第41話 過去を知る者①

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「ユキの敵はシロの敵だよ! だから……こんな奴、やっつけてやる!」  シロは刀を構える両肩に力を籠めると同時に、全身を覆う殺気が帯電したかのように、獣耳が一斉に逆立った。触れたら手がはじけ飛んでしまいそうなほどの、激しい闘気。  それに挑発されたのか、坂本も標的を深雪からシロに変えて、冷気を帯びた義手を中腰に構える。 「……ああ? やんのか、このアマ!?」  坂本は本気だ。《ディアブロ》の頭を辞め、チームさえ捨てて、すべてをかけてこの襲撃に挑んでいる。このまま戦えば、なりふり構わず執拗に攻撃してくるだろう。シロのアニムスがどれほど強力だったとしても、坂本の執念深さの前では、決して無傷ではいられまい。  深雪が坂本に殺されるのは、まだいい。すべてを剝ぎ取られ、《監獄都市》へとぶち込まれた彼が、その原因となった深雪を殺したいほど憎むのは無理からぬことだ。  だが、このままではシロが坂本の義肢の先で光る爪の餌食になってしまうかもしれない。それだけは耐えられなかった。 「そんなのダメだ! あいつに……六道にそうしろって言われたのか? 俺の敵と戦えって。だったら……」  シロは六道の命令で動いている。深雪と一緒にいるのも、六道にそうしろと言われたからだと明言していた。だが、それはあくまで六道の都合だ。  深雪はシロに戦って欲しいとは思わない。そして、シロに守ってもらうだけの価値が自分にあるとも思えないのだ。  すると、シロは日本刀は坂本へと向けたまま振り返ると、静かに深雪の言葉を遮った。 「違うよ」  月からこぼれ落ちる白銀の光が、シロの柔らかな輪郭をくっきりとふち取る。きゃしゃな肩、豊かにうねる亜麻色の髪、三角の獣耳、蕾のようなふっくらとした唇。厳かな月の光は、その中でも強い意志の宿った瞳を鮮烈に際立たせていた。 「そうじゃない。シロが自分でそう思ったの。ユキを守るんだって……シロが自分で決めたの」 ✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜ ✜✜✜✜✜✜  地上に出ると、まだ夜の気配は濃く、空には形のいい満月がいまだ居座っていた。  奈落はそれを見るともなしに眺めつつ、廃墟の中をゆったりと歩いていた。  月夜はこういう『仕事』には不向きだ。光は否が応にも、モノの輪郭を際立たせてしまう。廃墟だらけの《監獄都市》ではあるが、それでもいたるところに人は棲みついている。どこで誰に目撃されているとも限らないのだ。  ただ、それを除けば、月夜は嫌いではなかった。人工の灯はどこか妖艶で、それはそれで刺激があるが、長く浴びていると神経が麻痺を起こす。それにくらべると、青白い月の光は強すぎず弱すぎず、心地が良い。感覚をクリアにし、研ぎ澄ませてくれる。  なにより、こうやって廃墟を移動する時に足元がよく見える。  ふとタバコが吸いたくなり、懐に手を伸ばしたところで、腕にある通信機器が赤いランプを点滅させているのに気付いた。どうやら着信がいくつか入っていたらしい。電源を入れて通信回線を開くと、ほぼ同時にけたたましい声が飛び込んできた。乙葉マリアだ。 「あ、繋がった! もう、何やってんのよ!? なんで電源切っちゃうのよ? バカなの? バカなんでしょ‼」  開口一番、マリアはまくし立てた。よほど腹を立てているのか、それとも焦っているのか。いつものふざけたようなウサギのマスコットは飛び出す気配もなく、音声のみの通信だ。  奈落が何かあったのかと尋ねると、マリアはすぐに事の次第を説明しはじめた。それによると、どうやら、深雪(ポンコツ)がまたもや何かしでかしたらしい。どこぞの愚かなゴーストギャングの親玉に、ちょっかいを出されたのだという。  マリアは勢いこんで怒鳴った。 