……玲瓏院の一族……

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 僕はルーズリーフに視線を戻しながら、小さく首を傾げる。  聞いた事が無い名前だったからだ。  ――火朽くん?  お世辞にも大きいとは言えない大学だから、噂になるような学生や教職員は、すぐにみんなが覚えてしまう。しかし僕には、『火朽』という名前に、心当たりが無かった。  一体誰だろう? 新入生が入ってきて、既に二ヶ月だ。六月に入って、再度脚光を浴びたイケメンなのだろうか? そう考えつつも、僕は小さく頭を振る。  相手が美人の女の子ならば、食いついて聞いてみても良いが、イケメンには興味がない。  そんな事を考えている内に、講義が終了した。  学食へと向かい、僕はかけ蕎麦にイカ天をトッピングしてもらった。昔ながらの食券で、好きなおかずをのせてもらえる。  列を抜けて昼食を手に、僕は空席を探した。  すると窓際の一人用の席が空いていたから、静かにそこへと向かう。  椅子を引き、座ってから僕は、割り箸をわった。 「だけど、火朽って良い奴そうだよな」  声が聞こえてきたのはその時で、何気なく視線を向けると、椅子をひとつ挟んで向こうに並んで座っている、男子学生が二名で雑談をしていた。宮永と時岡だ。この二人も、僕と同じで、夏瑪先生のゼミだ。  大抵二人は同じ講義をとっているらしい。南方と楠原は女子だから別として……高校から同じなのに、僕は彼らに昼食を誘われた事は、実を言えば一度もない。僕には童貞だけあってカノジョは勿論、女友達……どころか、男友達さえいないのである。悲しい現実だ。  皆、『玲瓏院家の御子息とご一緒するなんて、畏れ多い』と言う。  しかしそれは、僕から見ると、”ぼっちで過ごせ宣言”に等しいし、避けられている気分にしかならないし、イジメでさえあると感じる。ゼミには、他にもう一名、他の高校から進学してきた、日之出くんがいるが、僕は彼とも親しくはない。日之出くんは、ちょっと……なんていうか、風変わりだから、率直に言えば苦手だ。  合計六人のゼミにおいて、女子二名・男子二名・僕・日之出くんという、無言の親しさによる壁が存在している。 「わかるわ、時岡。火朽って、人当たりも良さそうだしな、話してて印象良いよな」  カツ丼を食べながら、宮永が時岡に対して頷いた。  すると時岡が、本日のランチ(A)である生姜焼き定食を食べながら、満面の笑みを浮かべる。 「今度、昼飯に誘ってみるか」 「良いねぇ。俺、大歓迎だ。時岡、来週のゼミの後にでも誘えば?」 「そうだな。ま、ゼミの後なら、遊びにでも誘うか?」 「うん。そうしよう。俺、その日はバイトないし」 「宮永は、今も居酒屋か?」 「そうそう、ホール」  その後、二人は雑談に興じ始めた。僕は蕎麦に視線を戻し、項垂れる。彼らが、僕を誘ってくれる日は、きっと来ないのだろう。もしかしたら僕は、『話していて印象が悪い』と思われているのかもしれない。  憂鬱な気分で嘆息してから――僕は、改めて疑問に思った。  ゼミの後に誘うと話していたけど、火朽くんって、一体誰なんだろう?  ゼミの後は、本来五限の時間だが、夏瑪先生のゼミの六人のメンバーは、誰も講義を入れていない。だから、多くの場合は、そのまま教室で過ごすか、先生の教授室にお邪魔して、貴重な民俗学の文献などを、みんなで見せてもらっている。  その場にいる事に対しては、誰に何を言われるというわけでもないから、僕は自分が嫌われていないと信じたい。きっと、『玲瓏院』という名前が悪いのだと思いたい。ただ、現実としては、僕側にも「一緒に遊びに行こう」と誘うような積極性がゼロだから、僕も悪い。
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