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深雪は大きく息を吐きだすと、初めて自分から動いた。ぐっと地を蹴ると金髪の男に向かって踏み込むと、肉薄する。
「こいつ……‼」
深雪を狙い、金髪の拳が空を裂く。轟、とすさまじい音がするが、動き自体は単調だ。男の肉体は筋肉がつきすぎ、複雑な動きが出来ないのだ。
深雪は男の拳を難なくかわすと、指先でビー玉を宙に弾く。小さなガラス玉は美しく弧を描くと、金髪の男の側頭部ぎりぎりに命中した。深雪はその瞬間に《ランドマイン》を発動させる。
すると、パンと先ほどより小さな破裂音がし、ビー玉は砕け散った。
たったそれだけだったが、金髪の男を気絶させるには十分だった。金髪の頭部は軽々と吹き飛ばされ、背後にあったコンクリの壁に激突した。ズンと、肉のぶつかる嫌な音がする。
「があっ‼」
「ジュン⁉」
轟音と埃を巻き上げて、壁のコンクリが男の体ごとその場に崩れ落ちた。深雪の《ランドマイン》の破壊力せいというより、金髪の体の重量によって壁が耐え切れず、崩落したのだろう。金髪の男は頭をしたたかに壁に打ち付け、その衝撃で完全に気を失っている。
「ジュン! しっかりしてよ、ジュン‼」
少女の悲鳴が響き渡る。その中で深雪は淡々とつぶやいた。
「やっぱり……《Heaven》で筋肉増強はできたとしても、脳や神経は強化できないんだ」
深雪が起こしたのはごく小さな爆発だったが、それでも耳元で衝撃を受けたなら、意識を保つのは難しい。どれだけ肉体を強化しても、聴覚を強化することはできない。現に金髪の男は一撃で気を失ってしまった。
逆に言うと、《Heaven》は気分を高揚させ、自分は強くなった、何でもできると錯覚させる効果はあるものの、肉体構造そのものを強化できるわけではないのだろう。
「あ……あんた……!」
マユと呼ばれていた少女は、唇を嚙みしめ深雪を睨みつける。
まだ抵抗するつもりか――深雪はポケットに手を突っ込んでビー玉を握りしめ、わずかに身構えたものの、彼女はこちらに刃向かってくる気は無いようで、顔はすっかり蒼白になり、足は小刻みに震えている。もしかすると、クスリの効き目が切れたのかもしれない。
深雪は気絶した青年と、うずくまっている少女の両腕に、黒い金属でできた大型の手錠をかけた。囚人護送船で《東京》に収監される時にゴーストが嵌められる手錠と同じもので、無理に外したり破壊したりしようとすると、数千ワットの電流が流れる仕組みも健在だ。
《タイタン》のメンバーたちも手錠の効果を知っているのか、それ以上の抵抗を見せることはなかった。
「これで二人……か」
深雪はひとつ息をつくと、改めて周囲を見回す。崩れかけた壁の向こうに目をやると、オリヴィエの姿が見えた。
オリヴィエはすでに五人の少年を捕獲しており、彼のアニムス――《スティグマ》を発動させて、己の血をロープのように操り、少年たちをがん字がらめにしている。《タイタン》の少年たちは大した抵抗も出来ずに、がっくりとうな垂れていた。
オリヴィエのアニムスはこういった作戦に向いているのだろう、実際、手際もいい。暴徒を捕縛するのに慣れているのか、動揺した素振りもなく、次々と《タイタン》のメンバーを制圧していく。
一方の奈落はと目を転ずると、彼は三人の《タイタン》のメンバーを相手にしていた。金髪の男と同じように、筋肉を増強した少年が一人。体の皮膚が爬虫類のような鱗で覆われた、ドレッドヘアの男が一人。もう一人は二の腕の先が金属の刃物になっている少女だった。
「いゃっはああぁぁ‼」
筋肉を強化した男が豪風を巻き上げつつ、岩のような拳をふり振り下ろす。その体は異常なまでに巨大化し、背の高い奈落が見上げるほどだった。しかし奈落は、表情も変えずにその拳を避けると、ついでのように男の膝をハンドガンで打ち抜く。
「うぐっ……お………!」
男は堪らず片膝をついた。山のような巨体がぐらりと傾いだ瞬間、奈落はすかさず手に持っていた銃のグリップで男のこめかみを殴打する。すると、男はもんどりうって、その場に倒れた。ズシン、と岩が崩れるような重低音がビルの内部に響き渡る。
男はそのまま地に伏せると、ピクリとも動かなくなってしまった。
(……随分と、手慣れてるんだな)
