カッサンドラ

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隣のおばさんがもうすぐ死ぬ。と言って両親やその場にいた人を困らせたのは私がまだ5歳の時だったの。あんなに元気そうだったおばさんが階段から落ちて首の骨を折って亡くなったのは私がおばさんが死ぬと言ってから3日後だった。両親の顔色が真っ青になったことをよく覚えてる。 理緒、幼なじみの貴女は知っているでしょう? 私が明日は雨だと言ったら必ず雨が降ること。 「いつもすごいね。叶恵は将来気象予報士になればいいのに」 貴女はそう言ったけど私に予知できたのはお天気だけじゃなかった。私には少し先の未来や人の悪意が見えていた。困ったことに悪意や人の不幸の方が突然雪崩れ込むように私の頭の中を支配してしまう。貴女と仲良くなる前にはもう自分の家族から散々気味が悪いと思われていたから、私が口にするのはお天気のことだけだった。 貴女の言う通り気象予報士になるのも悪くないかなあとも思っていた。 小学校の修学旅行を覚えてる? 私が行きたくないって言ったことは? 覚えてないかな。バスが事故に遭うことも見えていたから行きたくなかった。幸いあの時は運転手が軽いけがをしただけですんで良かった。見えているのに自分の力ではどうすることもできないもどかしさなんて貴女には想像もできないかもしれないね。 もしも、あの時バスが事故に遭うと貴女に言ったり、もっと周りの不幸を貴女の前で言い当てたりしていたら違ったかな。でも、頭がおかしいとか気持ち悪いって思われただけだったとも思うよ。 ギリシア神話にね。カッサンドラって女の人がいるの知ってる? 太陽神のアポロンに求愛されて受け入れようとしていたけど、アポロンからもらった予言をする力でアポロンが遠くない将来カッサンドラに飽きて心変わりするのが見えてしまった。それでカッサンドラはアポロンを拒むの。自分の愛を受け入れてくれると思ったから与えた予言の力のせいで拒まれたアポロンはカッサンドラに呪いをかける。 カッサンドラの予言は誰も信じない。と言う呪い。カッサンドラは何もかも見えていたのに予言を誰にも信じてもらえず、自分の国が破滅することにも自分が殺されることにも抗えなかった。 でもね予言どころか占いでさえ、みんな信じたいことしか信じないものでしょう? 占いも予言や予知なんて聞く人が受け入れることができるかどうかだから、神様から呪いなんか受けなくたって、そんなのほとんど誰も信じないと思うの。 理緒、実際貴女は信じなかったでしょう? 私が貴女の最初の結婚でやめた方がいいと教えてあげたのに、貴女はなんて言ったか覚えてる? 「彼に暴力をふるわれたことなんて一度もないのに何でそんなこと言うの? 叶恵、もしかして私に嫉妬してるの? 貴女の旦那売れないイラストレーターだって言うじゃない。結納も結婚式もなしでほとんど稼ぎのない旦那じゃあ妬ましくなっても仕方ないよね」 確かに最悪のタイミングだった。招待客が多すぎる高級ホテルの豪華絢爛な披露宴が正に始まるその瞬間に貴女が新郎の男に殴られて死にかけているイメージが雪崩れ込んできた。今ならわかるの。幸せの絶頂から突き落とすような予言を貴女が信じるはずがなかったこと。でも、信じてもらえないと、貴女が死んでしまうと思ったから。私は絶対口にしない予言を口にした。そして私はカッサンドラと同じように信じてもらえなかった。貴女は私の手を振り払って、新郎の素晴らしさを語って、私とは絶交するって言った。一番の人気者の貴女から絶交された私は友だちや同級生のどんな集まりにも呼ばれなくなった。まあ仕方がなかったかもしれない。いつも輪から外れがちな私を輪に入れてくれた貴女に酷い仕打ちをしたのだとみんなに思われてしまったのだから。 理緒、貴女は私の夫のことをあの時あれだけこき下ろしたけれど私が出会った男性の中で夫ほど良心を持ち合わせた人はいなかったし、私には夫が成功するのも見えていた。