無情なるこの世界

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 柚巴はこの会社に来た当初、事務員として配属された。そして三か月目に人員が足りないとの理由で販売に異動になったのだ。専務曰く、事務職は募集をかければいくらでも人が集まってくるらしい。その時柚巴は、釣り餌を思い浮かべた。  ただ、おかげで事務所内のどこになにがあるかを、柚巴はしっかり覚えている。  柚巴は事務所に誰も残っていないことを確認すると、急いで泉の机に駆け寄った。鍵は一番上の引き出し、金庫は彼女の足元。開けばビニル地の袋の中に、ノートと現金。  現金は外で社員が使った経費を払うため、ノートにはその際の領収書と使用履歴が記載されている。そのノートを、震える手で開いた。  犯人は柳瀬俊哉だ。多分、そうだと柚巴は思う。  営業である俊哉は、催事場の設営と撤収時には必ず同行する。もちろん名古屋の時にもいた。ただホテル代は柚巴のものしか払われていない。東京から名古屋まで、行きでもぶっ通しで運転していた彼だ、帰りはどこか安宿でも見つけて泊まろうと思っても不思議ではない。  柚巴と同じホテルではなかったのは、顔合わせを恐れたのかもしれない。勝手に使ったカードの持ち主と同じホテルに泊まる度胸を持つ者など、そういないだろう。  ではなぜ俊哉が柚巴のクレジットカードを持っているのか。これが俊哉に疑いを抱いた理由だ。  柚巴がクレジットを使う理由の一つに、売れ残ったケーキの買い取りがある。直接強制はされないが、売れ残りに関して、ちくちくとこちらの精神を突いてくるのだ、この会社の人間は。そしてこちらが売れ残りを買い取ることは黙認する。  この会社のケーキはワンカット千円を超える。当然そんなケーキ代を毎回持ち歩いているはずもなく、現金がない時はカードを切る。  ケーキはバイトに持って帰ってもらうが、おそらく柚巴はカードをそのままエプロンのポケットに突っ込んだのだと思う。  通常ならありえない行為だが、この会社に入ってからは交通費を降ろす時しかり、すっかり常習化していた。  いつぞやの撤収作業、柚巴は疲れて先に帰ったことがある。  あの日も最終日の売れ残りをバイトに配った。その時クレジットをエプロンに突っ込んでいたのなら。  帰った柚巴に代わり、備品の片づけをしたのは俊哉だ。エプロンのポケットに柚巴がクレジットを入れたままにしていたら、彼は気づいたはずである。  本当にこれで正しいのかはわからない。そもそも結局の原因は柚巴の不精である。誰かに相談したところで、おそらくそこを突かれて煙に巻かれるだろう。この会社ではみんなが疲れていて、厄介事を厭う。それにあの愛想のいい俊哉が犯人などということも、信じてもらえない可能性が高い。  確証が欲しいと思った。なにかわからないか、と…とりあえずやってみたのは、クレジットの履歴にあった使用した覚えもない会社を調べてみることだ。  そうして会社のHPを開いた瞬間に現れた、あられもない女たちの姿。柚巴は自分のクレジットがなにに使われたのかを悟った。瞬間、柚巴の中でなにかが切れた。  そして今、柚巴は自分が名古屋に宿泊した初日の、経費履歴をノートの中に見つけたのだ。
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