……玲瓏院の一族……

20/20
前へ
/111ページ
次へ
「やぁ、玲瓏院くん。どうかしたのかね?」  いつも通りの柔和な笑顔で、先生が僕を見た。僕は内心ではモヤモヤしつつも、努めて無表情を心がけながら告げる。 「すっぽかされました」  先生も、火朽くんがいる素振りなのだからと、僕は抗議の意味も込めて、さも存在するかのように言った。すると、夏瑪先生が、虚をつかれたような顔をした。 「あの火朽くんが、すっぽかした? 来なかったのかね?」 「ええ。この二時間、僕はずっと待っていましたが、誰も来ませんでした」 「それは奇妙だね、何かあったのかもしれない」 「――僕、帰って良いでしょうか?」 「ああ、私から連絡をしてみるが……」  僕の声に、夏瑪先生は言いかけてから、不意に口を閉じた。  そして、改めて僕を見る。 「玲瓏院くん、時に一つ聞いても良いかね?」 「なんですか?」 「君は、火朽桔音という人間について、どういう印象を抱いているんだい?」 「率直に言って――特に何も」 「人とは、他者に対して、多かれ少なかれ、何らかの感情を持つと、私は考えているが」 「火朽桔音という人間は存在しません」  僕はムッとしながらそう告げた。いない人に対して、抱く感情などない。  すると、夏瑪先生が、驚いた顔をした。 「確かに――火朽くんという人間は、存在しないね」  続いた声に、今度は僕が息を飲む番だった。やはり、存在しなかったのだ。  先生が、それを認めてくれた! やっぱり僕は、みんなにからかわれていたらしい。 「さすがは玲瓏院くん。しかしね、人間ではない相手だからといって、態度をあからさまに変えるのは、どうかと私は思うがね」 「どういう意味ですか? 僕にも、存在しない架空の対象を前に、さもいるかのように振舞えという意味ですか?」  僕は率直に尋ねた。この回答により、発表時に火朽くんがいるふりをしながら発表するかどうかが決まる。 「――架空の対象? 確かに非科学的ではあるとは思うが、彼のような『現象』であっても、感情を持つ存在は、この世界には少なくはない」 「現象……? いない人をいるかのようにみんなで話しているだけじゃないですか」 「ん? なんだって? もう一度、言ってもらえるかね?」  夏瑪先生は、まじまじと僕を見ている。 「だから、誰もいない所に向かって、みんなで話しかけて……僕には理解できません。裸の王様の見えない服を、みんなで見える見えるって言ってるのと、同じじゃないですか」  悲しい気分になりながら、僕はそう続けた。すると、その場に奇妙な沈黙が降りた。  それから、間を置いてから、先生が僕に言った。 「念のため、聞いて良いかね?」 「はい」 「玲瓏院くんは、この大学構内において、『火朽桔音』という”存在”を目撃した事はあるかね?」 「無いです。一回もありません!」  はっきりと断言する。そんな僕を見て――先生が、小さく吹き出すように笑った。  それから、お腹に手を当てて、少しだけ体を傾け、本格的に笑い始めた。  いつもは微笑だから、こういう先生の姿は珍しい。 「うん。君は、さすがは玲瓏院家の人間だね」 「へ?」 「いいや、すごいのは君だ。やっぱりさすがだよ、玲瓏院紬くん」  僕は馬鹿にされているのだと確信した。少しだけ頬を膨らませて、僕は半眼になる。  そして、改めて言った。 「僕、帰ります」 「ああ――それと、来週もきちんと時刻通りに、小会議室には行く事を勧めるよ」 「え? 誰も来ないのにですか?」 「いいや、誰かが来るかもしれない。私は、それを期待している」  そう言って悠然と笑った夏瑪先生を、しらっとした気分で眺めてから、僕は退室した。
/111ページ

最初のコメントを投稿しよう!

124人が本棚に入れています
本棚に追加