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俺がどうにもできなかったとしても、これをまた手離したら、ここに落ちている言葉全部がもうどうしようもない誰かの過去で、この気持ちもどうしようもなくて、この現象全てが負の感情を被った救いようのないものだと肯定してしまう気がした。
完全に帰り支度をした格好で階段を上っていく俺を、すれ違う生徒の何人かが不思議そうな目で見ていた。気にしないことにして廊下を歩いて、颯太のクラスを覗き込む。
窓際、後ろから二つ目の席。ちょうど後ろのドアから誰かが出ていき、一人になった颯太は下を向いていた。左手が机の横に下りていて、かけてある鞄を見ているのだろうか。
「颯太」
「有士!」
颯太ががばりと上体を起こし、椅子はがたりと音をたてる。
そんなに驚かせるとは思わなかった。
「ごめん」
「いや、どうした?」
颯太は驚いた俺に落ち着きを取り戻したらしい。俺は何にもないけどと教室に入って、颯太に促されて斜め前の椅子にお邪魔した。
朝から大変だったとか体育がなくなったとか、いくつか交わした他愛ない会話がふと途切れる。日がまた一段落ちて、夕方を通り越した気の早い冬の空が、薄い紺色を連れてきていた。
「──進路、決めた?」
呟くようになった言葉に、颯太が俺を見た。今度はしっかりと目が合う。
それから颯太は苦笑した。ななめ下を向いた横顔は実際と違わない距離にあって、確かな苦笑は苦々しくない。余分な何かと一緒に気も抜けたような、肩の力が抜けた笑いだった。
「前と同じ。部活は分からないけど、選択肢、残しときたいから」
颯太は息を短く吐いた。
「バスケやろうと思った時に、環境がないのは嫌じゃん」
「……だな」
そっか。良かった。
胸のつかえがなくなったと同時に、かすかに痛んだ。鞄の中身はもう必要ない。これを使う機会はこの先も一生なくて、きっと似たことがあって似たことを言うことになっても、それは同じ言葉ではない。
言えなかった言葉は言えないままなのだと、分かってしまった。
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