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気まずい喫茶店
全く困ったことになった。
久しぶりに喫茶店に行こうと思った昼下がりの休日。
店員に案内され席に座り、何を頼もうかと思案していた所、彼女は突如として目の前に現れ、急いで僕のいる席に座った。
僕と彼女は友達ではない。
ましてや、知り合いでもない。
一方的に知ってはいる人物であるがきっと彼女は僕のことを知らないだろう。
驚きと重く気まずい状況が続く。
店員さんが水を置き、何も言わずにその場を後にする。
単に言い忘れたのか。それとも面倒くさがって言わなかったのか。きっと後者だろう。
彼女は動かず、僕の方を見る。
何も言わない。
ただ、緊張した顔持ちで何か言いたそうにしている。
僕は水で喉を潤し、神様に拝む。
あぁ、神様。
どうか、僕をこの状況から救ってください。
休日に喫茶店に行ってみようと思ったのがそもそも間違いだった。
だから学校で注目を浴びる玲子さんと一緒の空間にいることになってしまったのだ。
僕は玲子さんのことを嫌いなわけではない。
その周りにいる人たちが嫌なのだ。
人気者な玲子さんには常に学校で上位の人間が群がっている。
以前、誰かが玲子さんに話しかけたことがあったが、散々な目にあったのを見たことがある。
もし玲子さんと休日の喫茶店にいる何てことを知られたら存在を消されてしまう。
僕の身体は奈落に落ちていく感覚に襲われる。
どれだけ頑張って這い上がっても落とされ続ける地獄。
僕は今、まさしく窮地にある。
今にも逃げ出したい。
けれど逃げたら玲子さんに不快な思いをさせるのではなかろうか。
もし玲子さん自身が無視されたと学校のみんなに言えば僕の学校生活は終わりだ。
慎重に行動する必要がある。
だが、学校の誰かに見られてもアウトなので素早く行動する。
「あの、玲子さんですよね?」
「……はい」
「何か僕に用があるんですか?」
「えっと……」
そう言って会話が途切れる。どうやら自分からは言いたくないようだ。
このままではまずい。もう自分で何とか早めに帰ってもらうよう仕向けるしかない。
その為にはよく観察し、論理を組み立てて推理するんだ。
彼女は何故知り合いでもない僕のテーブルに座ったのか。そして彼女は何を言いたいのかを。
まずは観察。
白いワンピースに紺色のカバンを身につけている玲子さん。
息を切らせている。
急いでこの喫茶店にきたのだろう。
次に玲子さんは、何故僕のテーブルに座ったのかを考える。
何か僕と話したいことがあったのか?
「やぁ、元気?そういえばこないだね……」
玲子さんが口達者に喋り出すのを想像する。
玲子さんは僕のことをきっと知らない。初対面の相手に軽々しく喋り出すなんて恐ろしこと出来るとは思えない。
僕はチラッと顔を覗いてみる。
玲子さんは耳まで真っ赤になりながら俯いている。
時間がゆっくりと過ぎていく。
頭が回らない。
落ちついて他の所に目を向けよう。思考の出発点を変えるんだ。
何故、彼女は息を切らせていたんだろう。誰かとの待ち合わせに遅れそうになったのだろうか?
いや、違う。
僕のいるテーブルに座る理由がない。
確かに4人座れるテーブルにいるけれど待ち合わせに僕がいるテーブルを選ぶ筈がない。
テーブルならまだ沢山余ってるし。
そう、テーブルは沢山余っている。
ならば、何故そちらに座らなかったのだろう。
玲子さんは座ることが目的ではなかった?
僕のテーブルでないといけない理由があったのだろうか?
