しめた感傷

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 喫煙所でコーヒーを手に、坂下は数年ぶりの煙草に火をつけた。  こんな不味いもの、よく吸ってたな。それが素直な感想だった。しかし、そうは思いながらも、煙草を口に運ぶ自分がいた。  その時、吉田がこちらにやって来た。 「おい、辞めたんじゃなかったのか?」  何度も禁煙に失敗してきた吉田は、嬉しそうな顔で坂下に目をやった。 「見ての通りですよ。またそちらの仲間入りですね」 「なんだよ、それ。まあ、大歓迎だけどな」  嬉しそうに吉田は、煙を吐いていた。そんな吉田に目を向けていると、何かを思い出すかのように、口を開いた。 「そうだ。お前の方は解決したのか?」 「何がですか?」 「女だよ。女」  坂下は、驚きを露わに見せた。吉田はチラリと笑みを見せて、缶コーヒーを口に含んでいた。 「どうしてそれを?」 「お前が考えている事なんて、お見通しだよ」 「でも、吉田さんには何も言ってないですよね?」 「馬鹿。第一、お前は分かりやすいんだよ。俺があの時お前に声をかけていたなんて、気が付いてなかったろ?」 「あの時?」 「この間の質屋だよ」  確かに吉田の言う通りだった。 「よく見たら、女の名前が書いてある書類をじーっと見ながら考え深けてやがって。どうせ、知り合いの女なんだろ。どうだ? 当たりだろ?」  坂下は抵抗せずに、素直に頷いた。 「ったく。で、どうなった?」 「まだ何も。だけど、別れようと思っています」  坂下は、はっきりと決めた意思を吉田に告げた。  それは、夏海のマンションから帰っている時から、決意は固まっていた。  夏海が嘘をついている。それは坂下にはすぐに分かっていた。  あの日。夏海の名前を見つけた時から、その事実はもう変える事ができなかった。その資料には、はっきりとバッグのシリアル番号が記載されていたのだ。  職業柄、あらゆる物のシリアル番号に目を通す癖が付いてしまっていた。それは自然と、数字と記号がはっきりと記憶に焼き付いてしまう。我ながら、厄介な癖だと今回の件で痛感していた。  何回も喧嘩を重ねてきたのに、終わりがぼんやりと見えると、不思議と何も言葉が出てこなかった。結局、最後はこんなものなんだ。そう思っただけだった。  それにしても、今回の事件は皮肉なものだと思った。浮気相手の男からもらった物を返して欲しいとせがむ人間がいるわけだから。世の中には、恋人関係にもあるにも関わらず、簡単にプレゼントを売られる人間もいる。そこにどんな理由があろうとしてもだ。  何があるかわからないものだと、身を持って味わった。 「良いのか?」  吉田は、坂下に問いかけた。 「構いません。元々、喧嘩も多かったですしね」 「そうか」  吉田はそう言って煙草を揉み消し、部屋を出て行こうとした。 「吉田さん」  坂下は吉田を呼び止めた。  「なんだよ?」 「本当に、わかってたんですか?」  坂下は、浮かんだ疑問を問いかけた。 「何? 俺を疑ってるのか?」 「いえ、そういうつもりじゃなくて」 「ったく。あのな、同じ男なら一人や二人、似たような経験をしてる奴もいるってことだよ」  そう言い残して、吉田は部屋を出て行った。  また照れやがって。先輩の背中に、坂下は笑って見せた。 「あんたに着いて行きますよ」  胸の中でそう呟いた。
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