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第46話 九曜計都《くよう・けいと》
関東収容区管理庁――通称の長官、九曜計都から非公式の連絡が入ってきたのは、昼を過ぎて間もなくのことだった。
《収管庁》長官は、《監獄都市》における行政の最高責任者だ。地方自治体でいう知事のポジションに相当するが、知事と違って選挙で選ばれるわけではなく、内閣総理大臣によって任命される。
ただ、《収管庁》長官のポストは政治家や官僚にとって出世に有利とは言いがたく、たとえ手柄を立てたとしても、それが経歴に数えられることもない。何故なら外の人間は、《壁》の内側にほとんど興味を示さないからだ。
よって代々の長官は無気力で無責任な者が多く、それが《収管庁》の機能を麻痺させ、《監獄都市》の混乱にさらなる拍車をかけていた。
しかし、九曜計都はそれらの前任者とは一線を画していた。《収管庁》長官に任命されるや否や、《収管庁》内にはびこる汚職を一掃し、街の治安と秩序の安定に全力を挙げ、凶悪なゴーストは片っ端から《死刑執行対象者リスト》に登録していった。当時、彼女が法務省の審議官と激しい口論をする姿がたびたび目撃されている。
現在、《監獄都市》の平穏がどうにか保たれているのも、ひとつは彼女が辣腕を振るったからだ。
六道たち《中立地帯》のゴーストにとって歓迎すべき部分も多々あるが、九曜計都は決してこちらと合い入れる気はないらしい。彼女はゴーストを憎んでいる節がある。その憎悪は《死刑執行人》にも同じように注がれているのだ。
いずれにせよ、手ごわい相手であるのは確かだ。
(それにしても……)
やれやれ、さっそくか――六道は自室の椅子に背を預けつつ、左手で眉間を揉みほぐす。今回の連続猟奇殺人事件を解決するにあたって、少々手荒な手段を用いた。それをはやくも嗅ぎつけて、釘を刺しにきたのだろう。
普段の業務や部下の監督に対しても、同じくらい仕事熱心であれば良いのだが。六道は胸中で嫌味を言いつつ、無視するわけにもいかないので、マリアに命じて通信回線を繋がせた。
九曜計都は女性とは思えないほどのハスキーボイスの持ち主だ。年齢は四十代とまだ若く、声質は加齢というよりは生来のものなのだろう。
「稼業は、はかどっているようだな、東雲六道。どうだね、景気は? ずいぶん派手にやっているようだが?」
慇懃な口調ではじまった会話に、六道はわずかに顔をしかめた。九曜計都が機嫌よく振る舞う時は要注意だ。そういう時ほど、彼女の機嫌はすこぶる悪い。
「ええまあ、おかげ様で上々ですよ」
短く答えると、九曜計都は喉の奥でクツクツと楽しげな笑い声を立てる。
「それは良かった。ただ……気を付けたまえ。君は少々自分の仕事に没入しすぎる嫌いがある。過労は命を削るからな。我々としても、それは大いに困るのだよ。君が巷で何と呼ばれているか知っているよ。《中立地帯の死神》……ははは、よほど恐れられているようだな。まったく、君とは良好な関係を築きたいものだ」
「勿論、こちらとしましても……」
気味が悪いほどの賛辞とねぎらいに、六道が内心で閉口していると、さっそく計都のほうから斬りこんできた。
「いい気になるなよ」
ザラリとした声音は、ヤスリのごとく鼓膜を薙いだ。禍々しく光る凶器を首筋に突きつけられたような緊張感に、和やかな会話の空気が一変する。
「ゴースト風情が法を超越しようなぞ、笑止千万だ。こちらがその気になれば、いつでも貴様らを一掃できるのだぞ……『証拠』などなくともな」
「……」
やはり計都は、こちらが《リスト登録》していないゴーストを殺したことを、すでに把握しているらしい。ただ、彼女は六道たちが未登録のゴーストを殺害したことに激怒しているのではない。《収管庁》を軽んじたことに立腹しているのだ。
「……忘れるな。ゴーストはみな《壁》の中で生かされているのだということを。貴様はただ、我々の敷いたレールの上を大人しく走っていれば良いのだ」
そして禍々しいまでに妖艶な声でささやく。
「貴様のかわいい子飼いのゴーストたちを、《リスト登録》されたくはないだろう?」
痛いほどはりつめた沈黙に、しばらく互いに無言だった。
これが計都の本性だ。女性だからといって物腰が柔らかであるとは限らない。むしろ性格は並みの男性より苛烈だと言ってよく、時に恫喝や脅しすらも用いて、力づくで相手をねじ伏せてきた。
