改札前にて

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

改札前にて

「ありがとう、ここまで送ってくれて」  そう言って、先輩は柔らかい表情になった。地下鉄の改札前はさほど混んでいなかった。 「いいえ。後輩の誘いに乗ってくれて、こちらこそありがとうございました」  礼をすると、先輩はこちらに近づいて「ずっと思ってたけど」と話しだした。俺は頭をあげて、先輩の目を見る。少しうるんだ瞳が、俺を見つめている。 「声」  その音の意味が解らず、首をかしげると、先輩はふふっ、と笑みをこぼした。笑った先輩を、初めて見た。思わず目を見開いてしまう。 「私、君の声が好きだよ」  そんなこと、と俺は思う。 「じゃあね」  先輩はすっと背中を向けて、改札の方へ歩いて行ってしまう。待って、と俺の心が叫んだ。 「先輩!」  先輩が立ち止まる。その背中に、俺はライブハウスで言いかけた言葉を言おうとした。 「でも俺は、先輩の――」  先輩は俺がその続きを言う前に、こちらに近づいて、人差し指を俺の唇に近づけた。 「先輩?」 「青に染まれば」  続きを促すように、じっと先輩は俺の目を見つめる。俺はおそるおそる、言葉を口に出す。 「もう何もいらないぜ」  人差し指が遠ざかっていく。 「「ロックンロールが死なないようにただ歌うだけさ」」  二人の声が重なる。そうして、先輩は「それだけ」と言って素早く去ってしまった。俺は動けずに、ただじっとその場に立ちすくんでいた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!