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なんてこった。
愛理は口のまわりにクリームをつけて幸せそうな顔をしている。
「すいませんス。自分はいただこうか迷ったんスけど」
「新妻くぅん。ケーキはあれだ、うんっ、なんていうか、哲学だね」
「ケーキなんてハイカラなモン、あたしゃ慣れないモンさね」
口々に述べられるが、みんなの口の端にクリーム的なものがついているのは気のせいだと思いたい。
やれやれ。僕と前野くんのケーキは、来年に持ち越しのようだ。
「気にしないで下さい、先生」
走り回った本人が食べられないというのも気の毒だが、前田くんは清々しい顔をしていた。
まあ文字通り、憑き物が落ちたってところなんだろうね。
「所長、私もちょっとお話があるんですけど……」
愛理だ。酔ってるのだろうけど、いつものクール&ビューティーな顔で僕を見た。
「ああ、何だい愛……樹原くん」
周囲の視線を警戒し苗字呼び。よかった、彼女も特に気にした様子はない。
話? 何だろうか。表情からは強い決意を感じる。
「屋上へ宜しいですか?」
「あ、ああ」
意味もなくネクタイを締めなおす。僕も十分に気合を入れる。
大家さんや小森さんに野次られるかと懸念したが、みんなすでに出来上がっていて僕らは眼中にないようだ。
二人揃って屋上へ。
本日三度目の屋上である。雪も積もり正直寒い。しかし愛理から話したいと言われれば、例え火の中水の中ってね。
え? 今の若い人はそんな言葉知らない?
「どうしたんですか?」
猫の絵が散りばめられた可愛らしいマフラーで口元を覆った愛理が手すりに手をそえる。
さすがに体の芯から冷えるが、この子を見ていると苦境さえ何でもないことに思えてくる。
人は一人では生きていけない。ふとそんな言葉が頭をよぎる。彼女がこの事務所に来た時はどうなるかと思ったけど……ああ、その時のエピソードは、ちゃんと別の機会に語るさ。
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