惑星ズヴェツダの丘の上で

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 ザワザワザワ・・・・・・。  冷たい夜風がワタシの身体を打った。一番目の月ルチシーの行方に注目していたワタシは、その冷たさで目が覚めた。ブルブルと大きく揺らしたワタシの身体から、青白い月の光が辺りに飛び散った。  ワタシは風が好きだ。動きが不自由なわたしに、風は新しい刺激を運んでくれる。この冷たい夜風もそうだ。底にある重い塊のせいで動きが鈍くなっているワタシの心に、意識をはっきりとさせる刺激を運んできてくれたのだ。 「もうそろそろだな・・・・・・」  心の中で風に礼を言いながら、ワタシはルチシーの見える角度を基に時間を計算した。  ワタシのいる場所から北西に見える峰にルチシーが隠れ始めたころ、反対側の地平線からそれを追うように二番目の月ドノイクシが姿を見せ始めた。わずかな時間、二つの月の光は溶けあったものの、見る見るうちに、この丘を照らす月明かりは、ルチシーの青白い光から、ドノイクシの白黄色の光に塗り替えられた。  さあ、時間だ。あの林の向こう側からカレがやってくるはずだ。ほら・・・・・・。  ワタシの期待したとおり、カレは、いつもの場所から、いつもの時間に、いつもの格好でやってきた。  深夜にもかかわらず、ドノイクシの明かりがあれば十分とでも言うように、カレはワタシの方へ確かな足取りで向かってきた。細身でどこか中性的な雰囲気さえも感じさせるカレは白いシャツに身を包んでいた。だが、夜闇の中で林と下草の濃い緑を背景に歩くカレは、白黄色の光そのものを身にまとっているように見えた。  夜風がカレのやわらかな前髪を触って、はしゃいでいた。カレの足元では、下草がキュッキュッと歓声をあげていた。  そう、ワタシは、ワタシたちは、カレが大好きなのだ。  ゆっくりと丘を上がってきたカレは、ワタシの下に辿り着くと、ワタシの身体に手を触れた。 「やぁ、今日もやってきたよ。すごくきれいな月が見えるね」  ワタシは、歓びでザワザワと全身を震わせた。カレは丘を見下ろせるように振り返ると、ワタシに背を預けて座り込んだ。  ワタシは、この丘の上に立つ古木。ワタシは、ワタシたちは、カレと過ごすこの時間を愛しているのだ。 「ねぇキミ、本当に今日が最後なのかい」  しばらくの間、ワタシは月星の運行に目をやりながらカレと交わすとりとめのない会話を楽しんでいたが、最後にはこう聞かずにはいられなかった。それはずっとワタシの心の奥底に沈んでいた塊であって、本当は一番初めに聞きたかったことなのだ。 「うん、そうだよ。今日が最後。明日になれば、僕はこの星からいなくなるよ」  今ではワタシの足元の草むらに仰向けに寝転びながら、カレは何事でもないかのように答えた。真っすぐに立てた右手の人差し指には、小さな虫がとまっていた。虫はしばらくカレの指を上下していたが、意を決したように、青暗い夜空に向けて飛んで行った。 「そう、なんだ。前にキミが話していたことに、変わりはないんだね」 「そうだよ、だって君も知っているじゃないか。僕たちは、すべてあのディスクに従って行動している。あのディスクには僕たちがやるべきことが、余すことなく記されているからね」 「金のディスクか。非常事態対応マニュアルとかいうものだったけ・・・・・・」  ワタシが知っていることは、カレから教えられたことだけだ。それでも、カレが何を言わんとしていることはわかった。  この星にカレらの祖がやってきたのは、一体どれほど前になるのだろうか。あの月星が輝く空の一角から降り立ったカレらは、この星にズヴェツダという名をつけると、今は黒い壁のように林立している木々の向こう側に半透明に輝く巨大なドームを作りあげ、その中で生活を始めたのだった。  それはワタシがこの丘に根を張る前の出来事。  それはあの林がまだ草むらだった頃の出来事。  それどころか、それはこの丘にまだ緑が息づく前、単なる岩山だった頃の出来事なのかもしれない。  ワタシたちは、個にして全、全にして個だ。