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「ここが……教会、だよな……?」
深雪がたどり着いたのは、古い民家やアパートが倒壊することなく残っている区画だった。ここで生活している者も多いらしく、軒先には布団や洗濯物が干してある。《監獄都市》の中では珍しく、生活感の強く残っている地域だ。
オリヴィエに教えられた道を進むと、やがて屋根に十字架をいただいたレンガの建物が見えてきた。絵本に出てくるような、小さいけれど厳かな雰囲気の教会だ。
教会が物珍しくて、ついきょろきょろと見回していると、深雪はふと、教会の向こうにあるものに気づいた。
「あれ……もしかして《関東大外殻》か」
教会のずっと奥に、長大な壁が延々と横たわっているのが見えた。あれが噂に聞く《関東大外殻》、《監獄都市》を外界から隔てている外壁なのだろう。
だが、その姿は深雪の想像としていたものとは少々違った。深雪はてっきり《関東大外殻》はコンクリート製だろうと思い込んでいたが、実際の《関東大外殻》は、赤黒い金属のような光沢を放っていた。 遠目からは、まるで血を塗り固めたようにも見える。
「何だあれ……? 一体、何でできてるんだ……?」
二十年前には無かった、新しい素材を使っているのだろうか。それでも都の外周を囲うくらいだから、相当な物量が必要なはずだ。
《関東大外殻》の完成まで、どれほどの人手と資源と金をつぎ込み、どれくらいの大型事業だったのだろう。その執念じみた規模に、驚きを通り越して薄ら寒ささえ覚える。
それほどまでゴーストを隔離したかったのだろうか。そう考えると、何だか教会の向こうに霞む《壁》が呪いのように思えてきた。
あんな壁、誰かがぶち壊してやればいいと思うものの、どんなアニムスでも、あの壁には傷ひとつ、つけられないそうだ。深雪は忌々しい想いとともに顔をしかめると、無理やり視線を壁から引きはがしたのだった。
オリヴィエの話によると、孤児院は教会に併設されているらしい。十字架をいただいた建物の周囲には、同じくレンガ造りの三階建ての建物が立ち並び、そちらは校舎のような雰囲気だ。深雪が近づくにつれ、たくさんの子供たちの楽しげな声が聞こえてくる。
教会の前を横切り奥へと進むと、教会の建物と孤児院との間に、こじんまりとした中庭があった。そこには下は四、五歳から上は十四、五歳までの、いろんな年齢の子供がひしめいていた。
中庭には洗濯板やたらい、物干し竿がところ狭しと広げられ、皆で洗濯物を洗ったり干したりしていた。泡まみれになって服を洗う子どもや、水遊びをしている子ども、洗濯など放ったらかしで鬼ごっこを始めてしまう子どもなど、てんやわんやの大騒ぎだ。
「すごいな……小学校みたいだ」
深雪があ然として呟いていると、その中にすらりとした金髪の青年が混じっているのに気付いた。間違いない、オリヴィエ=ノアだ。オリヴィエも深雪に気づいて近寄ってきた。
「賑やかでしょう?」
そう言って柔和な笑みを、端正な顔に浮かべる。洗濯で濡れてしまうからか、オリヴィエはいつもの神父服は脱ぎ、白いシャツは腕まくりしていた。
オリヴィエは背後を振り返り、子どもたちを見守りつつ、深雪に説明してくれた。
「ここでは、身寄りのないゴーストの子供たちを保護しているんです」
「ゴーストの……? あの子達、みんなゴーストなのか?」
深雪が驚いて聞き返すと、オリヴィエはふわりとほほ笑む。
「人間の子もいます。半々くらいですね」
「その……一緒にして大丈夫なのか?」
ゴーストの子どもにはアニムスがあるが、人間の子どもには腕力しかない。喧嘩になった時に大丈夫なのか。おかしな上下関係が出来たりはしまいか。子どもは素直で、それゆえに残酷だ。アニムスの有無で仲間外れにすることもあり得るだろう。
オリヴィエも深雪の言わんとするところを察したようだが、笑みは崩さなかった。
「問題が無いわけではありませんが……《監獄都市》ではゴーストと人が入り混じって生活しています。あの子たちはここで一生を過ごすのです。隔絶させる方が不自然ですよ」
深雪が想像したような問題が起きたとしても、人間とゴーストを隔離はしない。この孤児院はそういった選択をしているのだろう。深雪は素直に感心した。あえて茨の道を突き進む。口で言うのは簡単だが、実行するのは至難の業だ。
「何人くらいいるの?」
「大きくなった子どもは孤児院を出て働きますから、数の変動はありますが……大体、百人から百五十人ほどでしょうか」
「そんなに……」
「彼らはまだ幸運なほうですよ。ストリートには寝る場所すらない子どもが大勢います」
オリヴィエは表情を曇らせた。何の力を持たず、ストリートを徘徊(はいかい)するしかない彼らは、《ストリートダスト》と呼ばれている。
深雪は命のことを思い出し、沈鬱な気分になった。《ストリートダスト》は剝き出しの暴力にさらされて生きている。その殺伐とした世界ゆえに、本来はどれだけ善良であっても、容赦なく精神は腐食され、魂も摩耗していく。その中で生き抜くのは、生半可なことではない。
