1、俺の仕事は今日も今日とて終わらない。

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「……はい、十時になりましたので、東京都と埼玉県の講和会議を開始したいと思います」 「…………」  その女性は目の前の空席へ無言で頭を下げる。  俺はその女性が頭を上げたのを確認して、講和会議を進行するべく続ける。 「本日、埼玉県側は欠席のようですが、地方調停法何条か忘れたけれど、なんかの項目に基づきまして、出席している東京都の現状報告に移りたいと思います」 「……そこはちゃんと何条の何項に基づきましてって覚えておこうよ、うるくん」  その女性はどこか気を抜いたように、そう俺をプライベートのあだ名で呼んでくる。 「東京都全権の千ヶ(ちがせ )さん、いくら幼馴染みとはいえど今は仕事中です。プライベートの話題は避け、速やかに東京都の現状報告に入ってください」  俺は苛立ちを滲ませつつ、その女性――千ヶ瀬知鞠(ちがせ ちまり)にそう促すと、彼女は「うるくんのケチ」とか一瞬不満そうな表情を見せ、すぐに仕事モードであろう他人行儀な真剣な眼差しへと戻り、 「それでは、調停官の指示に従いまして、東京都側の現状報告に入りたいと思います」  と、思いっきり手元の書面を見ながら、棒読みでそれを読み上げ始めた。  こいつ、埼玉の全権がいねえから好き放題やりがって、と思いつつ、俺はその報告を聞き流す。  そもそも埼玉側がサボったせいで今日のこれは形式上のものでしかなく、ぶっちゃけ講和会議をすることに意味はない。  だから、極論を言っちゃえば、知鞠とプライベートのように雑談をして適当に時間を潰してもいいのだ。  けれど、そんなことをして、マスコミかなにかにそれが漏れれば、俺のクビは簡単に飛びかねないし、調停という制度の根幹そのものが揺らぎかねない。どこから嗅ぎ付けてくるんだよ、まったく……。  そもそも俺たち調停官は、紛争状態の都道府県同士のつまらない諍いを国という第三者の立場から和解へと導いているのだ。それが癒着というか、片方に肩入れしていれば公平な調停はできない。  ……ああ、面倒だ。  そう思いつつ、俺は正面の立て付けの悪い扉を眺める。    が、当然のごとくそこが開く気配はない。  どうやら、埼玉県全権様はこんなボロいビルで東京の全権と講和会議などしたくないらしい。  あとで埼玉の方に出張かよ、めんどくせえな――とそんなことを思っていると、 「――以上で東京都側の現状報告を終了いたします」  どこかホッとしたような、一仕事を終えたかのような表情を浮かべ、知鞠は持っていた書類を傷だらけの会議用のテーブルの上に置いた。 「続いて埼玉県側の現状報告に移りたいと思いますけれど、埼玉県全権はいらっしゃいませんので、割愛させていただきます」 「あとの項目ってさ、わたし一人がいただけじゃなにも話にならないんじゃない?」 「俺もいるんだけどな」  まあ、知鞠の言う通り、後の項目では双方の都道府県の全権がいなければ話が進まない。ならば、講和会議とは名ばかりの会議を続けるだけ時間の無駄だろう。 「では、後の項目も割愛させていただき、以上をもちまして、本日の東京都と埼玉県の講和会議を終了させていただきます。担当調停官は、南関東北部管轄調停官宇津木閏でした」  俺は座ったまま軽く頭を下げる。 「…………」  それと同時に知鞠もまた空席に向けて頭を下げた。  ただその行為は無意味でしかないと言うのに。
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