kiss. 7

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 好きなだけコケ野郎を罵って、泣いて、それでも好きだと言う彼女受け止めて、やっと篠原おとはの輪郭が見えた気がした。結構、踏み込まないと、おとはは本心を見せないし、見せた本心も複雑だ。  迷路みたいな女。  きっと俺は一生彼女のこと分からないんだろうな。でも、そばに居たい。 「拓未、一緒に寝るんでしょ?」  泣き止んだ彼女は腕の中で俺を見上げた。 「そう、だな……」  下心は抑えているし、性欲がメインな訳じゃない。訳じゃないが、体が反応するのは生理的に致し方ない。 「……シャワー借りる」  先に浴室を借りて、シャワーを浴びて出てくると、おとははたこ焼きの食器や機械を洗って片付けてしまっていた。 「服、それ、そのままだけど、なんか貸そうか?」 「いや、いい。明日の朝に一旦、家に帰るし。明日休みだから」  明日は月曜日。 「そっか、じゃあ。わたしもシャワー浴びてくる。あと……」 「あと?」  俺が聞き直すと、おとははスマホを持ち上げて言った。 「陽一郎、今日は彼女の家に泊まるって」  浴室に向かう短い栗色の髪を見ながら、それは誘っているのか、一体何なんだ、とおとはから出された、迷路のような言葉に迷いこみそうになる。  おとはの事だ。  結局は俺の事は好きじゃない、チャイロとシロと一緒と言われるのがオチだ。コケ野郎が1番なのは変わらない。  もう、2番でもいいか。  いや、良くない。  良くないが、少しでも入り込む隙間があるなら、と悶々と考えているとおとはは風呂から出てきた。  髪の毛も乾かしている。 「ちゃんと、乾かしたよ。拓未が切ってくれた髪すごく扱いやすい」  笑顔で俺を見ていると考えていたことがどうでも良くなってきた。 「それは良かった」  返事をして彼女の部屋に一緒に向かう。 ◇  恋人でもセフレでもない俺たちの関係はなんて言うんだろうか。  ……なんて、柄でもないな。 「本当に寝るだけ?……交尾してもいいよ?」  おとはは誘うように俺を見て銀のフレームベッドに座った。  誘惑の言葉に「じゃあ、抱いてやるよ」と交尾をしないと言った過去の発言を翻してやりたくなる。  でも、言いたくない。  俺が欲しいのは身体じゃない。 「……うん、寝るだけ。キスはしていい?」  今まで聞きもせずにしていたけれど、彼女から言葉を聞きたかった。 「……いいよ」  彼女の返事を聞いて、頬に手を伸ばす。  ベッドに座ったおとはの頬に顔を寄せて、唇を頬に押し当てた。  シャンプーの匂いとボディソープの清潔感が漂う匂いが煽情的でこのまま彼女をベッドに押し倒して唇にキスをして、その後、全身にキスしてしまいたくなる。  でも、今日はそうはしない。我慢。  唇を頬から離して、彼女の目を見つめた。  大きな瞳に俺が映る。  やっと、ちゃんと、落ち着いて俺の気持ちを伝えられる。  緊張して喉が熱くなる。 「おとは」  名前を呼ぶと、ん、と短く返事が帰ってきた。 「おとは。もう何度も言ってるけど……俺は、お前が好きだ。それは、今までどんな女にも思った事ない気持ちで、俺はずっと一緒に居たいと思ってる。だから、交尾するって簡単に言うな」  おとははそれを聞いて、ふふふ、と笑った。 「そんな事初めて言われた。男って交尾して後腐れない女の方が、都合がいいんじゃないの?」 「……まぁ、そう言う節があるのは否定しない。でも……」  俺はベッドに腰掛けたおとはに視線を合わせるように膝を曲げた。  そのまま真っ直ぐ、彼女の脇腹に両手を回して、腰に手を触れる。  目線が重なる。 「おとははもっと自分を大事にしろよ。寂しくなったら俺を呼べ。交尾もしたいって言うんだったら俺だってしたい。けど、それはコケ野郎の事が整理できてからだ。じゃないと、お前が前に進めないだろ」 「女にも性欲があるんだけど……」  おとはは本当に俺の気持ちを振り回す天才だ。  予想もしなかったその言葉にたじろぐ。  大きな瞳が俺を見ている事に耐えられなくなりそうだった。 「そうだな、俺だって、正直ヤりたい。けど、もう、俺さ」  おとはから目線を逸らす。 「食欲も、睡眠欲も、お前で満たされてんだよな。これで、そこまで満たされたら、それこそおとはに責任とってもらわないと、自分がコントロールできなくなりそうなんだよ」  その言葉におとはは笑って、俺の頭に手を伸ばした。  俺の頭をゆっくりと撫でる。  抑揚のある優しい声で言った。 「拓未は優しいね。そこまでわたしの事考えてくれてるの?」 「……悪いかよ。もう、おとはの事でこっちは頭がいっぱい。だから、今日はあんまり誘惑しないで欲しい。俺、こう見えて、かなり我慢してる」 「我慢してるんだ。じゃあ、今日はわたしも素直になって意地悪言わないでおくね。一緒に寝よう、拓未」  彼女はふわりと笑って、横になった。 「でも、あんまり近すぎると布団の中で我慢できなくなるから、背中合わせでお願いします」  俺のその言葉におとはは、ふふふ、と笑っていいよ、と返事をした。  俺は背中合わせで布団に入った。  触れ合っているのは背中だけなのに、キスしてるみたいにドキドキする。だけど、布団の中でおとはの匂いがして癒されたような気持ちにもなる。 「………あ、」  俺は短く声を出して、おとはの肩を叩いた。 「何?」  おとはは振り返って、俺はおとはの唇を見つめて、我慢して、彼女の(ひたい)にキスをした。  同じベッドに横になっている状態で、唇にしてしまうと最後まで止まれなくなりそうだった。だから、(ひたい)。  今日の俺の精一杯。  頑張って我慢した自分を褒めたい。 「おやすみのキス、これして寝たかったから」  おとはは笑って、おやすみ、と言った。
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