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「昼威よ、視たくないのであれば、これを身に付けるが良い」
そう言って差し出されたのは、銀縁の眼鏡だった。度数の入っていない伊達眼鏡である――代わりに、玲瓏院家の神聖な力を込めてあるとの事で、その古びたデザインの眼鏡をかけると、日常生活が少しだけ楽になった。
視えてしまうから、昼威は心霊現象が大嫌いだ。否定して生きている。
そんな経緯で、現在も伊達眼鏡は愛用している。よく、もっと洗練されたデザインの品にしてはどうかと提案されるが、視力に問題は無い。
ただ、眼鏡に触れると前髪が邪魔なので、後ろに流しているせいで、年齢よりも上に見られる事が多い。同時に、頭が良さそうだとも言われる。
しかし、医師の全ての頭が良いというのは、誤解である。
藍円寺昼威は、浪人こそしなかったし一発で国試にも通ったが――見た目に反して、お世辞にもきちんとした人間ではない。集中力が人よりあるので、熱中した事のみ記憶力が働くし、試験前にもそれは発揮される……が、すぐに忘れるタイプだ。
幼き日は、一夜漬けの名手だった。
その点で言うならば、昼威は三人兄弟なのだが、末っ子の享夜(キョウヤ)が一番きちんとしているだろう。現在の藍円寺の住職は、享夜だ。
なお、長男の、朝儀(アサギ)は、現在三十六歳にして、転職活動中の無職であり、シングルファーザーである。朝儀の息子で来年中学生になる、斗望(トモ)を入れて、この三名が、昼威の近しい家族だ。男ばかりだ。
白衣に袖を通し、空調の温度を確認してから、昼威は時計を見た。
現在、十四時五十分。午後の診察は、十五時からだ。
なお――予約は、二名。本日は、珍しく多い。
「……」
名前を見て溜息をついてから、昼威は待合室へと向かった。
――無人である。予約は十五時半から一名、十六時半から一名だ。
飛び入りの患者が来る事も滅多にない。これでは食べていけないため、昼威はクリニックを閉めたあとは、近所の総合病院の救急でバイトをしている。今日も十九時からはそちらの予定だ。
昼威が脳裏でスケジュールを思い出していた時、不意に神聖な気配がした。
それを感じて昼威は、悪魔にでも遭遇したかのように、嫌そうな表情になる。
足音を聞き取ってからすぐに、クリニックの扉が開いた。
「こんにちは、昼威先生。今日も暇そうで良かった」
「何をしに来た?」
入ってきたのは、この土地で比較的有名な(観光名所である)、御遼神社の跡取り神主だった。馴れ馴れしく、人の傷を抉るような事を、笑顔でサクッと口にした、御遼侑眞(ゴリョウユウマ)の姿を見て、昼威は苦々しい表情になる。年下のくせに、と、思う。
なお、神聖な気配の持ち主は、侑眞では無い。
昼威は、御遼侑眞も嫌いだが、それ以上に、訪れた後輩の両隣にいる妖狐と神様が嫌いだった。それは寺の家系であるから、神道が苦手という意味合いではない。
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