第42話 過去を知る者②

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 深雪の言葉を耳にした坂本は、挑発まじりに眉を吊り上げる。 「ふん、やるってのか。今さらだな?」  そう息巻く坂本に体を向けると、深雪は低く静かに告げた。 「……来いよ。殺し合いがしたいんだろ。相手をしてやるよ」  その瞬間、坂本はカッと目を見開く。 「くくく……言うじゃねえか! あの世で後悔するなよ‼」  大言壮語(たいげんそうご)を吐く深雪に侮られたという苛立ちと、ようやくこの手でぶっ殺せる機会を得たという狂喜。二つの感情が入り混じった地鳴りのような咆哮が、深雪を粉々に打ち砕かんと降り注ぐ。  しかし、深雪は怯まなかった。アニムス使って戦うことへの恐怖や迷いが無いではなかったが、それよりもシロの気持ちに応えたいという、まっすぐな思いが勝った。  シロに仲間だと言われて、言葉にできないほど嬉しかったし、それ以上に救われた気がしたのだ。  自分が東京に戻ってきたことも、今ここにいることも、まったくの無駄ではなかったのだと、そう思えるような気がした。彼女の想いに応える為にも、まずは行動で示さなければならない。  坂本は「しゃっ!」と鋭く叫ぶと、深雪へと踏みこみ、氷を纏った拳を叩きつけてくる。凍気の塊がパーカーの裾をかすめ、またたく間に布地の表面に霜を降らせた。  だが、坂本の拳は大振りなだけあって軌道も読みやすい。深雪は上半身を捻ってそれを避けた。坂本はなおも二度、三度と拳を振り回すものの、深雪は一定の距離を保ったまま、全ての攻撃を紙一重で受け流す。 「おいおい、どうした!? 逃げ回ってばっかりじゃ、さっきと変わんねえぞ‼」  攻撃が避けられるのは、坂本も織り込み済みなのだろう。一喜一憂することなく、ただ蛇のように執念深く拳を振り続ける。  深雪が右に避ければ坂本も右に追い、左に逃げれば坂本も左へと攻撃を繰り出す。二人は追いかけっこのように縦横無尽に廃墟の中を駆け巡った。  その様子を、シロは離れたところでハラハラしながら見守っている。 「テメエ……いつまでこのお遊びを続けるつもりだ? 殺り合うんじゃなかったのかよ、このヘタレ野郎‼」  深雪を追う坂本は焦れたように声を荒げる。重量感のある体躯といい、気の短い性格といい、長期戦には向いていないのだろう。はやくも息が上がりはじめている。  右手に嵌めた義手も、物々しいかわりにずいぶんと重そうだ。何度も振り回すには不向きだろう。 (そろそろか)  深雪ははじめて自分から動いた。右足を踏み込んで体にブレーキをかけて、進行方向とは真逆――坂本へ向かって飛び込んでいくと、右手の拳を坂本の鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。 「ふぐぉっ!?」  重量のある体は突然の方向転換に対応できないまま、深雪の拳は坂本の腹に直撃する。  坂本はまさか深雪が反撃してくるとはツユほども思っていなかったのだろう。三白眼の目を剥き出しにしていたが、すぐに余裕を取り戻すと、にやりと笑った。  お前のなまっちょろい拳など、痛くも痒くもないと言わんばかりだ。その鍛え上げられた腹筋は、ちょとやそっと殴った程度ではダメージを負いそうにもない。  だが、深雪もそれで終わらせるつもりはない。すかさず拳の中に握りしめていたビー玉で、《ランドマイン》を発動させる。  ボン、と重々しい破裂音が響いたかと思うと、次の瞬間には坂本の巨体は爆風に煽られ吹き飛んでいた。 「っがあ‼」  坂本の体はゴロゴロと地面を転がって、数メートル先でようやく停止する。いくら筋肉を鍛えていても、物理法則には逆らえないのだろう。一見したところ大きなダメージは無いようだが、深雪の目的は負傷させることではないので構わない。  今のところは狙い通りだ。  一方、地面に強かに体を打ちつけた坂本は、憤怒の形相を顔に浮かべてすぐさま起き上がった。 「て……てめえ……!」  よほど悔しかったのか、額には亀裂のような深いシワが刻まれている。深雪はやはり動じることなく、禿頭の男に静かに問いかけた。 「この下に何があるか知ってるか?」 「……何!?」  一瞬、怯んだ坂本は、はっとして地面に目を落とす。  深雪はそのタイミングを逃さなかった。瞳孔のフチを紅く光らせ、《ランドマイン》を発動させる。  しんとした月夜のもとで、突如として轟音が夜の静寂を切り裂いた。爆発が起こったのは、坂本のニメートルほど離れた場所だ。柱のような巨大な土煙が、天を突くように巻き上がる。  しかし、爆発はひとつでは終わらなかった。最初の爆発が起こった場所とは少し離れたところで、二つ目の爆発が起きる。