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……玲瓏院結界……
――夜更け。
正確には、既に”朝”として良い時刻、午前四時。
緑色の紋付姿で、玲瓏院縲は冬の路を軽快な足取りで進んでいた。
陽が未だ登らない。周囲は、闇に包まれている。
普段の接待ならば、家の車を呼ぶ所だが、本日は玲瓏院家と心霊教会の重役二名による、『存在していない会談』の帰りであったから、人目につく事を避けて一人帰宅している。
縲は、気分が良かった。漸く、一つの大きな仕事を終えたからである。
玲瓏院結界の再構築が叶い、縲は明るい気分で、それこそ鼻歌交じりで歩いていた。これで、夏瑪夜明を初めとした凶悪な妖魔の類の多くは、この新南津市から出られなくなったはずであったし、力も封じる事が出来た――そう確信し、頬が緩むのを止められない。
薄く積もった雪を踏みながら、ここまでが長かったなと考える。近くの街灯の下を通り過ぎながら、人気の無いこの今を、内心で一人歓迎していた。幸先が良い。
「っ」
浮かれた気分で歩いていた縲が、硬直したのはその時だった。
街灯のすぐ隣にて、闇に紛れ、闇から浮き上がるように実体化したとある吸血鬼――夏瑪夜明が、縲の背後に立った数秒後の事である。まさに、牙を突き立てられた瞬間だった。
「やってくれたものだ」
「な」
黒い粘着質じみた痛みが左の首筋から流れ込んでくる。周囲に威圧感が溢れかえっているため、縲は身動きが出来なくなった。信じられないという驚愕も、体の動きを封じている。何故……何故、力を喪失していないのか?
「解いてもらおうか」
「!」
「すぐに玲瓏院結界を解除しなければ、私は君の――縲さん、君の命を保証しない」
「ッ、ァ」
痛みから縲が喘ぐ。綺麗な金糸の髪が、肌に張り付いていた。冷や汗と怖気が、彼の体を支配している。
「私は自分の行動を制限される事が非常に嫌いなものでね」
瞬間的に、周囲に薔薇の香りが溢れかえった。それは、夏瑪が縲に”刻印”をした瞬間でもあった。瞬きをするよりも早い、一瞬の出来事だった。
「……ん」
次に縲が目を開けた時、そこは見知らぬ場所だった。最初は事態を理解できないままで、縲はぼんやりと周囲に視線を這わせていた。薄暗い、窓の無い部屋にいた。周囲の壁はコンクリートであり、目立つ家具は無い。続いて認識したのは、自身の両手が頭上で拘束されている事だった。長い鎖が天井から垂れ、手錠に繋がっている。それがピンと縲の両腕を持ち上げていた。背後には柱のものがあるらしいと縲は理解していたが、実際にそこにあったのは、白く巨大な十字架である。
「目が覚めたかね?」
そんな縲の姿を、暗がりの中、ボルドー色の布がかけられた一人がけのソファに座り、人の血に赤ワインを垂らした”血酒”を飲みながら、夏瑪が見ていた。ワイングラスで揺れる酒の色も、布の色も、まだ縲には視認できていなかったが――忌々しい吸血鬼の姿を見て、縲は瞬時に覚醒した。
「私は、知っているとは思うがね、ブラックベリー博士とは異なり、人を喰い殺す事に躊躇は無い。玲瓏院家のご当主であり――仏において、対吸血鬼殲滅部隊にいた縲さんならば、私が”刻印”したというのが、どういう意味か、すぐに理解してもらえると思うがね」
その言葉に、縲が目を見開いた。
「ぁ」
同時に、体の内側に渦巻いている灼熱の存在に気づいた。
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