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大好きでした
医者の話では、義母はもう長くないらしかった。俺の実母は見舞いに来て、かつては気に入らない相手だったかもしれないが、長年それなりに同じ時間を過ごして来た自分と同じ年の義母の憔悴しきった姿に涙した。
「自分の行く末を見るようで辛い。」
と言った。
嫁と嫁の姉は毎日、代わる代わる、時には一緒に自分たちの母親の近くで時を過ごしていた。俺は仕事があるので行ける時しか行けなかったが、ある時、病室にもう一つ椅子を運んで欲しいと嫁に頼まれ、仕事場からパイプ椅子を運んで行った。
その時、病室には誰もいなかった。心拍数や血圧が表示される機器に繋がれた義母が眠っていた。
仕事関係の知り合いが、つい先日、
「人間、最後の最後まで耳だけは聞こえるらしいよ。意識が朦朧としていても、好きな音楽を聞かせると血圧が高くなったりするというからね。」
と話していたことを思い出した。
俺は
「お母さん、マサヒコです。」
と声をかけてみた。
心拍数が急に増えた。ああ聞こえているんだと思う。俺は勇気を出して、義母の耳元に話しかけた。
「今まで、ありがとうございます。俺は気の利いたことを言えない人間ですが、お母さんの大らかな優しさに助けられて、安心して生活することができました。イイカラカゲンな俺にとって、イイカラカゲンなお母さんは、最高のお母さんでした。感謝しています。本当に、本当に、ありがとうございました。今頃、言っても、遅いけど・・・
大好きでした。お母さん。」
機器の心拍数と血圧の数値が上がった。義母の目から涙がこぼれるのを見た。
俺は胸が苦しくなった。今まで長い年月、心の底に見え隠れしていても言えなかった言葉。死ぬ間際になって、やっと伝えられた気持ち。
病室から出て車に戻ると、俺は急に何かがこみ上げて声を殺して泣いた。
本当は自分の母にも、嫁にも、息子たちにも、毎日こんな風に素直な言葉を伝えることができるなら、世界は変わるかもしれない。
だが結局は、死ぬ間際にならないと、偶然そんな時間がポッカリ用意されないと、俺は素直に愛を語る勇気もないのだろうか、と情けなく思う。
その夜が明ける頃、義母は静かに星になった。
俺は明け方の星を見ながら思った。
「間に合って良かった。俺の言葉を待っててくれたんですね。お母さん。ありがとうございました。最後の最後までイイカラカゲンな俺でした。」
昇る朝日の中に義母の笑顔が見える気がした。
完
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