贖いを巻く

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空にゆらりと浮かぶ鈍色がただでさえ弱々しい斜陽を隠す。仄明るく揺らめく光が届くと、悠人は白い溜息を一つ浮かべた。 目の前のショーウィンドウには女性のマネキンが一つ、自分と同じくらいの子供のマネキンが一つ、手を繋いでいる。 鮮やかな色の衣料を纏い、子供は笑顔で母親を見上げる。母親もまた笑顔で子供を見ている。 悠人の両親は6歳の時に離婚した。母親が親権を引き取ったが、僅かな養育費と母親のバイト代だけで2人の生活費を賄わなければならなかった。生活が困窮しているのは9歳の悠人にもわかるほどで、日々の生活で精一杯だった。 母親は古着屋で手に入れた黄土色の重いコートを着て毎朝仕事に出る。アパートの窓から見る彼女はいつもひどく寒々しかった。 土日も彼女は仕事に出かけた。最近引っ越してきたこの地に悠人は友達も作れずに、毎週末は1人であてもなく町を散策する。 その散策は毎回、いつの間にかこのブティックに悠斗を誘う。ショーウィンドウに飾られた作り物の親子像は、いつも悠人の心を擽り、そして次第に抓るような痛みを与えるのだった。 「気になるのかい?」 不意に話しかけてきたのはブティックの店主だった。 「あれ、触ってもいい?あのマフラー。」 「もちろん、いいよ」 優しそうな店主は真っ赤な、見るだけで暖かくなりそうなマフラーを店から取り出してきた。 「ほら、中でゆっくり見てごらん。これはカシミアっていう素材でできてるんだ。暖かいだろ?  お母さんに買ってあげたいのかい?」 店主は悠人の首にそのマフラーを巻いて、ゆっくりと語りかけた。 悠人はその暖かさ、心地よさに驚いた。ふと、値札が見えたが、それは悠斗が理解できる範囲を超えるものだった。 「お母さん、僕のせいで、いつも寒そうだから」 悠人がそう言うと店主は気まずそうに微笑み、店の奥から他の客が呼ぶ声を聞くと、そちらの対応に回った。 残された悠人は首にマフラーを巻いたまま鏡の前に立った。 そこには、少し背伸びをした少年が映っていた。似合っているとは言えないが、自然と頬は綻び、次第に"かしみあ"の感触がくすぐったくなった。 ふと周りを見渡すと、子供の身長ではそこは店の死角で、ゆっくりと店の外に出ても誰も気づいていないことに悠人は気がついた。 そしてジリジリと店から離れ、気づくと近くの横断歩道の手前まで来ていた。 「おい、待て!」 店主の叫ぶ声が聞こえて悠人はハッと我に帰った。10メートル先には店主の驚いたような顔があった。ふと右に顔をやると、歩行者用信号は悠斗を急かすように青色を点滅させていた。 「おーい!誰か捕まえてくれ!」 店主の叫び声を背に、気付けば必死に走り出していた。 自分は物を盗んだんだ、走りながら次第にその事実が頭の中に浮かんだ。 恐ろしくなって悠人はただがむしゃらに走った。 黄昏の街は風を一層冷たくして音を忍ばせ、一人の少年を隠すようにして陽を落としていくのだった。 何時間経っただろう。悠人はどこをどう通ってきたのか、気付いたらアパートの前にいた。 くすんだ町並み、掠れた色の服装に不似合いな真っ赤なマフラーを持って。 母親は仕事から帰ってきているようで、家には灯りが灯っていた。 厳しい母親が怒るのは目に見えているのだから、こんなもの捨ててしまえばいいはずだった。ただ悠人はどうしても持って帰らなければならない気持ちに駆られていた。 普段伝えられない、9歳にはとても複雑すぎる感情を、そいつが代弁してくれる気がしていたのだ。 「ただいま」 「おかえりなさい、どこ行ってたの?心配したんだから」 母親は夕ご飯を作っている最中だった。 「これ、」 「なにこれ?」 「プレゼント。いつもありがとう。でもごめん、盗んできたんだ」 母親は悠人の突拍子もない発言に驚き、理解に数秒を要した。 「盗んできたって?どこから?」 「お店、三丁目の」 「なんてこと!」 顔を真っ赤にして、眼を潤ませ声を荒げた。 「ごめんなさい」 「悪いことってわかってるのね?今から謝りにいきましょう。どうしてこんなことしたの!?」 「お母さんが寒そうなの、嫌だったんだ」 それを聞くと、ふっと息を飲んで悠斗を見つめた。両眼から筋となって涙は溢れていた。 「ごめんね。ごめん、悠人は悪くないの。」 母親は膝をつき、悠斗を強く抱きしめた。 「どうしたの?謝りにいかなくちゃ。」 悠人は困惑してどかそうとしたが、母親は離れなかった。 「ううん、やっぱりいいの。折角のプレゼントだもの。明日からつけるわ。でも、2度と盗んだりなんてしないでね。いや、させないようにお母さん頑張るから。」 そういうと母親はマフラーを手に居間へ戻るのだった。 それから、母親は春先まで毎日そのマフラーを巻いていた。 厳しいのは相変わらずだったが、一緒にいる時間が少し増え、笑顔をよく見るようになった。 たまに、カサブタを触れる時の様な表情でマフラーを撫でる仕草も癖になっていた。
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