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動物病院の扉を勢いよく押しあけると、おとはの父親が目を丸くして俺を見た。
「ーー……あ、律川くん」
名前を覚えてくれていたようで、彼は俺を見て朗らかに笑った。
「おと、は、いな、いん、ですか?」
息が切れて、言葉が途切れ途切れでいると、急いで来たの?と彼は立ち上がって、俺に椅子を勧めてくれた。
息を整えながら言葉を紡ぐ。
「よ、陽一郎から、電話を、貰って」
俺の返事に、彼はそう、と笑った。
「わざわざ、来てくれたんだね。ありがとう」
いえ、と首を振って、顔を見ると諦めたような悟ったような顔で通りに目を向けた。
「おとはは、昔から変わった子でね。なんて言うか、人より動物が好きで……、友達もそんなに居なかったし、よく動物に話し掛けて、返事がないから楽とか言ってて、親としては心配してたんだよ。好きになった人も変わっててね、動物の写真家? 世界の動物を撮って回ってるから、日本にいる期間も限られてるし、なんせ人間っぽくない人だったからね。動物が好きな者同士でうまくいってるのかなぐらいに思ってたけど……」
「山郷くんと一緒に世界を自由に動き回りたかったんだろうかね。親でもあのひねくれた子の気持ちは分からないんだよ。律川くんに会うのは2回目だけど、君の方がよっぽど分かりやすい。おとはが心配で走ってきてくれたんだよね?」
そっすね、と返事をして、彼を見た。
陽一郎によく似たすっきりとした顔で髪の毛は薄く白髪混じりだが親の顔をしていた。俺の父親はこんなに喋らないから、何を話していいのか分からないが、見透かされているような気持ちにもなる。
この気持ちはおとはにも感じた事がある。
動物の医者は喋らなくても心を感じ取る能力が育つのだろうか。
少し不思議な、感覚。
分かられているのに嫌じゃない。年の功ってやつ、か。
「おとは、もう帰ってこないんですか?」
本音が漏れて、あーあ、と思ったが落ちた言葉はもうおとはの父親に受け止められてしまった。
「どうだろうね。山郷くんを引っ掻いて、噛みついて連れて帰ってくるんじゃないかな。まぁ、30過ぎた娘だからね。もう、好きにさせてみるよ。しばらく様子見てみる。あの子を相手にするなら、振り回されないようにどっしり構えることが大事だからね。律川くんも、来てくれてありがとう」
頭を下げられ、恐縮する。
「いえ、こちらこそ、すいません、急に押しかけて。居てもたっても居られなくて気づいたら必死で走ってました。とにかく、俺にも連絡があったらーーって多分なさそうですけど、お伝えします。おとはが帰ってきたら、俺にも教えて下さい」
「……律川くんは、おとはと仲良くしてくれてる美容師さんってだけじゃないの?」
「おとはがどう思ってるかはもう分からないですけど、俺は彼女に好意を持ってます。彼女には幸せになって貰いたいんです。それが、コケーーじゃない、えーと、緑、さんと幸せになれないのなら容赦せず俺が幸せにしたいと思っています。おとはより、年下で、あんまり相手にされてないんですけど、自分が出来る事は全部したいんです。って、おとはのお父さんにこんな事言ってすみません。でも、本気です」
おとはが居なくなったと聞いて、衝撃を受けて訳分からなくなって、彼女の家まで走って、職場まで押しかけて、父親にまで自分の想いを語って、バカを通り過ぎてなんだか滑稽な自分を笑ってしまう。
でも、本気だ。
バカみたいに本気。
彼は、今度は、ふぅと息をついて笑った。
この笑い方はおとはに似ていた。
「律川くんは素直だね。分かりやすいってよく言われる?」
「いや、素直は最近言われますけど、分かりやすいは初めてです」
「………そうか。おとはに足りないのはそこだな。今日は来てくれて本当にありがとう。そこまで娘を想ってくれて嬉しいよ。またおいで」
彼にそう言われて、俺は立ち上がって、動物病院を後にした。
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