お義母さまと私

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  あのくそばばぁ。殺せるものなら殺してやりたい……。  四十五歳。綾小路菊枝は更年期の真っ只中。しかも、五十肩を患っている。ああ、ツライ。寝不足で、頭全体が霧に包まれたようにボーッしている。  こんな状態なのに、なぜ、私がこんな事をしなければならないのだろう。  情けなくなりながらも菊枝は、カウンターで恐縮したように頭を深く下げていく。   図書司書の若い女性は薄茶色の柔らかな髪を一つに編んで後ろに垂らしており、野暮ったい灰色のカーディガンと茶色の長い丈のスカートという優しげな雰囲気の感じのいい人だった。  菊枝は、姑の遥子が誕生日にくれたシャネルのツイードのワンピースを着ているのだが、哀しい事に少しも似合っていない。クリーニングする前にもう一度着ておこうと思い袖を通したが、もっと謙虚な服装にすべきだったと後悔しながら言う。 「まことに申し訳ございません。以後、気をつけます。汚した本は弁償しますので……」  最寄駅から電車で二十五分。そこから徒歩で五分のところに三階建ての県立図書館がある。今日は、姑の遥子の代理でここに来ているのだ。    ちなみに、遥子が汚した本は、メアリーという実在の英国のメイドが綴った手記である。感じのいい三十路の司書さんが困ったように頬に手を添えたまま静かに告げた。 「それがですね、デルタ出版は五年前に倒産しているんですよ。新刊は手に入らないんです」  その本の数ページがブラックコーヒーの色に染まっている。しかも、背表紙はダイナミックに猫の爪で引っ掻かれて破れている。これは修理をして何とかなるようなレベルではなさそうだ。 「古書店などで同じものが手に入れば助かるのですが……。発行部数も少ないので難しいかもしれません。これをお借りになったのは綾小路先生ですよね?」    そうなのだ。返却しに来たのは嫁の菊枝だが、これを借りたのは遥子である。 「す、すみません。うちの綾小路は、明日までに原稿を書き上げないといけなくて、今は執筆に集中したいと申しまして……」 「綾小路先生は、ヴィクトリア時代のメイドや下層民の生活を調べておられるんですよね」 「はい。他にも資料があれば集めるように言われておりまして……。今度は、本を汚さないように気をつけますので……」  どうか、お許しく下さいと半泣きの顔になっている菊枝を気の毒に思ったのか優しい声で言った。 「破損した本の事は綾小路先生と話し合うことにしましょう。それでは、資料を探すお手伝いをしますね。ヴィクトリア時代の婦人に向けて書かれたレシピ本や、ロンドンの労働者に関する事が書かれているものなど色々ありますよ」  司書さんは友好的であった。どうやら、遥子のファンらしい。 「中学生新聞に連載している『イライザの秘宝』を、あたしも愛読しているんです。いい話ですね」  綾小路遥子が、恋愛小説のコンテストに入賞してデビューしたのは二十歳の春。当時は、美人女子大生作家としておおいにもてはやされたようである。    しかし、バブル崩壊と共に出版業界も陰り始める。  遥子の恋愛小説は売れなくなった。令和に入ってからは、官能小説や時代小説や推理小説を書くようになる。しかし、それらは全く売れず、最近は、ヴィクトリア時代の貧しい少女が活躍する小説を中学生向けの新聞に連載しているのである。  それにしても、作家のくせして、借りた本を汚すなんてどういうつもりなのか。遥子の無神経さに腹が立つ。        
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