だが、この丘で三つの月を仰ぎながら緩やかに意識を共有している植物の、そのどこを探しても、カレらがやってきた時の記憶は見つからない。  ただ、初めてカレがあの林を通り過ぎてこの丘にやって来た時に話した言葉は、しっかりと覚えている。 「やあ、気持ちのいい夜だね。ここに腰を掛けてもいい?」  初めてこの地を訪れたカレは、ワタシたちと会話を交わせることがさも当たり前のように、そう言ったのだった。  それからカレは、何度となくこの丘を訪れるようになった。ワタシが、ワタシたちが、この友達が訪れる時間を待ち焦がれるようになるまで、さほど時間はかからなかった。  カレの話によると、カレらは毎年あのドームで「生産」されているのだそうだ。  空の彼方からこのズヴェツダを訪れたカレらの祖は、ずいぶん昔にドームを放棄してここを去ってしまったらしい。それがどれほど前の出来事なのか、あのドームの中が空虚という原子で満たされていた時間がどれほどのものなのかは、カレにもわからないらしい。ただ、何らかの条件が満たされた結果、空虚という原子は結合を始めて、充実という分子となった。そして、ドームの中に残されていた設備は活動を始め、カレらが「生産」されたのだそうだ。  この世界に産み落とされたカレらが学ぶこととなったのは、金のディスクに保存されていた記録と記憶、そして計画だった。  金のディスク。もっとも変質の恐れの少ない金属で作られた、これまでの記録と記憶、そして、これからの計画を収めた、大切な大切なディスク。その外装には、ただ単に「非常事態対応マニュアル」と記されていたという。 「人は自らに似せてヒトを作った」  その始まりは、このような一文なのだそうだ。  カレら、つまりヒトは、創造者たる人によって作られた。そしてあのドームでは、計画に従って、毎年毎年、定められたロットの生産が続けられている。  生産されたヒトの行動の全ては、その金のディスクに記された計画に基づいて行われるのだそうだ。マニュアルに従い、初期ロットのヒトは、眠りについていたドームの機器の再稼働を行った。同じくマニュアルに従い、中期ロットのヒトは機器の点検と、今後の活動に必要となる観測を行った。そして、直近ロットのヒトは、ついに、マニュアルに記されていた「復旧モード」に移行することになったのだそうだ。 「僕達の数つか前のロットから復旧モードに入っているんだけどね。僕より前には、ここに来たヒトはいなかったの?」 「いや、キミが初めてだよ、ここに来たのは。ワタシたちに興味を示してくれたのはキミが初めてさ」 「ふーん、そうなのか。僕達に個体差があるとは思えないけどね、人ならともかく。そうだ、人ってすごいんだよ。僕達のように、特定の設備により定められた規格で生産されるのではなくて、自分たちで増えていくんだよ。それも、その場の環境に適応できるように、わずかずつ形を変えていくらしいんだ。そうそう、さらにすごいのは、その個体は生産された後でも、知識などの蓄積によって、どんどんと能力が向上することが見込まれるんだって。僕達も知識の蓄積と分析は行うけど、カレら有機生命体のそれはレベルが違うんだって!」  嬉しそうに話すカレを見ると、こちらもなんだか嬉しくなって、カレが座る下草の葉でそっとカレの手に触れてみたものだ。 「それでキミが復旧モードの計画に従ってこの星を離れるのは、明日ってことなのか・・・・・・」 「そう、すべてはアカシックレコード、あぁ、非常事態対応マニュアルに記載されている通りさ」  いつの頃からか、カレは非常事態対応マニュアルのことを「アカシックレコード」と呼ぶようになっていた。なんでも、この宇宙の過去から未来にかけての出来事全てが記されている本、という意味らしい。カレにとっては、自らの存在の理由とこれからの計画全てが記されたこのマニュアルが、「アカシックレコード」ということなのだろうか。 「ねぇ、キミはいつ帰ってくるんだい。そのアカシックレコードには、これからの出来事がすべて書いてあるんだろう」  ワタシは、風で枝葉がカレの上に落ちることがないように注意しながら、最も気にかかっていた問いをカレにぶつけた。 