……本編……

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 さて――この日も、芹架くんが学校の時間に、水咲さんがやってきた。 「いらっしゃいませ」  僕は笑顔で、彼の定位置となっている、右側から二番目の一人がけのソファ席へと促した。そしてメニューを開く。いつも水咲さんは、飲み物は冷たい緑茶だけど、ケーキや甘味を頼む時は、特定の品とは限らない。 「……」  この日、席に座った水咲さんは、メニューに視線を落とすと、そのまま沈黙した。品を迷っているという顔ではなく、どこか塞ぎ込んで見える。心を読まなくても、表情からそれが分かったが、視覚的にも僕には落ち込んでいる色彩が見えた。強い力を持つ妖しは、大体気分の”色”が、体の周囲を漂う色に入り込む。 「どうかしたんですか?」  立ち入った事かもしれなかったが、最近では常連さんの一人と言えるので、僕は少しだけ心配になって、思わず尋ねた。すると水咲さんが、意を決したように顔を上げた。 「今週末、テーマパークに行くだろう?」 「あ、そうですね。よろしくお願いします」 「……御遼芹架には、俺の姿が見えない。その俺が、保護者としてついて行く事になる」  水咲さんはそう言うと、深々とため息をついた。いつもどちらかといえば表情を変えないので、珍しい。どこか飄々としているからだ。  ただ、それを聞いて、僕は何気なく呟いた。 「――芹架くんは、斗望くんと同じくらいには、人間として強い力があるのに、どうして視えないんですか? 僕、てっきり意図的に水咲さんが姿を隠しているんだと思ってました」  僕の言葉に、水咲さんは腕を組んで、ポツリと続けた。 「御遼芹架は、虐待を受けていた。その結果――非常に自罰的な性格形成がなされ、常識とかけ離れたようなもの、例えば怪異が見える事も、自分が苛まれる要因だと考え、心理的に……霊的な視野、視覚を閉ざしている。人間で言うところの、心因性の失明のようなものだ。妖だけが、御遼芹架には視えない」  それを聞き、僕は納得した。お化けが見えるのはおかしいという信念の持ち主は、度々霊がみえなくなる。霊能学を研究しているローラから話を聞いた覚えがある。そう珍しい事ではない。 「水仙香を調合しましょうか?」 「水仙香?」  僕の声に、水咲さんが首を傾げた。 「妖怪薬の一種です。その香りを用いると、ブラックベリーの霊能学で言う、心因性妖不可視現象が、緩和されます。なんていうのか、人間として認識されてしまうんですが……見えるようになります」  水咲さんが息を飲んだ。 「どの程度で、それは作成可能だ? どの程度、どのくらいの期間、効果は持続する? 言葉を交わす事も可能になるのか?」 「今在庫があるので、調合というよりは、瓶をとってくるだけです。香水状なので、吹きかけると、その香りが消えるまで――一日程度は見えます。香りを妖力で振り払えば、効果は消えます。効果がある間は、人間として認識されるので、会話が可能ですよ」  僕がそう言って微笑すると、小さく水咲さんが頷いた。
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