頭のなかで何度も繰り返し、ようやく玲子さんのした行動の意味がおぼろげに分かってきた。
どうやら僕は気が動転していたらしい。
そう、玲子さんは僕に用があった訳じゃない。僕がいるテーブルのエリアに用があったのだ。
何故気づかなかったんだろう。
では、玲子さんは何の用があったのだろう。
玲子さんは喫茶店まで走ってきている。友達との約束に遅れそうになったのか?いや、この考えはさっき否定した。
他に喫茶店に急いだ理由。
忘れ物以外に思いつかない。
玲子さんは喫茶店で何かを忘れた。急いで駆けつけたということはそれは大切なものだ。
玲子さんは急いで喫茶店に入る。店員さんに忘れ物が届いていないかを聞き、まだ発見されていないことを知る。
すぐに回収しようと玲子さんは自分の座った席に向かった。この時、床に落ちていると確信していたように思う。
でも、僕がいた。
玲子さんは焦る。何故ならその落とし物は大切なものであり、見られると恥ずかしいものだったからだ。
だが、玲子さんは仕方がないと僕に断りをいれて落とし物を手にすることも出来た。
学校の人でなかったら恥ずかしいさを押し殺し、そうしただろう。
しかし、玲子さんは少なからず僕のことを自分の学校の生徒だと知っていたようだ。
学校の生徒には自分の恥ずかしい落とし物を知られてたくはないと思った筈だ。
幸い落とし物は床にあり見つけられてない。
けれど見つかる恐れがある。一体どうすればと考えた。
いい考えが浮かばず途方に暮れている玲子さんに店員が話しかける。
それどころではない玲子さんはどうにかして確実に落とし物を見られない方法を思案し妙案とは言えない策を実行する。
自分自身を使って僕の目を落とし物に向けさせないようにしたんだ。
先延ばしと言い換えることもできる。
店員さんに勘違いだったと説明し、友達を見つけたのでその人の席で食事をすると伝える。
こうして玲子さんは僕の目の前にいる。
そして玲子さんは僕にこう言いたかったのではなかろうか。
下を覗かないで下さいと。
どうだろう?少し推理が強引過ぎただろうか。
無論おかしな点も多い。
玲子さんが喫茶店を後にしたならば店員が掃除して落とし物は見つかっているのではなかろうか。
だが、先程の水を持ってきた店員が掃除したのなら落とし物を見逃したかもしれない。
水を置いて何も言わずに去ってしまう愛想のない面倒くさがり屋なのだから。
それと玲子さんの行動もいささか疑問だ。
幾ら落とし物を見られたくなくても僕の前に現れる必要はあったのだろうか。
僕が喫茶店から出るのを待てば絶対ではないにせよ安全に回収出来るのに。
余程見られたら困るものなのか。
とにかく時間が経つのは良くないので自分の推理を信じて話してみる。
「あの……玲子さん」
玲子さんはビクッと一瞬震えると更に顔を赤らめた。
「すみません、勝手に座ってしまって。でも事情がありまして」
か細い声で玲子さんは言った。僕に落とし物のことを言うか迷っているようだ。
「あの、もしかして。何か落とされたのですか?」
玲子さんは目を丸くした。
「何故知っているのですか?」
どうやら少なからず僕の推理は当たっていたらしい。
「いえ、そうかなと思って言っただけでして」
「誰にも言わないでくれませんか!」
食い気味に玲子さんは言う。
「何をでしょうか?」
僕は戸惑いながら言った。
「今貴方の前で起こったこと全てです」
「はい、言いませんとも」
玲子さんも僕と同じように噂にされたくない人間のようだ。
玲子さんはほっと一息つく。
「ありがとうございます、それを聞いて安心しました」
玲子さんはそう言うとテーブルの下に潜り、恥ずかしい何かを掴むとかばんに放り込んだようだ。
「私の落とし物見ましたか?」
玲子さんは顔を背けながらいう。
「いえ、全く」
僕は正直に言う。
そうですかと玲子さんはカバンをギュッと握りしめた。
「迷惑をかけてしまい申し訳ありません。何かお礼をさせて下さい」
有難い申しでだが、僕は丁重に断った。
「その代わりと言っては何ですが、今日僕に会ったことは秘密にして下さい」
玲子さんはキョトンとする。
「構いませんが、どうしてですか?」
僕は言い淀む。
「諸事情があるのです」
「分かりました、約束しましょう」
玲子さんはこれ以上いても迷惑になるということで喫茶店から出ていこうとした。
「すいません、最後にいいですか?」
「はい、何でしょう?」
僕は興味本位に聞いてみることにした。
「玲子さんが落とされたものってラブレターですか?」
玲子さんの動きが止まる。
学校の生徒にバレると恥ずかしく、必死に隠そうとした落とし物。
名前つきのラブレターなら玲子さんが必死になった理由も頷ける。
十分に条件を満たしていると思う。
玲子さんはゆっくりこちらを振り返る。
「いいえ、外れです」
そう言うと玲子さんは優雅な足取りで喫茶店を後にした。
僕は10分程ほっと胸を撫で下ろしていた。どうにか山を乗り越えた。
だが、最後に自分の推理が外れたことが少しだけ悔しかった。
まぁ、落とし物までは分からないよな。
そう考えながら僕はテーブルに隠されている床を覗いてみる。
すると細長く尖った何かが落ちていた。ボールペンだ。
拾い上げよくみると名前が書いてあった。
薄汚れて見えにくいが玲子さんのものだ。きっと落とし物を拾う時に滑り落ちたのだろう。
僕は店員を呼ぶといつもよりメニューを多めに頼むことにした。
玲子さんはいつ頃このボールペンに気づくだろう。
僕が食べ終わるまでに取りに来て欲しいものだ。
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