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第42話 過去を知る者②
初めて会った時、その少年はゴロツキたちに囲まれ、ひどく脅えているように見えた。
その少年を見て、シロは初めてアライグマのピピに会った時のことを思い出していた。
ピピは足に怪我をしており、事務所の裏で雨に打たれながら、不安そうにこちらの様子を窺っていた。かわいそうだったので傷を手当し、エサをあげたら、頻繁にやって来るようになったのだ。
とは言っても、アライグマは簡単には人に懐かない。ピピはシロと一定の距離を取り、決して直に触れようとはしなかった。そういうところも、深雪とピピはよく似ている。
どこかで他人を警戒し、完全には心を開かない。そんな深雪をもどかしく思うこともあったけれど、シロはあまり気にしないようにしていた。それが臆病な生き物にはありがちな性質だと知っていたからだ。
六道は何故か、深雪と行動を共にするようシロに言ってきた。理由を尋ねても、まったく教えてくれない。ただ、一緒にいなさいと、それだけを伝えられた。
だから最初は、少年の面倒を見てあげるつもりだった。シロのほうが年下だけど、《監獄都市》ではお姉さんだから、いろいろ教えてあげるんだと張り切っていた。
それが変わったのは、事務所の屋上で喧嘩をした時だ。
あの時、深雪は鵜久森命の死を目の当たりにして、ひどく取り乱していた。ショックだったのは分かる。シロだって、少なからず衝撃を覚えたものだ。
だからと言って、六道のことを悪く言うのだけは許せなかった。六道は《ニーズヘッグ》から見放され、行く当ての無かったシロを拾ってくれた恩人だ。
六道にも悪いところはあるのかもしれないが、そこだけを突き回すような深雪の物言いには、どうしても納得できなかった。
思わず言い返して喧嘩になってしまい、深雪と顔も合わせない日が何日も続いた。正直、ああいうムカムカした状態がシロは大嫌いだ。
「ユキのバカ! 泣き虫弱虫! 六道のこと何も知らないくせに! 絶対にこっちから謝ったりしないんだから」と頬を膨らませて日々を過ごした。
ところが怒りが収まるにつれて、心にぽっかりと大きな穴が開き、染みのようにどんどんと広がっていった。シロはそれが何なのか知っている。
『淋しい』――シロの一番嫌いな感情だ。そして最も恐れている感情でもある。
その時ふと気づいたのだ。
深雪と一緒にいる時、シロは『淋しい』と感じたことは一度もなかったことに。
誰かと一緒にいても、淋しいと思うことはある。《ニーズヘッグ》にいた時がまさにそうだ。
亜希(あき)や銀賀(ぎんが)、静紅(しずく)はシロと親しくしてくれたが、チームの中にはシロを恐れる者や警戒する者、あるいは暴走しがちなシロのアニムスに露骨に眉をひそめる者もいた。
亜希は気にしなくてもいいと言ってくれたけれど、そんな時、シロは暗闇の中に一人ぽつんと取り残されたような、とてつもない淋しさに襲われたのだった。
深雪のそばにいると淋しくない。なんと言うか、とても居心地がいいのだ。
思い返せば、深雪はシロの《ビースト》を目の当たりにしても、過剰に恐れたり、嫌悪したりしなかった。それどころか感情に流されて暴走しがちなシロを、身を挺して止めてくれた。
《監獄都市》に来たばかりの頃は、何か事情があって封じ込めていたようだが、もともと深雪はそういう性格なのだろう。
どれだけ自分と『違う』者であっても――たとえ自分に反感や敵意を持っていたとしても、相手を受け入れようとする。相手を理解しようと努力する。それが本来の深雪の姿なのだ。
今もゴーストを拒絶する一方で、どうにかしてそんな自分を変えようと深雪は努力している。そういうところは、六道とよく似ている。ただ、表に出す方法が違うだけで。
深雪は奈落や神狼のように分かりやすく強いわけではないし、流星やオリヴィエのように頼もしいわけでもない。でも相手を受け入れようとする寛容性は、まごうことなき深雪の長所だ。
生憎と弱肉強食がまかり通る《監獄都市》では、深雪の長所は見えにくくなってしまう。それでも、シロは深雪の優しいところが好きだ。
はっきり言って、そんなに難しく考えなくてもいいのに、と思うこともある。深雪は深雪なのだから正々堂々、胸を張ればいいと。
でもきっと、それが深雪のやり方なのだろう。
最初は確かに六道の『命令』だったけれど、今は違う。深雪はシロの仲間だ。単純に事務所のメンバーだからではなく、『本当の仲間』だと思っている。だから、深雪のことは命を懸けてでも守りたい。深雪に危害を加える者がいたなら、全力で排除するのだ。
シロが仲間にしてあげられるのは、ただそれだけだから。
