母と義母

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母と義母

 俺の母は世話好きで、朝から晩までアレコレと世話を焼かれながら俺は育った。そのコト細かい世話や諸注意には常にうんざりしていた。例えば食事をする際、箸の持ち方が正しくないのは小さな頃から人の話を真面目に聞かないからだと言う。せっかく熱いうちに味噌汁を飲まないで最後に飲むのは食事を用意した人の気持ちを無視していると言う。魚の骨をはずす時にも残す時にも見た目が美しく配慮すべきであると言う。食事中くらい楽しく語り合いながら食べようと言う。そのくせ母だけが語り続け、俺が何か話すと、そんな話は聞いていない、なぜもっと早くその話をしてくれなかったのかと怒り出す。イライラする。楽しくないのに楽しそうにはできない。  嫁の義父(ちち)は大漁旗や暖簾などの染色職人で、俺は義父の技に魅せられて弟子入りしたのだった。嫁自身も初めは染色職人を目指していたが、彼女は素晴らしい色彩感覚とデザイナーとしての才能に恵まれていたため、彼女がデザインしたものを染色するのは俺、と自然に仕事を分担するようになる。  俺は嫁の家に住み込みで働いていたが、仕事も食事も一緒だった3歳年下の嫁と、なんとなくいつのまにか仲良くなり、俺が29歳、嫁が26歳の時、嫁の家に住み続けたまま結婚した。  嫁の義母(はは)は世間からは変人のように言われていたが、俺には実に良い義母だった。彼女は三度の食事より麻雀が好きだった。居間兼食堂の二十畳程ある広い部屋に置かれた食卓テーブルは、朝食後は毎日のように麻雀卓として使用されていた。彼女の麻雀仲間には建築会社の社長、魚屋、画家、建具屋、自転車屋、退職した公務員など、老若男女いろいろな人物がいた。彼らは時として朝まで寝ずに麻雀を続けた。食事は出前をとって済ませ、お菓子や果物で腹ごしらえしながら麻雀を楽しみ続けていた。仲間の誰かが都合で帰ると別の誰かが登場した。義父(ちち)も仕事が忙しくない時には一緒に麻雀をしていた。  そんな訳で、俺と嫁と義父は仕事場の片隅にある事務所で昼食を、時には夕食も済ませた。食事は嫁が何か用意することもあったが、忙しくなるとコンビニ弁当や出前で済ませた。
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