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もはや坂本はどす黒い感情を隠そうともせず深雪を睨んでいたが、ふと両目を細めると口元を弛緩させた。といっても深雪のことを諦めたわけではない。もっと効果的にいたぶる方法を思いついた――そんな表情だ。
「……いいだろう、教えてやるよ。なんで俺がお前を殺してえのか。俺がゴーストになったのは高校ン時だ。これでもまじめに勉強して進学校に通ってた。親は良い大学に入ることを期待してたみたいだが、当時の俺はギターに夢中だった。ミュージシャンになるのが夢だった――どこにでもいる、ただのガキだった」
「ゴーストかどうかを調べる検査で、陽性反応が出た時のことは忘れもしねえ。目の前が真っ暗になって、何も考えられなかった。腰が抜けたのは、後にも先にもあれっきりだ。すぐに家に警察が来て、大学病院やら裁判所やらに回されてーーー気づいたら《監獄都市》にいた。まるで悪夢でも見ているみたいにな」
「………」
凶悪なゴーストである坂本に同情する余地はないものの、その話を聞いた深雪は、自分がゴーストになった時のことを思い出していた。
当時はゴーストが世間的に認知されておらず、家の前には大勢のマスコミや野次馬が押しかけ、連日、大混乱に陥ったものだ。
ゴーストの存在がさほど珍しくない現代では、二十年前ほどセンセーショナルな騒ぎは起きなかったとしても、ゴーストとなったことで失うものは、同じなのかもしれない。
坂本はあくまで刺々しい様子で口を開いた。
「お前は何故、《東京》が《監獄都市》になったのか知ってるのか」
「いや……俺が《東京》に戻ったのはつい最近だ。この二十年間、何があったのかは知らない」
「はっ……通りでな。寝ぼけたことばかりほざくわけだ。いいか、《東京》にゴーストが隔離されるようになったのはな、二十年前どっかのゴーストのガキどもが、バカげた殺し合いをしたからだよ!」
「まさか……!?」
「ああそうだ! 《ウロボロス》の騒動があってから、世の中で急速にゴーストは危険な存在だって認識が強まった。極端な隔離政策がはじまったのも、その頃からだ‼」
己の過去が招いた思いも寄らない真実に、深雪は殴られたような衝撃を受ける。
「《東京》が《監獄都市》になったこと。俺たちゴーストが《監獄都市》に集められていること……全部、元をただせばお前らのせいだろ! お前らが下らねぇ殺し合いをしたせいで、一体どれだけの人間が犠牲になったと思ってる!? お前が奪ったのは《ウロボロス》のメンバーの命だけじゃねえ……何の関係も無い、俺たちの人生も根こそぎ奪ったんだよ‼」
深雪の顔から、音を立てて血の気が引いていくのが分かった。
「そんな……そんなつもりじゃ……!」
「じゃあ、どういうつもりだってんだ? この期に及んでもまだ言いワケかよ!? ――なあ、分かるだろ? 俺がどれだけてめえをぶち殺したいと思ってるか……てめえだけは許せねえんだよ‼」
「………‼」
「お前はどう思ってるんだ? 自分ひとりだけがのうのうと生き延びて、何も感じないのか! これだけ不幸を撒き散らしておいて、二十年経ったから時効だなんて考えてるわけじゃねえよな!? ……いい加減気づけよ! お前は、この世界に必要のない人間なんだよ‼」
「お、俺は……!」
背中にずしりと重たい十字架を背負わされたようだった。考えてみれば当然だ。《ウロボロス》には当時、百人近いメンバーがいた。それがほぼ全員、一夜にして絶命したのだ。社会に何も影響がないわけがない。
(俺のせい、なのか……?)
今の《東京》は明らかに異常で、残酷だ。強い者が平気で弱い者を虐げる世界。《トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー》を模した今回の連続猟奇殺人も、まさにその一端を如実にあらわした事件だ。
そういう《監獄都市》の歪みを生んだのが《ウロボロス》のせいだというのなら、直接ではないにしろ、深雪が《永井エリ》や《山下ヒロコ》を殺したようなものかもしれない。
それだけではない。もし深雪たち《ウロボロス》が暴走し、殺し合わなければ、ここまで極端な隔離政策も行われなかったかもしれない。人とゴーストは問題を抱えながらも、どうにか共生していたかもしれないのだ。
もし人とゴーストの共存が実現していたなら、今とはまったく違う未来が存在していたのかもしれない。その可能性を潰したのは、他ならぬ深雪なのだ
(俺の……せいだ……!)
