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手話週間
少し思うところがありまして、ただいま7月17日土曜日ですが、今週は手話ガッツリ週間でした。
習っている予習と、単語を増やすのが目標です。
習っているところでテーマに合わせて二人組で短い会話を作って発表するので、とにかく単語を増やさないとレベルの高い人と組んでも、残念なことになってしまうのですよ……
10月に全国手話検定があります。
その申込を済ませました。
やっぱりモチベーション上がります。
もし、この一週間、二週間で成果が出たらもうひとつ上の級も併願受験しようかと思っています。
試験の内容は映像を見ての単語、短文の読み取りと、面接です。テーマについてのスピーチと、面接官からの質問いくつか。
なので、準備期間はあるのですが……。
語学は短期間に、詰め込む時期にバーッと詰め込んじゃうのが良いかなとも思ってます。
YouTubeのおかげて、手話学習が助かっています。
手話で歌を表現する、というのをよく観ています。
同じ曲を違う人が表現すると、解釈によって違う単語を使っていたりします。
それが参考になるし面白い。
手話にどう翻訳するかの違いですね
もともと手話には二種類あって
文法も違いがあります。そのことが解釈にも関わってるのかもしれません。
日本手話と日本語対応手話
ろう者が使うのが日本手話
日本語の語順に手話の単語を対応させた手話
ざっくり分けるとそんな感じです。
ろう者が、手話学習者と話すときは日本語対応手話に切り替えている場合もあるので、全く通じないことはないけれど……
すらすら流暢な手話に見えても、ろう者にはわかりにくい、わかってもらえないという場合もあるそうです。
前者がネイティブ、といえると思います。
私は学習し始めた頃に、その違いを興味深く感じて、日本手話を身に付けたいと思いました。せっかく勉強するならネイティブの思考回路を学びたい、と。その方が上達するんじゃないかと。
でも、手話歌でわかりやすくきれいな読み取りやすい表現をしている方が、日本語対応手話でした。
私が日本語で思考してるんだから、日本語対応手話が読み取りやすくて当たり前なんだ、と気付きました。
例えば英語や中国語でもきっとそうだと思いますが
ネイティブ至上主義になっちゃったら、通訳や翻訳する能力が伸び悩むような気がします……。
自分がその言語を操れる自由度が上がるのと、適した単語を別言語から選択して伝えるのは、別の能力ですよね
帰国子女がペラペラ喋っていても、専門的な会話や社会人のビジネスマナー、会話までこなせるかは別だと思います。
知り合いの通訳者が、結局は日本語力がないとね、と言っていたことを思い出します。
語学だけの問題じゃないのかもしれない。
コミュニケーション能力というのは、学生時代は社交的だったり目立つ、ハッキリ主張する事だと思っていたけれど
今は、いろんな関係に配慮できたり気配り出来ることとか、場の人間関係を継続するために自分を抑えられるとか控えることができるというのも大事なんじゃないかと思う。
文脈とか要旨を捉える能力もそれに近いような。
スピーチなのか、対話なのか。
討論なのか、おしゃべりなのか。
言葉は道具で、使う人によって単語も変わりますよね。
言葉は本来、優劣はないはずなのに強い言語と弱い言語がある……という内容の本を買いました。
白井泰弘「ことばの力学-応用言語学への招待」
筆者はアメリカの大学で教えられてる方なので、例もアメリカの場合が多いです。
手話も弱い言語の例として出てきます。日本の大学では手話を第二外国語の単位として認めているところはないけれど、海外ではあるそうです
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