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翌日、まず火朽は、それとなく玲瓏院紬を観察してみる事に決めた。
無論、本分は大学生活を送って、人間の得ている知識を収集する事であるから、観察は片手間に過ぎない――はず、だった。
火朽は、バスターミナルから構内に向かってくる学生の人波を一瞥し、その日の朝、一限の直前に、観察対象を発見した。”能力”の気配で、すぐにいるのは分かったし、あるいはそれがなくても、周囲が紬に対して、憧れや羨望の視線を向けているため、気づく事が可能だっただろう。ただ、明確な事実として、別段待っていたわけではない。
無表情で歩いてくる紬は、どこか憂いを感じさせる眼差しで、時折嘆息している。
そして彼は、火朽の前を通り過ぎようとした。
だから、それとなく横に並ぶ。
「玲瓏院くん、おはようございます」
笑顔を貼り付けてそう声をかけたのは、十一号館のエレベーターホールでの事だった。
一限であるのも手伝って、その場には、二人きりだった。
先程バスを下車した学生達の九割は、仏教学科の必修に出席予定らしい。
事前に、夏瑪から『めったに受講者がいないけど面白いよ』と紹介された講義の教室に、火朽は向かう途中であり、そのために移動する中で、偶発的に紬と同じ空間に身を置く事になっただけだ。
「……」
しかし気怠い表情の紬は、火朽に視線すら向けない。挨拶も返さない。
ぼんやりと澄んだ瞳で、エレベーターが一階に到着するのを待っている。
「――あの?」
「……」
「玲瓏院くんは、もしかして低血圧なんですか?」
努めてにこやかに火朽は聞いた。だが、紬に反応はない。
その時エレベーターが到着した。すると紬はさっさと乗り込み顔を上げた。
「あ、僕も乗りま――」
火朽がそう言いかけた時、目の前でエレベーターの扉が閉まり始めた。
完全に、『閉』ボタンを、紬が押している。
……ちょっと待って頂きたい。これは、無視ではない。嫌がらせである。そう考えて、火朽は表情こそ笑顔だったが、心の中で激怒した。
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