深雪は坂本に返す言葉も無いまま、うな垂れる。何故だか、かつて告げられた六道の言葉が脳裏に甦ってきた。
『……ゴーストは確かに法では裁かれない。しかし、だからと言って罪も無くなるのだとは私は思わない。君はどうやって己の贖罪を晴らすつもりだ? 過去に怯えてばかりいる者には、何も果たすことは出来んぞ―――』
今なら、その言葉の意味がよく分かる。《ウロボロス》が壊滅した夜――あの時からすべてが狂ってしまった。深雪はすべてを失い、償いきれない業(ごう)を負った。そして、いまだに己の罪の重さに恐れ慄いている。
《ウロボロス》という言葉を聞いただけで手足が震えを帯びるほどに。どこまで逃げようとも、過去からは決して逃れられないのだ。
現にいまも、それは深雪の真後ろに張りついたまま、真綿で首を締めるように責め苛んでくる。坂本一空という禍々しい姿をして。
一方の坂本は、何の反応も返さず、うな垂れたままの深雪を、まるで虫けらでも見つめるようにシラケた様子で眺めていた。
「ふん……あくまで殺り合う気はねえってか。あの悪名高い《ウロボロス》の生き残りだって聞いたから、どれほどの奴かと思っていたが……二十年前はよほど平和な時代だったと見えるぜ。てめえが何にこだわってんのか知らねえが、殺る気がねえなら、とっとと終わらせようぜ‼」
そう口の端を歪めると、坂本は三白眼の目をぎらつかせて身構え、凶器と化した右手の義手を振りかざすと、一気に深雪へと突っ込んでくる。
深雪はただ、ぼんやりとそれを見つめていた。このまま何もしなければ、坂本の鋭利な爪によって自分の体はズタズタに引き裂かれるだろう。だが、坂本が満足するというのなら、それでもいいような気がした。
坂本の言う通り、自分がこの世界に必要な人間だと、深雪はこれっぽっちも思わない。それどころか、奈落に言わせれば『異物』ですらあるという。『異物』は集団から排除される。力が無ければ、その時点で容赦なく押し潰される。今がまさにその時ではないか。
深雪の眼前に機械電動式義手(マニピュレーター)の獰猛な牙が迫る。うなりを上げる金属の義肢、その向こうでニタリと嗤(わら)う坂本の顔を、深雪は身じろぎすらせずに、虚ろな目でただ眺めていた。
その銛の切っ先が深雪の顔面を捕らえようとした、その時だった。深雪の目の前に、見慣れた濃紺色の影が翻った。ハッとした次の瞬間、鮮やかな火花が舞い散ったかと思うと、鋭い金属音とともに坂本の爪がはじかれた。
「……何!?」
バランスを崩した坂本は、すかさずその場から飛び退った。その狡猾さをたたえた両眼は、忌々しそうに闖入者の姿を睨みつけている。
死を覚悟していた深雪もまた、驚いて顔を上げた。月明かりに揺れる亜麻色の髪。シロがこちらを背にしたまま仁王立ちしていた。
まるで深雪には指一本触れさせまいとするように、彼女の構える日本刀の切っ先は、毅然(きぜん)として坂本のほうを向いている。
「シ……ロ………?」
「ユキ、大丈夫!?」
シロの凛とした瞳が、背中越しにこちらへと向けられる。
「ち……犬耳女か……‼」
よけいな邪魔が入ったことに苛立ったのか、坂本は目元に凶気を浮かべてシロを睨みつける。その身に纏う殺気が一段と濃くなったのを感じて、深雪はぎくりとした。
坂本は深雪を目の敵にしているが、シロから受けた仕打ちも、もちろん忘れてはいない。この男にとっては深雪もシロも等しく憎い敵であって、たんに優先順位が違うだけに過ぎないのだろう。
このままではシロを巻き添えにしてしまうばかりか、坂本の標的にされてしまう。そう思った深雪は気がつけば声を荒げていた。
「シロ……どうしてここに来たんだ! 待ってろって言っただろ‼」
「そんなのヤダ! シロだけ残されて……一人ぼっちで待つなんて、絶対に嫌だよ!」
「シロ!」
深雪は聞き分けのない子供のように首を振るシロの肩を掴むが、シロはその場から一歩も動こうとはしない。
「それに……ユキが困ってるのに放っておくなんてできない! 助けるのは当たり前だよ! だって、ユキはシロたちの仲間だもん‼」
思いがけない言葉に、深雪は目を瞬いた。
「仲間……?」
「うん、仲間だよ! 『本当の仲間』……そうでしょ?」
そう尋ねられ、深雪はますます戸惑う。シロは事務所のメンバーの中でもっとも深雪と過ごした時間が長く、そのぶん仲も良い。しかし、今のシロの『本当の仲間』という言葉からは、事務所のメンバーだからという以上の、深い意味合いがあるような気がした。
深雪は自分の存在に意味など無いと、先ほどまで思っていた。世界にとって悪い作用しか及ぼさないなら、いっそこの世から消えたほうがましだと、坂本が吐き捨てた言葉を、そのまま鵜(う)呑みにしていた。
そこへ稲妻のようにあらわれたシロの存在は、あまりにも明るくて、眩しかった。自分が必要だと、『本当の仲間』だと言ってくれたその言葉に、自分がここにいて良いのだと言われているような気がした。
深雪はまるで狭くて真っ暗な牢から引っ張り出され、久方ぶりに外の世界を見せられた囚人のように両目を細めた。
深雪が月だとしたら、シロは太陽だ。その煌々とした明るさに、いつも救われている。
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