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「どうぞ、こちらへ」
僕もまた笑顔を浮かべて、二人を促した。最初のお客様が知り合いで、少し肩から力が抜ける。店内にはいくつかのテーブル席があるので、僕は一番奥の、角の前に横長のソファがあるテーブル席へと案内した。ソファ席は、対面するタイプと、横長に二人でかける用がある。
「今日は、一限だけだったんです。なので、紬くんと二人で開店祝いに来たんですよ」
「砂鳥くん、頑張ってね」
柔らかな火朽さんの声と、穏やかな紬くんの声援に、僕は大きく頷いた。
それから二人の前でメニューを開く。
「二人は、何を飲みます? いつもと同じで――ちょっとグレードアップしたから、珈琲にしますか? それとも、本日のオススメもあるし、ケーキや洋菓子も色々あるから、良かったら」
僕はそう言いつつ……人に何かを勧めるというのは、意外と緊張するなと気がついた。心を読める僕だから、現在紬くんが「珈琲とケーキかな」と考えているのは、分かる。だからそれとなく、ケーキの頁を開いたのだが、わざとらしすぎないように気を遣うのが中々難しい。
「あ、このケーキ」
「オペラにする?」
紬くんの声に、僕は聞いた。見た目は僕よりずっと紬くんの方が年上なのだが、雑談する機会が増えた今、僕は気軽な口調でついつい話してしまう。接客業としては、失格だろうか。
「うん、僕、このケーキが好きなんだ。駅前のケーキ屋さんのと同じ? 見た目と名前は一緒だけど……」
「そうなんです。ローラが、毎朝届けてもらう契約をしてくれたから」
僕が言うと、紬くんが微笑した。
「火朽くん、これ美味しいんだよ。南方(ミナカタ)がバイトしてるケーキ屋さんのチョコレートケーキ」
「ああ、まほろさんの」
紬くんの声に、火朽さんが頷いている。南方まほろさんというのは、二人のゼミの同級生の女の子らしい。ゼミには、他に女の子がさらに一人、男子学生が三人いると紬くんの思考から伝わってきた。なお指導教授は、ローラの友人の吸血鬼で、夏瑪夜明(ナツメヨアケ)先生というそうだ。
「砂鳥くん、では、このオペラというチョコレートケーキを二つ、珈琲とセットで。ホットでお願いします。砂糖とミルクは不要です」
火朽さんの声に、僕は伝票にペンでメモをしてから頷いた。
「承りました。少々お待ち下さい」
初めて、きちんと注文を取った僕は、カウンターの隣の扉を腰で押して、厨房へと戻りながら、明るい気持ちになった。人間のお店にはあまり行かないが、自分が人間になったような、人間を演じているような楽しみがある。
冷やしておいた白い皿に、シマシマ模様のチョコレートケーキを載せる。チョコレートケーキにも色々な種類があるなんて、僕は知らなかった。オペラというのはフランスのチョコレートケーキらしい。ケーキの隣にチョコレートソースとハーブで飾りをつけてから、鍋で珈琲を温める。
銀色の丸いお盆にのせて、僕はそれらを火朽さん達のもとへと運んだ。
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