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署内は学生の文化祭前のように、にわかに色めきたっていた。
しかし、刑事たちがはしゃいでいるのも、これが束の間のジェットコースターのようなものだと分かっているからだろう。
あそこまで現場に証拠が残っていて、犯人がすぐ挙がらないわけもない。
捕まえて、吐かせて、それが終わってしまえばどんな奴でももうただの人だ。
法に縛られ何を“のたまおう”が、ただ牢獄で管理され死んでいくだけ。
みな平等に、ただのつまらない人間になる。
今は皆コキコキとジェットコースターが上がっていく過程をただ楽しんでいるだけだ。
「また何か起こってくれないか?」
そんな声が、聞こえて来るかのようだった。
しかし、鑑識の結果はある意味で、その期待に大いに応えてくれた。
里美は雄弁と語る。
「現場から検出された精液ですが、全て同一人物の物である可能性が高いです」
まず、そこで刑事たちは色めき立った。
思わず、鼻をならしてフッと笑ったものもいたほどだ。
顔をしかめている管理官ですら、目元が多少緩んでいるのは明かだった。
(あれが同一人物の精液? いったい何年かけてシコシコためたというんだろう)
男達は生みの苦しさもそれとなく分かってる。
あれは、100回~200回分の量じゃない。それは明かだ。
「となると、犯人は精液を冷凍保存か何かで蓄えていたのかな」
管理官の林が訪ねた。
「精液の保存というのは、技術的にはどうなんだ。素人にできるものか?」
里美は表情を崩さず、その後を続けた。
「精液の室にこだわらなければ出来ないこともないそうです」
「どのくらいの量だったか分かるのか?」
管理官が、さも平然と聞いた。刑事たちはぐっと注意を向け里美の答えを期待した。エロオヤジ達の視線を浴びても里美は物怖じすることなく平然と続ける。
「平均的な成人男性が毎日自慰行為をして、10年分の量ということでした」
ブハッとそこで思わず噴出した男がいた。
若手の瀬尾だ。瀬尾は絶えられないといった感じで「すみません、すみません」と言いながら肩を揺らした。
瀬尾を皮切りに静かな笑いが全体にも伝わった。
木村だけが不快そうに固まっていた。
「10年もため込んでたんすね」
喫煙所で煙を吹かしながら、瀬尾は愉快そうに煙に波立たせた。
筋の通った高い鼻の下で薄い皮肉な笑いを浮かべる。
普段はするどい視線も今は楽しそうに緩ませている。
「そうだな」と堺も苦笑いを浮かべる。
「俺の予想だとね、堺さん。犯人はこの精液の主のツレですね」
瀬尾はうつむき、少し波がかった前髪と煙草の灰を落とす。そして、自身あり気に堺を見上げた。
「ツレ?」
「えぇ、精子バンクで働いてる女で、変態です。彼氏の精液をシコシコこっそり溜め込んでたんですよ。でも、男の浮気が発覚してパーン。10年も子を作らず避妊してゴムだしされてたやつを溜め込んでたんです。根深いですよ」
自分で言いながらヒッヒッと瀬尾は笑う。
「で、その精液を男の浮気相手にぶちまけたわけです」
「そうか? そこまで想う男の精液なら、浮気相手にかけたくないんじゃないか」
「人間なんてそんなもんっすよ。」瀬尾はあざ笑うかのように言う。
「歪んでるんです。衝動に道理はとおらない。気分ですよ」
「まぁな。どうせ、はなから普通な奴じゃないが」
そこに慌ただしく里美が入ってきた。
「どうかした?」と瀬尾が聞く。
「…が見つかりました」
興奮して息を荒げている里美に「何?」と瀬尾が強めに聞き返す。
「また死体が見つかりました。精液まみれの死体です」
うわ、と瀬尾が漏らした。
「写真で見た所、ほぼ同じ状態です。同一犯かと」
「20年分かぁ」瀬尾は呆れたように鼻で笑った。
口先からぷかぷかと煙が揺れる。
満足そうにひとしきり灰を3三つ落とした後、瀬尾は堺を見た。
「この犯人、捕まえたいですね。俺」
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