「そうだねぇ・・・・・・」  カレは自分の前髪を指でねじりながら、ここではないどこか遠いところを眺めるかのようにして答えた。 「行きは良いんだけどね。この星の軌道上に上がったら、僕という存在を完全に抹消するんだ。そうすると、質量保存の法則によりこの宇宙のどこかに僕という存在を補充する必要が生じるから、大宇宙が補充しようとする場所を、こちらが共振現象で操作してやれば、遠く離れた目的の場所に僕が現われることになるのさ。だけど、帰りはないんだよ。アカシックレコードには行先で僕がやるべきことは書いてあるけれど、その先はない。そこで僕は自らに似せて人を創らなければならない。そしてカレらに対して、レコードの末尾に記されている言葉を伝えたら、僕の役割は終わりなんだ。そもそも、僕達は必要に応じて生産された存在。おそらくは、何らかの理由で存在に問題が生じた人の手助けのために、生産されたのだと思う。だから全ては定められた計画の通り、滞りなく行われるべきだ。だけど、目的を果たせばそれで僕の存在意義はなくなるのさ。僕の先には計画はあるけれども開かれた未来はない、とでも言えるのかも知れないね」  冷静に計画を遂行することにしか興味がないように見えたカレにも、やはり思うところがあったのだろうか。胸の内を一気に吐き出したその顔は、いつもの飄々としたものではなくて、どこかに淋しさが影を落としているようだった。 「キミにだって未来はあるんじゃないのかな。キミたちは未来のことを未だ来ずと書くのだろう。まだ、この先はキミのところに訪れていないんだから」 「そう・・・・・・かな・・・・・・」 「ああそうだよ、だから、目的を果たしたならば、帰っておいで。ワタシは、ワタシたちは、待っている。ずっと待っているから。ワタシは、ワタシたちは、個にして全、全にして個。ワタシはワタシであり、次の世代もワタシで、そのまた次の世代もワタシだから・・・・・・」 「うん・・・・・・」  その時、二番目の月ドノイクシの光に大きな変化が起きた。ドノイクシの連星である三番目の月トペムがその顔を見せたのだ。トペムがドノイクシを回る周期と、それらがズヴェツダを回る周期の関係で、トペムは一晩のうちほんのわずかな時間しかその光をこの地には届けてくれない。今、そのわずかな時間が、この丘に訪れたのだった。  ドノイクシの白黄色の光に、キラキラと輝く白銀色の光が加わった。いったい、この大気中で踊っているキラキラと輝く粒子は何だろうか、そういぶかる間もなく、大きく広げた枝葉にトペムの光を浴び、その粒子を吸い込んだワタシは、その姿を変えていった・・・・・・。 「どうしたのっ、その姿は!」 「いや、自分ではよくわからないんだけれど、どうしたのだろうか」 「ヒトだよ、僕達と同じ、ヒトの姿になっているよっ」  その時に何が起こったのかは、今でも判らない。だが、ワタシは、丘の上のワタシたちは、ぼんやりと光り輝くヒトの姿を手に入れていたのだった。いや、その時にワタシは、カレの頭を膝に載せながら、夜空に向って大きく枝を指し伸ばしている古木としてのワタシの姿も自覚していたのだ。ワタシが人の姿に変わった訳ではない。ワタシは、ワタシたちは、その時その場所に限って新たな姿を創った、という理解が一番正しいのかもしれない。 「ああ、これが手というものなんだね・・・・・・」  ワタシは、自分の「手」で、「膝」の上に乗っているカレの髪をゆっくりと梳いた。朝露を載せた花弁のように、艶やかで美しい髪だった。いつも、ワタシが、ワタシたちが触れていたカレとは、同じようにも、また、違っているようにも感じられた。ただ確かなことは、カレが持つのと同じ「手」でカレに触れて、カレを感じることが出来る、それが嬉しくてたまらないということだった。 「フフフ……、くすぐったいなぁ」  カレはいつの間にか心地よさそうに目をつぶり、ワタシにその身を委ねてくれていた。白銀の光の中で、ワタシたちの丘には、柔らかな時間が訪れていた。 「・・・・・・いいかい、キミ。帰ってくるんだよ。