肉体がなかった頃

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『じゃあ私は殴られたいと思って殴ってくれそうな親を選んで生まれてきたってわけですね。私が選んだ親だから憎んではダメですね。勉強になりました』 『赤ちゃんは私よりも虐待するような親の方がましだと思ってああいう人の元へ生まれるんですね。ニュースを見るたびにいらないなら私に頂戴よと思って泣いていましたが、私の人間性はあの虐待親以下ということですね。よくわかりました!』 『わぁ。皆やってるならどうってことないですね。これからもガンガン叩きます!大丈夫ですよね。自分の感情をコントロールできなくても子育てが大変なせいですし。私たち親にも人権はあるんだから!』 『上の子嫌い症候群ですか。初めて知りました。よかった。私が異常なわけじゃないんですね。これからも安心して下の子だけをかわいがっていきます』 『二番目の子は適当になるんですね。うちの親が私に無関心な理由がよくわかりました。仕方ないですね。私も最初に生まれたかったなぁ』 なんだこれは。 私は受け取ったA4サイズの紙を眺めて絶句していた。 そこにプリントされているのは、SNSのコメント欄だ。どれも丁寧な口調だが、明らかに悪意と憎悪が込められているのがわかる。この紙を渡してきた三井さんは私の反応を楽しむように顔を覗きこんでふふふと笑った。 「あの、これは、なに?」 ただ今、年の瀬である。2019年も終わろうとしている。忙しい時期だ。三井さんから電話があったのは昨晩のことだった。一時間でいいから会えない?三井さんは切羽詰まった声で尋ねた。仲が良かったわけではないが、会話したことがないわけでもない。微妙な距離感のクラスメイトだ。せっかく帰省してきてなぜ私に会うために時間を割きたがるのかわからなかったが渋ると泣きそうな声でどうしてもだめなの?などと言うので一時間だけ、と了承した。 呼び出された港に来ていた。港に呼び出された時点で誰にも聞かれたくない話なんだろうとは思った。石造りの椅子に座っていた三井さんは私がやってくるなり紙を押し付け、読んで、とだけ言った。三井さんの目は血走っていた。あまり元気がないように見えた。 「これは、SNSのコメントだよね?これって、何?三井さんのSNSが荒らされているの?」 訊いてすぐに違うなと思い当たった。 三井さんには子供はいない。コメント欄しか印刷されていないが、本投稿は子育てに関することだろう。 「このコメント書き込んでるの、私なんだよね」 三井さんは私の目を見てはっきりと言った。えっ、と声が出る。三井さんは笑う。笑いごとなのか。冬の潮風が三井さんの長い茶髪をなびかせた。 「このコメントね、全部私が書いてるの。で、ちょっとしたことでお姉ちゃんにばれてね。お姉ちゃんがスクショとって印刷して……これを友達に見せてきて客観的な意見を聴きなさいって」 「ええ……複アカ使ってまで荒らしてるの……?」 「空野さんでもやっぱ引く?」 「なんでこんなに執着してんのさ」 質問には答えなかった。三井さんはこぶしを顎に当ててそうねえ、と首をかしげる。
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