには十分だった。
「……なあっ⁉」
爆発の反動で、男の巨体が大きく仰け反る。筋肉ダルマと化している男の体は、かなりの重量があるのだろう。一度バランスを崩してしまうと、すぐには体勢を整えられないらしく、尻餅をつき、わたわたと上半身を動かしている。
見たところ金髪の男にひどい怪我はないらしく、深雪はほっと胸をなでおろす。自分が攻撃されるのはゴメンだが、かといって相手に重症を負わせるのも本意ではない。
しかし、悠長にしている暇はなかった。間髪入れず、もう一人の《タイタン》――アニムスで俊敏性を高めた少女が、小振りなバタフライナイフを振りかざしてきたのだ。深雪は身を捩って攻撃をかわすと、後退して再び彼らと距離をとる。
「きゃはっ! 遅い、遅~い!」
少女は甲高い声を上げ、手の内でくるりとナイフを構え直すと、あどけなさの残る顔に狂喜の笑みを浮かべた。深雪は、ぎょっとする。彼女は明らかに正気ではない。おそらく《Heaven》を打っているのだろう。
その少女を、金髪の男が慌てた様子で嗜めた。
「おい、マユ。あんま調子乗んなよ」
「何でよ、こいつら大したことないじゃん!」
「いや……変だぞ。さっきから俺たち、こいつらにかすり傷ひとつ負わせてねえ……!」
金髪の男は少女よりも年上で、二十歳前半といったところだろう。そのせいか、幾分か冷静に状況を捉えているようだった。
金髪の男の言った通り、捕獲が望ましいことから、深雪やオリヴィエは防御に徹して戦っていた。奈落も今のところは積極的に攻撃には回っていない。《タイタン》のメンバーは果敢に攻撃を繰り出しているが、深雪たちはそのほとんどをかわしている。
(傷つけたくないなら……無傷で捕獲するなら、気絶させるのが最善だ)
《ランドマイン》は一歩間違えれば相手を爆死させかねない、攻撃性の強いアニムスだが、深雪はその扱いにかけては自信があった。《ウロボロス》にいた頃は、この力で何度も窮地を切り抜けてきた。罠に陥れようとする輩や危害を加えようとする敵チームを排除し、大切な人々を守ってきた。
ただ、全てを破壊し、狂わせたのもまた、この力だったが。
ともかく、任務の上でも相手の無力化は必須だ。いつまでも攻撃を防ぎ切れるものではないし、相手が深雪たちの狙いに気づいてしまったのなら、余計にだ。
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