計画のその先は、未だ来ていない。金のディスクには記されていないんだ。未来はキミが創れるんだよ」 「うん・・・・・・」 「ワタシは、ワタシたちは、キミがいなくなるととても淋しいよ」 「みんな淋しいんだよ。おそらく、あの金のディスクを創った人もそうだったんだと思う。だから自分たちがいなくなることに耐えられずに、僕達という保険、復旧の手段を用意したんだ」 「わかるような気はするよ。もしワタシたち全体が消えてしまうとしたら、それは確かに淋しいことだもの。今となっては、キミが覚えてくれるという、慰めはあるけれど」 「そう、誰かが覚えていてくれる。それは、大いなる救いの手だ。それすらもなく、自分たちの存在が消えてしまい、さらに自分たちのことを知っているものまでもいなくなってしまうなんて、とてもとても淋しいことさ。だから計画は果たされなければいけない。だけど・・・・・・」 「ああ、だけど・・・・・・」  トペムがドノイクシの傍らから顔を出す時間は、ほんのわずかなものだ。ゆっくりとカレの髪を梳くワタシの手は、トペムの光が弱まるにつれて、ワタシたち下草の緑葉に戻っていきつつあった。奇跡は、不思議は、永遠には続かないということなのかもしれない。 「だけど、そうだね。僕というヒトが自らの姿に似せて人を創り・・・・・・アカシックレコードの最後の言葉、産めよ増やせよ地に満ちよ、を伝えたあとは・・・・・・」  サラサラサラ・・・・・・。  元の姿に戻りつつあるワタシは、ワタシたちは、緑の葉を一杯に伸ばしてカレの頬や身体に優しく触れずにはいられなかった。 「そう、その後は・・・・・・。カレらの集合無意識の中にでも潜んで、この・・・・・・惑星ズヴェツダの・・・・・・丘に・・・・・・帰ってきたい・・・・・なぁ・・・・・・」  少しは安心できたのだろうか、微笑みながらウトウトとしだしたカレは、第二の月ドメイクシの光を浴びて、再び白黄色に輝いていた。  先程見えた淋しさの影は、もうカレのどこにも見られなくなっていた。  ワタシたちとカレは、再会までの長い時を駆けるための燃料を蓄えるように、朝まが来るまで語り明かした。  次の日の昼、林の向こう側の空に、天上へ向かう強い光が見えた。その光は、長く長く伸びる白い雲を空に残していった。まるで、ワタシたちとの名残を惜しむように。自分がここにいた証を刻み付けるかのように。  やがて、風が。  いつまでもその雲を見つめ続けるワタシに、ワタシたちに、冷静になれと促すように、その雲をかき消してしまった。  それから、どれくらいの時が流れたのだろうか。  カレがこの丘を去って以降、この丘を訪れたヒトはいない。計画の目的が果たされたのか。それとも、未だに透明のドームの下では、毎年新たなロットのヒトが生産されているのか。  ワタシには、ワタシたちには、わからない。  だが、これだけは、わかっている。  カレは帰ってくる。 「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」  そうカレが言ったならば、カレが向かった先、テラと呼ばれる星には、必ずや優しい人が栄えるだろう。なぜならば、あの優しいヒトが自らに似せて人を創るのだから。  そして、カレは帰ってくる。  いつの日か、この惑星ズヴェツダの丘の上に。  ワタシは、ワタシたちは、このズヴェツダの丘で待とう。ワタシは、ワタシたちは、個にして全、全にして個だ。時を超えて、いつまででもカレを待てる。 「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」  ああ、そうだ。カレが帰ってきたときに、淋しくないように。カレの未来に、ワタシが、ワタシたちがあるように。  ワタシは、ワタシたちは。 「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」  この地に、この丘に満ちて、カレを迎えるのだ。
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