第3話 孤児院

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「ここが……教会、だよな……?」  深雪がたどり着いたのは、古い民家やアパートが倒壊することなく残っている区画だった。ここで生活している者も多いらしく、軒先には布団や洗濯物が干してある。《監獄都市》の中では珍しく、生活感の強く残っている地域だ。  オリヴィエに教えられた道を進むと、やがて屋根に十字架をいただいたレンガの建物が見えてきた。絵本に出てくるような、小さいけれど(おごそ)かな雰囲気の教会だ。  教会が物珍しくて、ついきょろきょろと見回していると、深雪はふと、教会の向こうにあるものに気づいた。 「あれ……もしかして《関東大外殻》か」   教会のずっと奥に、長大な壁が延々と横たわっているのが見えた。あれが噂に聞く《関東大外殻》、《監獄都市》を外界から隔てている外壁なのだろう。  だが、その姿は深雪の想像としていたものとは少々違った。深雪はてっきり《関東大外殻》はコンクリート製だろうと思い込んでいたが、実際の《関東大外殻》は、赤黒い金属のような光沢を放っていた。 遠目からは、まるで血を塗り固めたようにも見える。 「何だあれ……? 一体、何でできてるんだ……?」  二十年前には無かった、新しい素材を使っているのだろうか。それでも都の外周を囲うくらいだから、相当な物量が必要なはずだ。  《関東大外殻》の完成まで、どれほどの人手と資源と金をつぎ込み、どれくらいの大型事業だったのだろう。その執念じみた規模に、驚きを通り越して薄ら寒ささえ覚える。  それほどまでゴーストを隔離したかったのだろうか。そう考えると、何だか教会の向こうに霞む《壁》が呪いのように思えてきた。  あんな壁、誰かがぶち壊してやればいいと思うものの、どんなアニムスでも、あの壁には傷ひとつ、つけられないそうだ。深雪は忌々しい想いとともに顔をしかめると、無理やり視線を壁から引きはがしたのだった。  オリヴィエの話によると、孤児院は教会に併設されているらしい。十字架をいただいた建物の周囲には、同じくレンガ造りの三階建ての建物が立ち並び、そちらは校舎のような雰囲気だ。深雪が近づくにつれ、たくさんの子供たちの楽しげな声が聞こえてくる。  教会の前を横切り奥へと進むと、教会の建物と孤児院との間に、こじんまりとした中庭があった。そこには下は四、五歳から上は十四、五歳までの、いろんな年齢の子供がひしめいていた。  中庭には洗濯板やたらい、物干し竿がところ狭しと広げられ、皆で洗濯物を洗ったり干したりしていた。泡まみれになって服を洗う子どもや、水遊びをしている子ども、洗濯など放ったらかしで鬼ごっこを始めてしまう子どもなど、てんやわんやの大騒ぎだ。 「すごいな……小学校みたいだ」  深雪があ然として呟いていると、その中にすらりとした金髪の青年が混じっているのに気付いた。間違いない、オリヴィエ=ノアだ。オリヴィエも深雪に気づいて近寄ってきた。  「賑やかでしょう?」  そう言って柔和な笑みを、端正な顔に浮かべる。洗濯で濡れてしまうからか、オリヴィエはいつもの神父服は脱ぎ、白いシャツは腕まくりしていた。  オリヴィエは背後を振り返り、子どもたちを見守りつつ、深雪に説明してくれた。 「ここでは、身寄りのないゴーストの子供たちを保護しているんです」 「ゴーストの……? あの子達、みんなゴーストなのか?」  深雪が驚いて聞き返すと、オリヴィエはふわりとほほ笑む。 「人間の子もいます。半々くらいですね」 「その……一緒にして大丈夫なのか?」  ゴーストの子どもにはアニムスがあるが、人間の子どもには腕力しかない。喧嘩になった時に大丈夫なのか。おかしな上下関係が出来たりはしまいか。子どもは素直で、それゆえに残酷だ。アニムスの有無で仲間外れにすることもあり得るだろう。  オリヴィエも深雪の言わんとするところを察したようだが、笑みは崩さなかった。 「問題が無いわけではありませんが……《監獄都市》ではゴーストと人が入り混じって生活しています。あの子たちはここで一生を過ごすのです。隔絶(かくぜつ)させる方が不自然ですよ」  深雪が想像したような問題が起きたとしても、人間とゴーストを隔離はしない。この孤児院はそういった選択をしているのだろう。深雪は素直に感心した。あえて(いばら)の道を突き進む。口で言うのは簡単だが、実行するのは至難(しなん)の業だ。 「何人くらいいるの?」 「大きくなった子どもは孤児院を出て働きますから、数の変動はありますが……大体、百人から百五十人ほどでしょうか」 「そんなに……」 「彼らはまだ幸運なほうですよ。ストリートには寝る場所すらない子どもが大勢います」  オリヴィエは表情を曇らせた。何の力を持たず、ストリートを徘徊(はいかい)(はいかい)するしかない彼らは、《ストリートダスト(路地裏の塵)》と呼ばれている。  深雪は命のことを思い出し、沈鬱(ちんうつ)な気分になった。《ストリートダスト》は剝き出しの暴力にさらされて生きている。その殺伐(さつばつ)とした世界ゆえに、本来はどれだけ善良であっても、容赦なく精神は腐食され、魂も摩耗(まもう)していく。