……火朽桔音という現象……

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「ふぅん。お前は、『狐火』か。直訳したら、『FOX FIRE』――朽ち果てるって意味だな。じゃ、今日からお前は、火朽桔音と名乗れ。俺はまだ、日本に来たばかりだから、この国で言う妖怪、その中でも、狐火みたいな『現象』については、詳しいとはお世辞にも言えない」  出会ってすぐに、ローラが猫のような瞳に面白そうな色を宿して、そう言った。  彼がニヤリと笑った事を、火朽はよく覚えている。 「それに人型をとって生きていく以上、名前があった方が、何かと楽だ」  火朽は当時、その声に頷いた。それにしても――安易とはいえ、随分とキラキラした名前だなと、感じた記憶がある。  その際、ローラに火朽は尋ねた。 「どうして貴方は、ローラと名乗っているんです?」  するとローラは、僅かに茶色にも見える黒髪を揺らしながら、紫暗の瞳を細めて笑った。 「ん? ああ、俺は吸血鬼だからな。先日読んだ、吸血鬼が主題の小説に、そんな登場人物が出てきたから、拝借したんだ。苗字は、この国では、俺達のような存在を『あやかし』と言うんだろ? そこからもらった」  ……ローラという登場人物は、吸血鬼の名前では無いように思ったが、その時、火朽は何も言わなかった。今でも、ローラは、気に入っているのか、その名前を用いている。  ――そこへ砂鳥の声が響いてきたので、火朽は我に帰った。 「働くって今更……何するの?」 「ん? 喫茶店」  何気ない様子で、ローラが答える。当然だと、そう言うような声音だった。実は火朽は、事前にこの話を聞いていた。その時も、非常に唐突ではあったのだが。 「なぁ、桔音」  そう声をかけられたのは、昨夜の事だ。 「なんです?」 「お前さ、前に、人間のする『勉強』というものを、してみたいだのと、言っていたよな?」 「ええ、まぁ。なので僕は、相応に読書などをしていますよ」 「ほら! もっと、専門的に、勉強するっていうのはどうだ?」 「専門的?」 「大学生になる――楽しそうじゃないか? 大学に通え」  ニヤリと笑ったローラを見て、火朽はこの時には、既にそれは決定であり、己が口を挟む余地は無いのだろうと、確信していた。実際、それは事実である。ローラの決定は、ほぼ絶対と言える。嘆息してから、火朽は改めてローラを見た。 「何故、大学なんです?」 「ん? 桔音の見た目が、まさに大学生だからだ」  その声に、火朽は吹き出しそうになった。妖怪であるから、見た目を変える事は、そう困難では無い。ある種の暗示をかければ、人間は火朽の姿を、個々人の頭の中で、様々に認識するからだ。もっとも、確かに現在は固定して、二十代前半くらいの青年姿を、火朽はとっている。  薄い茶色の髪色に、それよりは少しだけ暗い土色の瞳だ。  大学生と聞いたとしても、誰も疑問を抱かないだろう。
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