後継《あとつぎ》息子

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後継《あとつぎ》息子

 次男はフランスで勉強した後、修行だと言ってフランスの染織工場に就職した。  一時期、安いプリント印刷に押されて多くの染色業者が閉店した。が、最近は伝統的な染色に目が向けられ、競争相手が減っていたことから仕事は前より忙しくなった。義父が亡くなった後は、嫁と二人で寝る間も惜しんで働いた。次男に、後継する気がないなら誰か雇うしかないと打診すると、次の年、戻って来た。フランス人の彼女も一緒に連れて来た。  母も義母も大変喜び、すぐ結婚させた。次男夫婦のために家を改築した。慌ただしい時が流れ、ひと段落した頃、義母は体調を崩した。義母は 「最近、世の中が本当にバラ色に見える!頭がおかしくなったか?いよいよ目出度くなったか?」 と笑っていたが、 病院で検査すると糖尿病の進行で眼底出血していた。足のむくみも酷く、心臓及び全身の臓器が老化しているらしかった。  家で様子を見ていたが、だんだん動くのも大変になり義母は入院した。入院当初は 「病院の食事は不味い。早く家に帰りたい。」 と言って嫁を困らせたようだが、何もせず寝てばかりいる入院生活のためか、半月もすると寝たきりになり、お見舞いに行っても眠ってばかりいるようになってしまった。  担当医は親族を集め、延命治療をするかどうか問うた。  嫁と嫁の姉と兄は迷わず 「延命治療は望まない。自然に逝かせたい。」 と言った。  俺は、その時、心で叫んだ。 『今、迷わずにそう言えるなら、今まで食べものや行動について、注意したり文句を言ったりせず、好きなようにさせてやればよかったのに。矛盾してるだろう!?』  実際には俺は何も言わなかった。同時に反省もした。長年、俺が自分の思いをすべて語り続けて来たら、何かは変わっていたのだろうか、と。  俺の勝手な思い込みかもしれないが、家族を含め、おおかたの人間は、他人の意見くらいで生き方が変わるとは思えない。特に女性は、人に意見を求めるのは好きだが、人の意見に従うのは難しい生き物のように感じていた。実母や義母や嫁に限って言えば、とりあえず会話して共通理解したつもりになり安心感を抱きつつ自分の思い通りにしたいのではないか、そう思っていた。そうだとすれば、余計なことを言って惑わせるより、始めから彼女たちの思う通りにさせておく方が面倒はない。  何かを言って喧嘩になるよりは、何も言わず頼りにならないと叱られている方が、気が楽だった。無駄な時間も短縮できるように思われた。  次男は俺に変わって、俺の気持ちと同じようなことをフランス人の嫁に、丁寧に言葉で説明していた。それを横で聞いた嫁は、納得しているらしかった。次男が後継(あとつぎ)に戻って来てくれたお陰で、俺はいろいろと助けられた。
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