2人が本棚に入れています
本棚に追加
「この電話は電源を切っているか、電波の届かない所に……」
スマホから聞こえるお決まりのアナウンス。まったく、こんな時にあなたったら。
さよなら。この言葉。本当はあなたに直接言いたかった。
私、本当にあなたのことが好きだった。初めて会った時のことは、はっきり覚えてる。
私がカフェに忘れたハンカチを、追いかけて届けてくれた、それが始まりだったわね。その後、おしゃべりをして、連絡先を交換して、また会う約束をした。
あの人の目をかいくぐって出かけるのは結構苦労したのよ。あなたも奥様がいたから、大変だったでしょうね。嘘をついて、辻褄を合わせて。後ろめたさとスリルが私たちを一層結びつけた。でも、楽しかった。
色々な所に行ったわね。映画やコンサートに行ったり、食事をしたり、旅行をしたり。あなたと過ごした時間は、美しい思い出として、胸にしまっておくわね。
今、私は出国ゲートをくぐる所。当分、いえ、もしかするともう戻らないつもりよ。
最後に、どうしてもあなたに伝えたかったことがあるの。私たちのことがあの人にバレちゃった。
あの人ったら、凄い剣幕で、喚きながらドアを叩いたの。私は恐くなって持ち出し用のバッグと靴をつかんで慌てて窓から壁づたいに逃げてタクシーに乗ったわ。こういう時のために準備はしておいたの。本当に、備えあれば憂いなし、ってね。
今頃、八方手を尽くして、血眼で私たちを探しているはず。私もあなたも見つかったら、ただではすまないでしょうね。あの人がどういう人か、あなたにも話したことがあったわよね。二人仲良く重しをつけて沈められちゃうかも。
でも、これでは仕方ないわね。電話は諦めるわ。メッセージにするから必ず読んでおいてね。間に合うといいけど。
さよなら、心から幸運を祈っているわ。
(了)
最初のコメントを投稿しよう!