そこに悔恨や恥じらいといったものはない。それが九曜計都という女なのだ。
だが、六道とて踏んできた場数なら決して負けていなかった。たっぷりと間を溜めたのち、鷹揚に口を開く。
「何のことだか、さっぱり分かりかねますな。長官殿こそ少々、働きすぎでは?」
「……何?」
計都は今にも噴火しそうな唸り声を発するものの、六道は反論の余地すら与えず、ひと息にたたみかける。
「そういえば……こちらもお話差し上げなければならないことがあるのですよ。最近、《収管庁》のお役人の間では夜遊びが流行っているようですな。なに、《中立地帯》であればそれも良いのですがね。《新八洲特区》や《東京中華街》に頻繁に入り浸るのは、いささか問題ではないかと」
「……!」
わずかに怯んだ計都に、今度は六道が重々しくささやく番だった。
「連中は非合法の闇組織です……それを決してお忘れなきよう」
一度、傾いた組織は、なかなか立て直すことがむずかしい。癒着や賄賂といった体質の改善は容易ではなく、いかに厳しい粛清を行ったとしても、気を抜けばすぐに腐敗がはびこる。
《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》といった連中も、隙あらば《収管庁》の人間を取り込もうと手ぐすねを引いているから、よけいに性質が悪い。
どうやら痛いところを突かれたようで、計都はもはや体裁を取り繕うことなく、不機嫌さもあらわに吐き捨てる。
「それに関しては、こちらも把握している。お前は口を出さずとも良い。ともかく、私の在任中に問題行動は断じて許さん。思い上がりは厳に慎むことだ。……君も、少しでも長生きしたいだろう?」
計都は意味ありげな口調でそう締めくくると、最後に一切の感情をそぎ落とした冷淡な声で言い放った。
「今の『仕事』を続けたければ、己の身の程をわきまえろ。……話は以上だ」
そう言い終わると同時に、通信はブツンと一方的に切られたのだった。
部屋に静寂が戻るとともに、疲労がどっと押し寄せてきた。六道は椅子の背に体を深く沈めると、我知らずつぶやいていた。
「やれやれ……これではいったい、どちらが闇組織だか分らんな」
一筋縄ではいかないと覚悟していても、真剣で斬り合うような会話は、やはり神経をすり減らす。こちらも何も怠惰で《リスト登録》しなかったわけではないのだが、計都にそれを訴えたところで意味は無いと、六道も知っていた。
口ではああ言ったものの、彼女が東雲探偵事務所のゴーストを《リスト登録》することは無いと考えている。もし事件の犯人を取り逃がし、《新八洲特区》や《東京中華街》へと逃げ込まれたら、苦境に立たされるのは《収管庁》も同じだ。面子を失うどころか、ただでさえ少ない支持や信頼までもが、損なわれてしまう。
こちらと敵対し、気に食わないと排除することに益は無いと、計都も理解しているはずだ。
とは言え、九曜計都が油断ならない相手であることに変わりはない。彼女を本気で怒らせたなら、どんな手を使ってでもこちらを潰そうとしてくるだろう。今回はやむを得なかったとはいえ、やはり《リスト登録》を軽んじるべきではない。
もう二度と、目の前で仲間や部下を失うのはゴメンだ。
昔のことをふと思い出し、六道は遠い目をした。
東雲探偵事務所を立ち上げてからおよそ十年。両手の指では足りないほどの仲間と力を合わせ、凶悪犯ゴーストと戦ってきた。
根底にあったのは、少しでもこの街を良くしたいという強い想いだ。東京にかつての繁栄を取り戻すことはできなくとも、せめて秩序だけは取り戻したい。普通の人が、普通に笑える、普通の街にしたい。その一心で寝食をも忘れ、仲間とともに奔走した。
その仲間も、今は誰一人として生き残ってはいないが。
いつの間にか自分が感傷に浸っていることに気づき、六道は苦笑した。このところ、昔を思い出すことが増えた。そういう時、否が応にも思い知らされる。自分がとうの昔に役目を終えたがっているのだと。
だが、まだ立ち止まるわけにはいかない。まだ、やらなければならない事がある。それを果たすまでは、過去を振り返って懐かしんでいる暇などないのだ。
たとえ目の前に伸びるのが、誰かによって強制的に敷かれたレールだとしても―――――最後まで走り抜けるだけだ。
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