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プロローグ
夕立ちが晴れた夏の夜、人里離れた山奥はしんと静まり返っていた。普段は小さな命の鳴き声がそこここで聞こえるのだが、今日はどうしたことか息を潜めるように静かだ。
さらに山奥に行くと、多くの僧侶が日々激しい修行に明け暮れる山寺がある。
その寺の御堂の周囲には経を読む声が低く、体の底を震わすように響いていた。
巨大な御堂にかかわらず、その床のほとんどが座する僧侶たちで埋められている。経を読む僧侶たちは数多の修行により屈強な心身を持つ強者揃いであったが、今宵だけは不安と興奮を隠しきれない者が多かった。
その中で唯一、泰然自若とし、顔には笑みさえ浮かべる者がいた。
質素な緋色の僧衣に身を包み、護摩壇の炎に照らされた顔に刻まれた皺の深さから長年の修行の熾烈さがうかがい知れる。その男は、儀式が佳境に入ったと見えて一層の覇気を放つ。
間も無くどこからともなく生臭い湿った空気が流れ、柱や建物がミシミシと軋む音を鳴らす。空気が変わったことに数名の僧侶が心を乱し、周囲を見渡す。そのことに気がついた緋色の僧衣を纏う男が気を散らすな、と喝を入れた。
その瞬間、その場にいた全員が空気を揺るがす大きな振動が通り過ぎるのをを体で感じた。狂気混じりの読経はもはややむことはない。
護摩壇の炎が激しく明滅し、生き物のようにうねる。その不規則な光が御堂の天井に映し出す僧侶たちの影が、異形の姿のようにも見えた。
この夜を境に、この寺院に近づく者はなくなった。正確には近づけなくなった。出向いた者、近づいた者が次々と行方不明となった。心配して様子を見に行った者さえ帰ってこなかった。
様々な噂が飛び交ったが、どれも噂の域を出なかった。しかし、世界を脅かす一大事が起きているということは、まだ誰も知る由もなかった。
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