「……そんなわけだから、今すぐ深雪っちを助けに向かって!」 「場所は?」 「それが分かんないのよ。勝手に移動しちゃって……深雪っちも端末(デバイス)の電源切ってるから、GPSで追うわけにもいかないし……」 「お得意のハッキングとやらはどうした?」  衛星から地上の様子を探れば、一発で居場所を特定できるのではないか。そう尋ねると、マリアはもどかしげに声を苛立たせる。 「あれはむやみやたらと使えるシロモノじゃないの! 長時間アクセスしてると、こっちの足がついちゃう……とにかく急いで!」  マリアの声音は切羽詰まっていて、状況がかなり緊迫していることを窺わせた。しかし奈落は、その場から動かない。のんびりと懐から取り出した煙草を咥え、ライターで火をつけた。 「その必要はない。放っておけ」  途端にマリアが猛然と嚙みついてくる。 「ちょっと……正気!? このままじゃ深雪っち、《ディアブロ》のハゲに殺されちゃうわよ!?」 「奴に対処能力はある。やる気がないだけだ」 「同じことよ! 第二の能力ってヤツの情報を採取するまでは死んでもらっちゃ困るのよ‼」  奈落は「フン」と小さく鼻を鳴らした。 「だったら自分で動いたらどうだ、引きこもり 「何ですって……!?」 「それは六道の命令か? いつからお前は俺の雇い主になった? ……調子に乗るなよ、情報屋。こっちはお前の部屋の扉をぶち抜くくらい、いつだってできる」  さり気ない口調だったが、奈落はあくまで本気だった。  六道が雨宮深雪に妙な執着を抱いているのは間違いない。だが、深雪の持つという《第二の能力》――ゴーストを人間に戻す能力そのものには、あまり興味が無いようだった。  つまり、《第二の能力》を探れという命令は、六道のものではない。奈落は《あさぎり警備会社》のビルで六道と会話を交わした時から、そう踏んでいた。  そして本当に六道の命令では無いなら、決して看過できない。  奈落は傭兵だ。金の為ならどんな汚い仕事でもするし、ゴーストを殺しもする。だが、金さえ与えられるなら何でも言うことを聞くわけではない。誰を雇い主にするかは奈落自身が選ぶことだ。  この世のすべてが自分の思い通りになると自惚れているような情報屋などに、雇われる気はさらさら無いし、ましてや使い走りにされるなど絶対に許さない。  それが伝わったのか、マリアは警戒したように一瞬、息を吞んだ。 「……。脅す気?」 「今回は大目に見る。だが、次に同じことをした容赦はしない……代償は必ず支払わせるぞ」  漆黒の闇夜の中で、赤い隻眼が凶暴に瞬く。事務所の同僚だからと言って、手加減をするつもりはない。領域を侵す者には、その愚かさを徹底的に思い知らせてやる。  通信機器の向こうで、マリアはしばらく無言だった。この程度の威嚇で怯むような女ではない。こちらがどれだけ本気であるかを、狡猾に探っているのだろう。 「……あっそ、どうなっても知らないからね!」  そう荒々しく言い放つと、マリアはブツンと一方的に通信を切ってしまった。  奈落は大きく紫煙を吐き出す。マリアのことを抜きにしても、このまま雨宮深雪のもとへ駆けつけるつもりはなかった。  この街で《死刑執行人》として生きるなら、ギャングの親玉に喧嘩を吹っかけられるなど日常茶飯事だ。それでも奈落や流星はこの街で顔を知られている。抗争の仲裁に入ることはあっても、降ってわいたトラブルに巻き込まれることは稀(まれ)だ。  だが、雨宮深雪はまだ無名である上に、見るからにカモにされそうな貧弱な容姿をしている。しばらくは風当たりの強い時期が続くだろう。  これくらい一人で対処できないでどうする、というのが奈落の考えだった。  白い煙が月夜に照らされ、幻想的に霞む。それが紫煙だと一瞬、忘れそうになるほどに。  奈落は目を細めてそれを眺めると、再びゆっくりと歩き出した。
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