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「――散歩の帰りだ」
藍円寺さんは僕に聞こえないようにと声を小さくしながら、ローラに嘘をついた。
「風流だな。初冬の夜中に、散歩か。月でも見ていたのか?」
「まぁそんな所だ」
「バイトには一人で行かず、俺を連れて行くと約束したと思うんだけどな、まさかバイトじゃないよな?」
「……」
藍円寺さんは顔には出ない。いつも肉食獣のような、俺様風の外見だ。しかしながら、言葉に詰まっているし、慣れてくると、動揺している時、視線が泳ぐのが分かる。
ローラが藍円寺さんを心配しているのは、いくつかの理由からだが、一番の理由は、『刻印』をしたからだ。自分の餌であるという印をつけたのである。具体的には、血を吸うのではなく、ローラの血を一部藍円寺さんに流して混ぜたのだ。
結果的に、藍円寺さんは、人間で言うところの霊能力が、中の下から上の中くらいまで強くなってしまった。なので、いきなり見えなかったものが見えだしたので、時折危ない事故にあう。例えば、繰り返し轢かれている女の子の幽霊を、最近初めて目撃し、先日は助けに入って――幽霊なので庇う事ができず、藍円寺さんがトラックにはねられた。
奇跡的にかすり傷だったが、三日も目を覚まさなかったものだから、ローラは責任を感じたらしい。救命救急でバイトをしていた昼威先生が、もしそこにいなかったら、あるいは危なかったかもしれない。一応僕は、強制覚醒用の妖怪薬を用意していた。
僕にとっても、藍円寺さんは大切なお客様だ。
僕にとっては、お客様だけど、ローラにとっては、多分特別だ。
二人で仕事をするというのは、そういう事じゃないかなと思う。
僕とローラや、火朽さんとの関係と、人間である藍円寺さんとの関係は、また少し異なる。直ぐに死んでしまう人間という生き物を大切にしているローラを見ているのは、語り部である僕としては、非常に楽しい。なにせ、ローラは僕にとっての主人公なのだから。
「藍円寺、約束したよな?」
「……で、でもな、俺としては、いきなりハードな仕事をして、もしローラに何かあったらと考えると……砂鳥くんだって悲しむだろうしな……」
藍円寺さんは、僕の見た目から、僕が十代後半だと信じているらしい。
外見年齢はそうだけど、実際の僕は、ちょんまげこそ見ていないが、数百年は生きている。江戸の頃には、多分もういた――が、最初は人の形をしていなかったし、人の視覚がなかったから、ちょんまげを見ていないのだろう。
だから、 鳥山石燕という偉い人が描いた今昔画図続百鬼にも出てくる妖怪……覚と呼ばれる存在は、僕ではないだろう。僕が今の形になったのは、百数十年前だ。最初は人間の子供の姿になった。そしてちょっとだけ嫌な思いをしていたら、ローラと出会って、名前をもらったのである。
……キラキラネームが流行る前から、ローラの命名はキラキラしていたのである。
「藍円寺に何かあったら、俺が悲しむ。砂鳥も悲しむ。お前の家族も悲しむ。それは良いっていうのか?」
「……」
「一蓮托生だ。万が一の場合は、二人で危険な目に遭おう。ただな、安心しろ、俺にとっての危険は、特にない。俺はこれまでの妖としての人生の中で、危険だと思った記憶は、ほぼない。俺が、必ずお前を守ってやる。信じろ。心配するな。不要だよ」
ローラの言葉は、真実だ。裏打ちされた自信から来ている。
僕がローラと共に暮らす理由は、ローラだけが心を読めないからではない。
ローラはそもそも、心をわざと僕に読ませがちだ。
そこも主人公として面白いのだが。
話を戻すと、人間に迫害されたちょっと嫌な記憶がある僕は、ローラの庇護下にあるのである。ローラは、人間にも妖にも負けない。
「俺がいれば安全だ。藍円寺一人じゃ無駄に危険だ。無駄な危険だ。無駄すぎる危険だ」
ローラが繰り返すと、藍円寺さんが俯いたまま、小さく頷いた。
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