第45話 流星とマリア

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「そういや、お前さ、奈落とつるんで何かしてただろ」 「……!」  流星がさりげなく話を向けると、マリアはぎくりと身を強張(こわば)らせ、でれんと細めていた眼を剣呑(けんのん)に見開いた。 「……だったら何よ?」  反抗期の子どものようなふて腐れた返事に、流星はつい(ほほ)をゆるめた。どうやら悪だくみは早くも暗礁(あんしょう)に乗り上げたものらしい。 「あんま無茶するなよ。波風(なみかぜ)立てて自分の立場を悪くするのは、あまり賢明(けんめい)とは言えねーぞ」  するとマリアは、何故だかますます声を尖らせた。 「流星こそ、らしくないマネ、しないでよ」 「何がだ?」 「深雪っちの言葉に動揺(どうよう)したでしょ。だから所長の命令に反対したんじゃないの? 流星はついこの間まで『あっち側』の人だったもんね。ああいう屁理屈(へりくつ)は共感できるんじゃない?」  愛嬌(あいきょう)のあるウサギのマスコットは、なにかを(とが)めるような、疑いの視線を向けてくる。それで、ようやく流星は合点(がってん)がいった。先ほどから当りが強いと思っていたが、マリアは流星が六道に盾突(たてつ)いたことに腹を立てていたのだ。 「何だ、そんなこと気にしてたのか」  流星はあきれ半分に答えた。回りくどい事などせずに、そうならそうと最初から言えばいいのにと。 「……そうじゃない。俺は奈落とは違って、国家権力ってやつの怖さを知ってるからな。いやでも慎重(しんちょう)になる。実際、今回みたいなケースは二度とごめんだ」  上司である六道の命令には従ったものの、それでも《死刑執行対象者リスト》に登録されていないゴーストに手を下すことには賛同できなかった。  六道の考えも理解はできる。しかし、法的な手続きを無視し、国家権力を敵にまわすべきではない。たとえゴーストであってもだ。それが流星の考えだった。 「……俺たちは自分の力で生きてるんじゃない。《壁》の中で飼われてるんだ。権力って奴が本気になれば、アニムスがあろうとなかろうと一瞬で圧し潰される……それが現実だ」  そして最後に付け加える。 「ただ、そう思ったから反論しただけだよ」 「……だったらいいけど」  マリアはさっきより少し(かど)の取れた口調で小さく答えた。完全に信じたわけではないが、とりあえずは納得した――そんな様子だ。  流星は、マリアの言動の裏側にある危機感のようなものを敏感に嗅ぎ取っていた。それは不安や恐れだと言い換えてもいい。  マリアのその感情がどこから来るのか、流星は何となく察しはついていたが、今はあえて触れなかった。かわりに真顔になってマリアに告げた。 「安心しろ。もし何かあったとしても……お前を一人にしたりしねえよ」  ところがだ。流星としてはそれなりに誠意をもって答えたつもりだったが、マリアは(こけ)でも生えそうな、じっとりとした視線を返してくる。 「……ふ~ん、いつもそうやって女の子、口説(くど)いてんだ?」 「おおっと、何でそういう発想になるのかな、マリアちゃん!?」 「でも残念だったね。あたし、流星のこと何とも思ってないから。そういうのマジ、キモいだけだから」 「だから違うっつーの! なんで俺が口説いてんの確定なんだよ!? そもそも俺にだって趣味嗜好(しゅみしこう)っつーもんが……」  しかし、流星のセリフをさえぎるようにして、マリアは低い声でぽつりと言った。 「……裏切ったら許さないよ」 「マリア……?」 「あたしたちは、みんなクズだよ。奈落も神狼もオリヴィエも……もちろんあたしだってそう。《死刑執行人(リーパー)》にしかなれないし、それ以外じゃ己の価値すら見出せない。殺して奪って、それしかできない、どうしようもない最低のクズ」  マリアはなおも張りつめた声でつぶやく。 「それなのに、一人だけそこから抜け出そうなんて……そんなの絶対に許さない」  ウサギのマスコットはのん気にぷかぷかと宙に浮いているものの、その声がいつものマリアからは考えられないほど弱々しく、頼りなげに感じたのは気のせいだろうか。  わずかばかりの沈黙の後、流星は長いため息を吐き出した。 「分かってるさ。俺も同じだからな。……自分で選んだ道なんだ。今さらおめおめと戻る気はない」  警官の職を辞した時、何もかも忘れて平穏に生きるという選択肢もあった。だが、流星はあえて《死刑執行人(リーパー)》になる道を選んだ。決して忘れてはならないと思ったからだ。死んでいった同僚(仲間)のことを。そして、どうしてもこの手で殺さなければならないゴーストがいることを。  それが誤った道だと、最初から重々承知(じゅうじゅうしょうち)している。理解していて、自分から飛び込んだのだ。今さら体裁(ていさい)のいい正義を振りかざすつもりはないし、善人ぶるつもりもない。 「けど……お前は本当にそれでいいのか?」  流星はマリアに尋ねた。 「本当はいつだって、この事務所から出ていけるんだぞ」  流星は望んでこの場にいるのだから構わない。しかし、マリアは流星とは少し立場が違う。彼女は半ば強制的に、この事務所に閉じ込められているのだ。本当はいつでも出ていける。本人が情報屋を辞め、普通の人生を望むのであれば、いつでも。  しかし、マリアは肩を(すく)めて答えた。 「今はいいよ、この仕事けっこう楽しいし。それに……まだやんなきゃいけないことがあるから」  先ほどよりいくぶん明るいマリアの口調に、流星もつられるように表情をゆるめる。 「……そうか、とにかくひとりで突っ走んなよ。あとリハビリはちゃんとしろ」 「うっさいなあ……まあ気が向いたらね」  相変わらず可愛げのない返事を寄こすマリアに、流星は苦笑を()らす。  流星も考えないわけではない。かろうじて平穏といえるこの街の状態が、いつまで続くのかと。  事務所の許容量(キャパシティー)は、すでにいっぱいいっぱいだ。現にひとつの事件が終わったばかりなのに、もう新たな事件が発生している。モグラ叩きなら、まだいい。だが現実は一匹のモグラを叩く前に、次から次へと新たなモグラが顔を出しているというのが実情だ。振り子のバランスは危うく、いつ土台から転げ落ちてもおかしくない。  積み上げるのは難しく、崩れ去るのはあっという間だ。だからマリアが神経質になる気持ちも分かる。異変に気づいた時にはたいてい、手遅れになってしまっているのだから。  だが、とりあえず今は目の前の厄介(やっかい)ごとを、ひとつずつ片付けるしかない。災厄(やくさい)の芽を潰していくことが、破滅(はめつ)の未来を阻止することにも繋がるだろう。  流星は再び《CIEL(シエル)》の分析表に目を落とすと、小さくため息をついたのだった。
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