その中で生き抜くのは、生半可なことではない。  そんなことを考えていると、洗濯に励んでいた子どもたちが一斉に深雪へと視線を送ってきた。 「神父様―! その人だれー⁉」 「彼は雨宮深雪です。孤児院の見学に来てくれたのですよ」  オリヴィエが子どもたちに向かって大声を返すと、チビッ子たちは互いに顔を見合わせ、はじけたような笑い声を上げた。 「ミユキだって」 「その人、男―? 女ぁ?」 「男ですよ」  容赦ない質問を投げかける彼らに、深雪は「うっ」と言葉を詰まらせる。 (名前のこと、結構、気にしてんだけどな……俺)  深雪ががくりと肩を落としていると、子どもたちが意外なことを口にした。 「あれ、シロもいる!」 「ホントだ。こっちに来ればいいのにー」 「えっ、シロ⁉」  深雪が驚いて振り返ると、シロは「うにゅー……」と呻きながら、教会の入り口に生えている大きな銀杏(いちょう)の木の幹に隠れるようにしてこちらを窺っていた。自分では上手く身を隠しているつもりでも、三角の獣耳がひょっこり顔を覗かせていた。いじけた雰囲気が(にじ)み出ているのが、何だか妙に可愛らしい。構ってほしいのに構ってくれない、そんな子猫みたいな様子だ。 「シロも一緒だったのですか?」  尋ねるオリヴィエに、深雪は半笑いで答える。 「いや……一人で来るつもりだったんだけど。ついて来ちゃったのかな」 「彼女は子ども達と仲が良いですからね。でも、どうしてあそこに隠れているんでしょう?」 「それはその……いろいろと……」  深雪は言葉を濁した。シロがああやって隠れているのは、深雪がシロを避けているのが原因だ。それでもシロは深雪と一緒に行きたくて、黙って付いてきたのだろう。確かに六道に対するわだかまりはあるが、それとシロを結びつけるのは、どう考えても筋違いだと、深雪も分かってはいるのだ。  オリヴィエも二人の気まずい空気を敏感に察知したのか、率直に質問してくる。 「シロと喧嘩をしたのですか?」 「……やっぱり分かる?」 「あなたたちはとても仲が良かったですから」  オリヴィエはそう言って微笑むが、深雪は俯いて小さくつぶやく。 「仲が良い……のかな。俺が一方的に付き合わせてただけかもしれない」  シロは最初から、何かと深雪に構ってくれていた。《監獄都市》に来たばかりの深雪を可哀想だと思ったのかもしれないし、たまたま年が近かったから親しみやすかっただけかもしれないと、マイナスに考えてしまう。 「シロは好き嫌いのはっきりしている子です。嫌いな相手と一緒に過ごしたりしませんよ」 「でも……」 「ねえ深雪? 自分が悪いと思っているのなら早く謝るべきですよ。特に相手が女性の場合は……ね?」  オリヴィエはそう言うと、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ウインクをした。  この清廉(せいそ)敬虔(けいけん)な神父からそのような言葉を聞くとは思っていなかったから、深雪は何だか可笑しくなって小さく吹き出した。  慈愛に満ちたアイスブルーの瞳に見つめられると、奈落とはまた違った意味で、全てを見透かされているような気分になるが、何故かそれが不快ではなかった。 「……シロ、こっちにいらっしゃい」  シロはオリヴィエに声をかけられ、「にゃっ⁉」と飛び上がるが、観念(かんねん)したようにすごすごと歩み寄ってきた。頭上の耳も、叱られモードでぺたんと伏せている。 「どうしたのですか? あんなところに隠れて」  オリヴィエが尋ねると、シロは口をモゴモゴさせ、小さくつぶやいた。 「……勝手についてきちゃったから。ユキ……怒ってない?」 「怒ってないよ。謝らなくちゃいけないのは……俺の方だ」 「……え?」  シロはキョトンとして、こちらを見返してくる。その反応を見るに、シロは深雪を責めているわけでもなければ、酷い仕打ちを受けているとも思っていないようだ。 「ごめん……変な風に避けて。シロが悪いんじゃないんだ。悪いのは全部、俺なんだ。……ほんと、ゴメンな」  それもこれも自分の弱さが招いた事態だと思うと、ますます罪悪感がつのる。意地など張らず、素直に謝ってしまえば良かった。  謝られたシロは分かったような、分からないような表情をしていたが、やがて上目遣いに深雪を見つめた。 「……今まで通り、ユキと一緒にいてもいい?」 「勿論だよ。俺も……シロと一緒にいていいかな?」 「いいよ。シロ、一人は嫌だもん。……良かった!」  シロにようやく笑顔が戻ったのに合わせて、頭上の獣耳も嬉しそうに跳ねる。  深雪も思わず顔がほころんだ。深雪が一方的にシロを避けていたわけだが、シロの笑顔を見ていると、自分も仲直りを望んでいたのだと実感する。深雪にとってシロは、いつの間にか傍にいるのが当たり前になっていた。シロが自分にとって大切な存在になっていたのだと、改めて気づかされる。  オリヴィエは深雪とシロの喧嘩の経緯(けいい)など知る由もないが、二人の関係の修復を察したのか、淡く微笑んだ。
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