……玲瓏院の一族……

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 それから一週間を、僕は憂鬱な気持ちで過ごした。  も、もしかしたら、僕が偶然一度も見かけていないだけで、火朽くんはどこかにいるのかもしれないとも考えて、必死に周囲を視線で探したが、やはり一度も大学で見かけた事はない。  どうやら皆が火朽くんと話しているらしき場面に遭遇したとしても、その中央はポッカリと無人である事が多いのだ。それこそ、人、一人分……。  こうして翌週、打ち合わせの日がやってきた。  いつものゼミの時間の十分前、僕は民族学科準備室脇の、小会議室3の扉を開けた。  中には白いテーブルと、向かい合わせに椅子が一つずつある。  左側の椅子は、誰かが座ったまま直さなかったのか、少しだけ傾いていたので、僕は誰も座っていない右側の椅子を引いた。事前に使用していた人々は、戸締りも忘れたのか、窓も空いている。しかしこれは、室内が暑いから、丁度良い。外の熱気も暑いが、空調をつけるよりは、まだ窓から空気を入れるだけでも、涼しくなる季節だ。  嘆息しながら腰掛けて、僕は腕時計を一瞥した。  丁度、チャイムが鳴る。ゼミの時間は、これから一時間半だ。  果たして――火朽くんなる人物は、きちんと姿を現すのだろうか……?  それから、一分、十分、十五分と、どんどん時計の針は進んでいった。  秒針がいやに耳につく。  しかし、時折閉まっている扉を見ても、開く気配はない。  正面に視線を戻しても、入った時からの通り、誰も座っていない。 「……」  僕は、何も言葉が出てこない。溜息だけは、何度も出てきたけど。  これ、さ。  火朽くんという人物が存在しない以上、僕だけ一人で発表するという事なのだろうか? 「……」  そうだとすれば、打ち合わせの必要はないが、僕は二週間と、最後だからさらに与えられている二週間の猶予で、何か発表内容をひねり出して、資料などを作成しなければならない。  気が重い。憂鬱すぎて、思わず目を細めた。  しかも、難題がある。僕は、火朽くんが存在するかのように、パフォーマンスをする事を期待されているのかもしれない。しかし、されていないかもしれない。いない人物について、僕が話し始めたら、みんながやっとネタばらしをしてくれる可能性もあるが、爆笑するような気もする。何せ彼ら・彼女ら・先生は、僕をからかっているのだと考えられる。  悩んでいる内に、あっさり一時間半が経過した。  ゼミの終わりを告げるチャイムが鳴り響いたが、打ち合わせには終了時間は無い。 「……」  もしかしたら、微レ存の可能性として、火朽くんなる人物が、遅刻しているという事もあり得る。僕は、彼の連絡先を知らないし、彼も知らないだろう。もう少しだけ、待ってみようか。  そう考えて、僕はそれから三十分間ほど、僕以外無人の小会議室にいた。  しかし、誰も来ない。  もう、ダメだ。だって、火朽くんなんて人は、いないんだし。 「……」  帰ろう。図書館にでも出かけて、何か発表用のアイディアを探そう。  大きく溜息をついてから、僕は立ち上がった。  扉を軋ませ外へと出てから、僕はまっすぐに夏瑪先生の教授室へと向かう。 『どうぞ』  ノックをすると、夏瑪先生の声が帰ってきた。  扉の前で小さく頷いてから、僕はノブを握る。 「失礼します」  こうして、僕は教授室へと入った。
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