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カレー雑炊
オレは歩道を急ぎ足で、セルフのうどんチェーンへ向かっている。春とは名ばかりのこんなに寒い夜は簡単に食べれて身体が温まるものが一番だ。すでにメニューは決まっている。
カレー雑炊。
もちろんオレだけが発見し得たレシピに基づく誰も知らない究極の一品である。
*
そもそも、セルフ化が進んだチェーンのうどん店は流れ作業的に出汁とトッピングを客自身に任せている。調理行程と時間を切り詰めることで利益を出すためだ。それに食事処である限りは御飯メニューも少なからずラインナップされている。
オレはそこに目を付けたのだ。
オーダーした『和風カレー丼』に、うどん用のネギと生姜をトッピングし、そこに熱々のうどん出汁をセルフでたっぷり注ぎ入れる。そうだ。これだけで個人メニューの『カレー雑炊』の出来上がりなのだ。
湯気を立てるカレー風味に仕上がった出汁と白米のハーモニー。茶漬けのように胃袋に掻きこむ爽快感。寒い夜には、これに勝るものなしと言っても過言ではない身も心も温まる滋味。さっきまでの歯科医院の拷問も許せるテイストだ。
*
混みはじめる直前。店に着いたオレはトレイを持って注文口の前に立った。
「ふぁれーだん」
しまった! 麻酔が効いてて呂律が回らない!
カレー丼だ。オレが言いたいのは、ただ一言。カレー丼なんだ!
「はぁ?」と言う若い店員に、気を取り直してオレは再び口を開いた。
「ふぁれーだん」
「ファニー団……ですか?」
ファニー団だと? 何だそれ。面白い団体か何かか、若造?
どこの世界に、うどん店でサーカス団みたいなものをオーダーするボンクラがいるんだ!
ここでもオレの心の叫びは相手に届かない。いや。届かないどころか曲解されてしまう……。
チラリと横に目をやると後ろには、すでに家族連れが2組も並びはじめているじゃないか。しかも、すぐ後ろの子供たちは、どうみても小学校の低学年。地球上で待つことに一番不慣れな種族だ。あと1、2分もすれば、「まだ、待つの?」と大声を出して店内で鬼ごっこをし始める可能性が大きい。
頼む、若者よ! 早く理解してくれ。もう一度、オレの口の動きを読んでくれ。いいか、口の動きだぞ!
「はい。何にしましょう?」
オレが三たび、同じ言葉を口にしようとした丁度その時、見かねた年配の女性スタッフが若者に取って代わった。見るからに落着いた古参の小隊軍曹然とした佇まいにオレは落ち着きを取り戻し、さっきよりもゆっくりとオーダーを口にした。
「ふぁーりーたぁん」
一瞬の静寂。
伝わったかどうか不安だったが、女性スタッフは納得したように「あぁ」と頷いて注文口のオレに顔を近づけた。
「お客さん、カニ丼ね。すみませんねぇ。うちの店の蟹フェアは来週からなんですよ。天婦羅ならカニかま天がありますけど、それなら天婦羅のブースで……」
オレは愛想のいい小隊軍曹を遮ると客側からしか見えない写真のメニュー表を指差し、オーダー品が和風カレー丼であることを身振り手振りで必死に伝えて、やっと晩御飯の元を手にすることができた。
*
目的の品は手に入った。
ただ、この夜の『カレー雑炊』は歯医者のうがいのぬるま湯と同様に、弛緩した右の口元から、だらだらとこぼれ落ち、食べ終わる頃に身は辛うじて温めてくれはしたが、心まで温めてくれるものではなかった。
了
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