深雪は奈落の鮮やかな身のこなしを目の当たりにし、冷やりとしながら思った。オリヴィエとはまた違った意味で、奈落の動きや判断には無駄が無い。《タイタン》たちの攻撃に的確に対処している。奈落にとって、ゴーストギャングの制圧など朝飯前なのだろう。ゴースト殺し専門の傭兵だったという話も、決して伊達ではなさそうだった。
しかし、百戦錬磨の奈落とは違い、《タイタン》のメンバーはこういう事態には慣れていない。ゴーストであるという点を除けば、ちょっとやさぐれた普通の少年少女なのだ。彼らは仲間の一人が奈落によって倒されるのを見せつけられ、かなり動揺したようだった。
「リョウ! てめえ……死ね‼」
少女は悲鳴交じりの甲高い声を上げると、独楽のように旋回しながら、腕の先が金属と化した刃を奈落へと向ける。しかし、その刃先が対象を捉えることはなかった。奈落は横に一回転して難なく攻撃を避けてしまったのだ。かわりに、傍にあった鉄筋コンクリートの柱が無惨にも少女の刃に切り刻まれる。
「くそ……逃げんな‼」
少女は身を翻すと、再び奈落へ突進していく。
奈落はあらかじめ仕込んでいたのだろう。コートの裾からピアノ線のような細いワイヤーを抜き取ると、少女に向かって投擲した。先端に分銅のような重りがついたワイヤーは、かなりの長さがあるらしく、一直線に飛んでいくと少女の足首に数回転して捲きついた。それを確認した奈落は、ワイヤーを容赦なく引っ張る。
「ギャッ‼」
少女はワイヤーに足を取られ、地面にしたかに体を打ち付けるが、奈落はそのまま淡々とワイヤーを手繰り続ける。
抵抗も虚しく、少女の体はズルズルと奈落のほうに引き摺られていく。少女はワイヤーを外そうともがくが、ワイヤーは特殊な素材加工を施したタングステンで、いくら刃を立てても一向に斬ることが出来ない。おまけに少女は両手とも刃物化しているため、指先でワイヤーを解いて取り外すといった器用なことも出来ない。
「な、何よこれ! 外れない……⁉」
顔が恐怖で引きつる少女を、奈落は紅い隻眼で見下ろすと、無言で黒い手袋を嵌めた右手を宙に掲げた。その手にはいつの間にか、刃渡り十五センチ以上もある大振りのアーミーナイフが握られていた。
「い、いや……来ないで………! ゆ、許して、お願い………‼」
少女は見るからに恐ろしげなアーミーナイフを目にして、すっかり戦闘意欲を無くしてしまったのだろう。目に涙を溜めながら後ずさろうとするが、奈落は決してワイヤーから手を離そうとしない。
「随分とご都合主義だな。他人には刃を突きつけておいて、自分は命乞いか」
まるで地獄の底から響いてくるかのような低い声音には、何の感情も含んでおらず、かえって恐怖を誘う。
「ヒッ………! た、助けて! 誰か助けてぇぇぇ‼」
少女はとっさに両手で頭を庇うと、大声で泣き叫んだ。いくらなんでもやり過ぎだ――そう思った深雪は慌てて二人の元に駆け寄ると、ナイフを振り下ろそうとしていた奈落の腕を横から掴んだ。
「な……何やってんだよ!」
しかし、奈落は冷ややかな視線で深雪を一瞥した。
「……手を離せ」
「離すわけないだろ! 何考えてんだよ⁉ 相手はまだ子供だし、女の子だろ⁉」
すると赤みがかった奈落の瞳に、侮蔑の色が浮かんだ。
「だったら何だ? 女で子供だったら害が無いと言い切れるのか。……くだらねえ、ゴースト相手にそんな理論が通用するとでも思っているのか」
「あんたは何も分かってない! こいつらは街をひとつ軽々と滅ぼすような凶悪なゴースト犯とは違う! そういう風に攻撃するから……追い詰めるから、頑なになるんだ‼」
彼らが薬物の密売という、看過できない悪事に手を染めたのは事実だが、深雪には《タイタン》の少年たちが、強引に排除するほど凶悪な存在だとは思えなかった。奈落の対処は明らかに度を越している。
「そこをどけ、クソガキ」
奈落の言葉に殺気が籠る。
「……!」
あまりにも鋭い気迫に、深雪は背中が粟立つのを感じた。しかし、奈落の凶行を認めるわけにはいかない。《タイタン》が若者ばかりのチームだということもあるが、強引な手段でなくとも捕縛は可能だと思うからだ。
「……過度の暴力は控えるべきだと、俺は思う。《死刑執行人》がこの街で大きな影響力を持つというなら、なおさらだろ!」
深雪は何とか踏みとどまると、奈落の前に立ちはだかった。
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