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磨きぬかれた鏡のように、まっすぐで曇りのないシロの瞳が深雪に注がれる。
そこに映りこむ己の姿を見つめているうちに、深雪はかつての《ウロボロス》で過ごした日々の記憶を呼び起こしていた。
最悪で、これ以上もなく残酷な最期を迎える前の、皆が互いに仲間だと信じて疑わなかった日々のことを。
《ウロボロス》での思い出は、辛いことや悲しいことばかりではなかった。ゴーストとなったばかりに同じ過酷な境遇に置かれ、それに共に立ち向かっているのだという一体感。唯一無二の仲間だという誇り。それらは普通の学校生活を送っていては、決して味わえなかったものだ。
当時の深雪にとって、《ウロボロス》は唯一の居場所だった。ほかに心を許せる者も、身を寄せる場所すらもなかった。そんな深雪が《ウロボロス》での記憶が濃厚になるのは必然とも言えたが、それだけではないと思っている。
深雪はゴーストになったその瞬間から、自分の存在意義に自信が持てなくなっていた。ありとあらゆる人間から攻撃され、学校からも社会からも排除され続け、途方に暮れて路上をさまよう野良ネコのようだった。
何故、自分は存在しているのだろ。誰にも必要とされていないのに。何故、無様に生きながらえているのだろうと。
その苦しみに終止符を打ってくれたのが《ウロボロス》だ。
彼らは深雪を仲間として受け入れ、ここに存在してもいいのだという安心感をくれた。そして辛い時期をともに過ごし、時には慰め合い、支え合って、ある時は互いに怒りを吐き出しあった。
どれも他愛のないことばかりだが、彼らに一体どれだけ助けられただろうか。言葉では到底、言い尽くせない。
もしあの時、《ウロボロス》のメンバーたちと出会っていなかったら、深雪はこの世のありとあらゆる事柄(ことがら)に悲観していただろう。チームの皆は深雪に居場所を与えてくれ、そして心までも救ってくれたのだ。
深雪にとって《ウロボロス》というチームも、チームのメンバーも、すべてが宝物のように大切で、かけがえのない存在だった。だからこそ守りたいと思ったのだ。
間違った方向に進む《ウロボロス》を止めることで、みんなを守りたいと思った。チームが凶暴化し、変わってしまっているのには気づいていたが、それでも見捨てるなんてできなかった。
《ウロボロス》があったからこそ、深雪は生きることを諦めずに済んだのだから。
(そうだ……確かに俺達は仲間だった。だから、あいつらを止められるのは俺しかいないと思ったんだ。それが……ただの思い込みだったとしても……俺はあいつらが好きだった。たとえぶっ殺されても構わないって、そう思えるほど大好きだったんだ……!)
深雪のことを『本当の仲間』と言い切るシロの純粋さが、どこか《ウロボロス》のメンバーと重なった。
と言っても、それは排他的で攻撃的な暴力集団と化した《ウロボロス》ではない。包容力があって、行き場のない者同士が震える身体を寄せ合っていた、初期の頃のチームだ。
いつかまた学校に行けるようになればいいなとか、大学に進学したり就職したりしたいけど、現状では叶うかどうか不安だとか、そういったごく普通の悩みを打ち明け合っていた。
見通しは決して甘くは無かったけれど、互いに支え合い、力を合わせ合っていけば、この窮状をきっと何とか解決できる。不安や憤りの中にも、そういったかすかな希望が残っていた。深雪が何としてでも守りたかったチームの、それが本当の姿だ。
(俺のことを、まだ仲間だと言ってくれる人がいる。こんな俺のことを守るって……そう言ってくれる人が確かにいるんだ……‼)
そう思うだけで、体の底から力が湧き上がってくる。仲間がいるからこそ、自分を信じられる。仲間がいるからこそ、戦える。坂本はもはや恐ろしい過去の亡霊ではなく、逆恨みをするただの復讐魔にしか見えなかった。
(もう同じことは繰り返したくない……そして、シロも絶対に傷つけさせない‼)
《ウロボロス》の仲間は守れなかったけれど、シロのことは最後まで守ってみせる。《ウロボロス》の時にできなかったことを、今度こそ果たして見せる――そう思うのはおこがましいだろうか。
決意を固め、顔を上げる深雪の眼には、先ほどとはくらべようもないほど強い光が灯っていた。
「……もう大丈夫だ、シロ」
「ユキ……?」
「後ろで見てて。すぐ終わるから」
少し強張ってはいるものの確かな笑顔を見せると、深雪の決意を察してくれたのか、シロはわずかに目を見開いて、刀の切っ先を下げた。
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