それらは坂本を中心に円を描くように次々と爆発を起こしていく。 「これは……‼」  坂本も、さすがに焦りを見せた。目を凝らすと瓦礫で埋め尽くされた地面に、月光を浴びてキラキラと光るガラス玉が見える。それが爆発を起こしているのだと気付くが、もう遅い。  そのガラス片は、先ほど深雪が坂本の攻撃から逃げ回っていた時、巧妙に地面に落としてまわったビー玉だ。  爆破によって切り取られた円陣に幾筋も亀裂が入り、そのままガラガラと音をたてて崩れはじめる。その真ん中で膝を折る坂本は、狼狽をあらわにしていた。  この真下にあるのは、大型商業施設の地下部分だ。上の建物はすでに破壊され尽くし、原形を留めていないものの、その地下は大きな空洞になっている。 「そうか、てめえは《東京》の地理には詳しい。さっきからちょこまか動き回っていたのも……最初から、これを狙ってたってワケか……‼」 「俺はお前を絶対に殺さない。そしてシロも傷つけさせない」  それが深雪の答えだった。どれだけ挑発されても、坂本の思い通りにはなる気はない。大人しく引く気が無いのであれば、無理にでも距離をとるだけだ。  半ば呆然としていた坂本だが、深雪の意図に気づくや否や、両目に怒りをたたえてカッと見開いた。 「ふざけんじゃねえぞ! このまま俺を瓦礫もろとも崩落させて、それですべてが清算できるとでも思ってんじゃねえだろうな!?」  そう言って右の義手を天高く掲げたかと思うと、黒鉄色をした義肢の表面がパキパキと乾いた音を立てて、白く凍結していく。  《ヴァイス・ブリザード》によって氷点下まで一気に冷やされた空気が、風となって深雪の頬を撫でる。触れたところがそのまま裂け、血飛沫が上がりそうなほど凶暴性を帯びた風だ。 「認めねえぞ……これで終わりには絶対にさせねえ!」  坂本はそう吐き捨てると、上空に掲げた義手をそのまま崩落しかかった地面に躊躇なく叩きつけた。 「っらあああああああぁぁぁぁっ‼」  獣のように猛々しく吠えながら《ヴァイス・ブリザード》を発動させる。その直後、義手から溢れだした凍気が、地面に走った亀裂を繋ぎとめるように氷で覆ってゆく  低い地鳴りをたてて崩壊する寸前だった地面は、寸手のところで状態を維持する。  あと数秒でも《ヴァイス・ブリザード》の発動が遅れていたなら、坂本は今頃、瓦礫もろとも地下へと真っ逆さまだったろう。 「……そうきたか」  苦い顔で小さくつぶやく深雪に対し、坂本は優越感と侮蔑に満ちた不快な嘲笑をニヤリと返す。 「まったく……骨の髄まで偽善者だよ、お前は。だが忘れるなよ……俺はあきらめない。お前が生きている限り、どこまでも追っていく! どこまでも……な‼」  坂本が義手で作った拳(こぶし)をもうひとつの掌に叩きつけると、両肩の筋肉が山のように盛り上がり、ガシャンと金属の擦(こす)れる甲高い音が乱暴に響いた。  深雪は冷ややかにその言葉を受け止めていた。もう逃げないと腹をくくったせいだろうか。坂本の威嚇を浴びても、さして危険だとも、恐ろしいとも思わなかった。 「……悪いけど、俺はお前に大人しく殺されるつもりはない」 「はん? 抵抗することができない、の間違いじゃねえのか? 俺が怖いんだろ? 生まれたてのヒヨコみたいに、ビビっちまって反撃もできねえんだろ‼」  坂本は「ヒャヒャヒャ」と下卑た笑い声を立てる。 「好きに言えよ。だけど……そっちこそ見苦しい言いワケはやめたらどうだ?」 「何だと……!?」  坂本は不快な笑みをすっと引っ込めて、ぎろりと睨みつけるが、深雪は怯むことなく冷徹に続けた。 「お前は俺の目の前で田中を殺した。ずいぶん手慣れた様子だったよな? ほかにも何人も殺ってるんだろ。それが全部、仕方のないことだとは言わせないぞ」 「へっ……だから言ったじゃねーか、そうさせたのは、全部お前の過去の行いのせいだってよ! この世界はな、ゴーストになった瞬間に真っ当な人生は歩めないようにできてるんだ。お前らのせいでできた、あの《壁》のおかげでな!」  その言葉とは裏腹に、坂本はへらへらとした反吐の出るような表情を浮かべていた。それが坂本のすべてを物語っていた。  口ではもっともらしいことを言っているが、その実態は己の欲望のままに行動する魑魅魍魎(ちみもうりょう)そのものだ。他者を傷つけ、強奪することに何の躊躇いもない一方で、都合の悪いことはすべて他人のせいにしている。  深雪やシロをしつこくつけ狙うのも、深雪がにらんだ通り、汚名を挽回(ばんかい)したいという己の欲望を叶えるために過ぎないのだ。  その歪んだ本心に、表面だけ飾り立てて理論武装をしているが、それも所詮は不格好なハリボテに過ぎない。
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