そんなことを考えていると、洗濯に励んでいた子どもたちが一斉に深雪へと視線を送ってきた。
「神父様―! その人だれー⁉」
「彼は雨宮深雪です。孤児院の見学に来てくれたのですよ」
オリヴィエが子どもたちに向かって大声を返すと、チビッ子たちは互いに顔を見合わせ、はじけたような笑い声を上げた。
「ミユキだって」
「その人、男―? 女ぁ?」
「男ですよ」
容赦ない質問を投げかける彼らに、深雪は「うっ」と言葉を詰まらせる。
(名前のこと、結構、気にしてんだけどな……俺)
深雪ががくりと肩を落としていると、子どもたちが意外なことを口にした。
「あれ、シロもいる!」
「ホントだ。こっちに来ればいいのにー」
「えっ、シロ⁉」
深雪が驚いて振り返ると、シロは「うにゅー……」と呻きながら、教会の入り口に生えている大きな銀杏の木の幹に隠れるようにしてこちらを窺っていた。自分では上手く身を隠しているつもりでも、三角の獣耳がひょっこり顔を覗かせていた。いじけた雰囲気が滲み出ているのが、何だか妙に可愛らしい。構ってほしいのに構ってくれない、そんな子猫みたいな様子だ。
「シロも一緒だったのですか?」
尋ねるオリヴィエに、深雪は半笑いで答える。
「いや……一人で来るつもりだったんだけど。ついて来ちゃったのかな」
「彼女は子ども達と仲が良いですからね。でも、どうしてあそこに隠れているんでしょう?」
「それはその……いろいろと……」
深雪は言葉を濁した。シロがああやって隠れているのは、深雪がシロを避けているのが原因だ。それでもシロは深雪と一緒に行きたくて、黙って付いてきたのだろう。確かに六道に対するわだかまりはあるが、それとシロを結びつけるのは、どう考えても筋違いだと、深雪も分かってはいるのだ。
オリヴィエも二人の気まずい空気を敏感に察知したのか、率直に質問してくる。
「シロと喧嘩をしたのですか?」
「……やっぱり分かる?」
「あなたたちはとても仲が良かったですから」
オリヴィエはそう言って微笑むが、深雪は俯いて小さくつぶやく。
「仲が良い……のかな。俺が一方的に付き合わせてただけかもしれない」
シロは最初から、何かと深雪に構ってくれていた。《監獄都市》に来たばかりの深雪を可哀想だと思ったのかもしれないし、たまたま年が近かったから親しみやすかっただけかもしれないと、マイナスに考えてしまう。
「シロは好き嫌いのはっきりしている子です。嫌いな相手と一緒に過ごしたりしませんよ」
「でも……」
「ねえ深雪? 自分が悪いと思っているのなら早く謝るべきですよ。特に相手が女性の場合は……ね?」
オリヴィエはそう言うと、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ウインクをした。
この清廉で敬虔な神父からそのような言葉を聞くとは思っていなかったから、深雪は何だか可笑しくなって小さく吹き出した。
慈愛に満ちたアイスブルーの瞳に見つめられると、奈落とはまた違った意味で、全てを見透かされているような気分になるが、何故かそれが不快ではなかった。
「……シロ、こっちにいらっしゃい」
シロはオリヴィエに声をかけられ、「にゃっ⁉」と飛び上がるが、観念したようにすごすごと歩み寄ってきた。頭上の耳も、叱られモードでぺたんと伏せている。
「どうしたのですか? あんなところに隠れて」
オリヴィエが尋ねると、シロは口をモゴモゴさせ、小さくつぶやいた。
「……勝手についてきちゃったから。ユキ……怒ってない?」
「怒ってないよ。謝らなくちゃいけないのは……俺の方だ」
「……え?」
シロはキョトンとして、こちらを見返してくる。その反応を見るに、シロは深雪を責めているわけでもなければ、酷い仕打ちを受けているとも思っていないようだ。
「ごめん……変な風に避けて。シロが悪いんじゃないんだ。悪いのは全部、俺なんだ。……ほんと、ゴメンな」
それもこれも自分の弱さが招いた事態だと思うと、ますます罪悪感がつのる。意地など張らず、素直に謝ってしまえば良かった。
謝られたシロは分かったような、分からないような表情をしていたが、やがて上目遣いに深雪を見つめた。
「……今まで通り、ユキと一緒にいてもいい?」
「勿論だよ。俺も……シロと一緒にいていいかな?」
「いいよ。シロ、一人は嫌だもん。……良かった!」
シロにようやく笑顔が戻ったのに合わせて、頭上の獣耳も嬉しそうに跳ねる。
深雪も思わず顔がほころんだ。深雪が一方的にシロを避けていたわけだが、シロの笑顔を見ていると、自分も仲直りを望んでいたのだと実感する。深雪にとってシロは、いつの間にか傍にいるのが当たり前になっていた。シロが自分にとって大切な存在になっていたのだと、改めて気づかされる。
オリヴィエは深雪とシロの喧嘩の経緯など知る由もないが、二人の関係の修復を察したのか、淡く微笑んだ。
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