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朝練があった頃だったら遅刻だ。ふと懐かしくなって体育館ものぞいてみたが、後輩は誰一人いなかった。それもそうか。
「はよ、佐野」
肩を叩かれて振り返ると、嶋崎が息を切らしていた。
「おはよ。どうしたの」
「チャリ使えなくて走ってきた」
「……お疲れ様」
「運動不足だー」
陸上部だった島崎には余裕なのかと思いきや、そうでもないらしい。俺だって引退してからろくに運動していないから、ボールを持ったら同じかもしれない。
「これ何なんだろうな」
「ほんとにな」
愚痴めいた口調ながら、島崎はどこか楽しそうな顔で近くの地面を眺めていた。今のところ交通以外で被害はない。言葉にあたった人にたんこぶができたとかいうニュースもネットにあったが、大げがも死人も出ないから気楽なものだ。一部の大人は大変でも高校生には関係ない。
「──どうした?」
気づくと島崎が横にいなかった。二、三歩前で足を止めていた島崎は、ある一点を見つめている。
「あれ」
「あれ?」
島崎は数メートル先の地面を指した。そこにあるのはもちろん灰色の言葉。お互いにクエスチョンを浮かべて顔を見合わせて、島崎は指した先に歩いていった。かがんでそのひとつを手にとると、島崎は目を見開いた。棒立ちになった姿に声をかけるのもためらわれて、俺はその島崎をただ見ていた。
「おーい、何してんだ」
島崎が顔を上げる。
「すいませーん、何でもないです」
遠くから声をかけた先生に島崎はへらりと笑って、持っていた言葉を放るように捨てた。からんと鳴いた声は軽く、響いて聞こえた。
「どうした、」
「何でもない」
肩を押されて半ば強引に振り向かされる。行こうぜと背中を叩いた声と笑顔はかすかに強ばって、それ以上話題に留まることを拒絶していた。
下駄箱で見えなくなる直前に振り返ってみたが、島崎が何の言葉を手に取ったのかは分からなかった。
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