だから貴女の言い分は私にとっては勘違いも甚だしいものだったけれど先のことは私にしかわからないのだから仕方ないことよね。 あんな絶交宣言があったから、貴女が一瞬誰だか分からないくらい腫れあがった顔で着のみ着のままで双子の娘たちを連れて私の家に来た時はとても驚いた。こんな時に頼る友だちは貴女には沢山いたはずだったのに、貴女の最初の夫はとても狡猾で外面が良かったから貴女に暴力を振るったりモラルハラスメントをしているなんて私以外の誰も信じてくれなかったなんてとても皮肉なことよね? ◇ 理緒の良くないところは喉元すぎると熱さ忘れる所だと思うの。貴女には男性を見る目がない。最初の夫とようやく離婚が成立した頃に二番目の夫になる男を連れてきた時は信じられなかったし、彼の顔を見た瞬間に私に雪崩れ込んだイメージは本当におぞましかったけれど、私はまたカッサンドラになるつもりは無かった。どうせ、また言っても貴女は信じないだろうから言えなかった。言えるわけがないでしょう? 「その男の本当の目的は貴女じゃなくて貴女の双子の娘たちよ」だなんて。 ええ。貴女の言う通り私にはあの男の正体が見えていた。でも、理緒、貴女はあなたはあの時本当に信じたと言える? 貴女が二番目の夫を殺すことも、こうして話をする様になることも確かに見えていたけど。それが運命だったということでしょう? そうね。あの時のことを怒っていたから言わなかったのかもしれない。私たち夫婦に子どもがいないこと。それだけが貴女が私にマウントを取れる要素だったし、そんなことくらいでしかマウントをとれないほど貴女には余裕がなかったのも分かってる。だから言えなかった。そう考えてはもらえない? 「叶恵も早く子どもを産めばいいのに」 今の貴女が唯一私にマウントを取れることは私にとってたった一つの悲しみと苦しみの要素だった。一番触れてほしくなかった。そして、私は貴女のことを今まで随分と許してきたことを思い出したの。貴女はいつも私に勝っていると思い込んでいたし、それを見せびらかしていた。 双子たちのことは安心して。二人ともとても健気で可愛いわ。貴女のミスで義父から性的虐待に遭っていたのにママが帰ってくるのを私たち夫婦と一緒に待つと言ってくれた。だから、早く養子縁組を承諾してくれない? え? 承諾したくない? どうして? 私たち夫婦以外の誰も人殺しの子どもになってしまったあの子たちを引き取ろうとしないのよ? 大丈夫よ。私の夫は善良な人だし、あの子たちを幸せにするわ。 ああ。私も貴女の二番目の夫とは違う意味で双子を欲しがっていたと言いたいの? 本当はそれが目的で貴女に予知したことを伝えなかったって? そうねえ。こんなにうまく転がるとは思わなかった。とだけ言っておこうかな。 そんなに怒らないで。私は実際何もしなかっただけでしょう。すべて貴女が選択したことよ。結婚も再婚も夫殺しも。 私の夫に全てをぶちまけるですって? どうぞ。好きにして。夫は私を信頼しているもの。それに貴女はいつまでも自分が魅力的だと思っていて私の夫をたぶらかそうとしていたということも知っているわ。よく鏡を見た方がいいと思うの。刑務所にだって鏡はあるでしょう。今の貴女の顔本当に酷い。まあ、私の夫をたぶらかそうとしていた頃だって酷かったけど。 それとも、私が予言者だと言って誰からも信じてもらえないカッサンドラの気持ちを味わってみたいのかしら? とても、自分が無力だと実感できることを請け合うわ。 私、誤解をしていたのかしら? 私が何度も味わってきた気持ちを味わいたいだなんて貴女も殊勝な人になったものね。きっとここから早く出てこられるわよ。 あら、理緒? どうしたの? 今貴女一番酷い顔をしているわ。 了
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