……本編……

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……本編……

 人間のする引越しというものを、僕達が妖(アヤカシ)ながらに行ったのは、梅雨が訪れる少しだけ前の事だった。現在は冬だから、もう半年以上が経過している。  僕達――というのは、”覚”という妖怪である僕と、”狐火”という現象である火朽桔音カクチキツネさん、そしてみんなにローラと呼ばれている絢樫露嬉(アヤカシロウラ)の三人だ。妖なのに『三人』という表現が正確なのかは不明だけれど、一応僕達は現在、人間の姿を象っている。  僕の名前は、絢樫砂鳥(アヤカシサトリ)だ。命名者はローラだ。火朽さんの名前を決めたのもローラだ。ローラは、キラキラした名前をつけるのが好きらしい。ただ、安直なものが多い。覚(サトリ)という妖怪だから、僕は砂鳥となった。そのままである。  しかしローラは決めたら、譲らない。時に意見を変える事はあるが、自分が絶対だ。  今回の新南津市への引越しを決めたのも、ローラだった。ローラは吸血鬼である。 「今はやっぱりさ、ほら、妖怪といえど、働いて食べる時代だろ? 葉っぱを小判に変える時代は終わったんだ」  ある日ローラが、僕に告げたこの言葉が、既に懐かしい。  そのまますぐに、僕達三人は引越しをし、火朽さんは大学に編入した。  僕は――働く側の人手にされた。  一体何をして僕達が働いたかといえば――看板を見れば分かる。  ――『Cafe絢樫&マッサージ』である。  僕には、マッサージのスキルは無かった。さらに言えば、お茶を淹れるセンスも欠如していた。だが、Cafe側には、お客様が滅多に来なかったし、マッサージ側ではローラがが人間の肩にのってコリをもたらす微弱な妖魔をパンパンと祓う事で大繁盛し、次第にうまく回り始めた。  だが、ローラが言う、『働いて食べる』というのは、人間のお金を得るという意味合いではなく、食料の現物……つまり、血液を吸う事であり、ローラはお客様として来店した藍円寺の住職さんを餌と決めたようで、次第に働かなくなってしまった。  現在のローラは藍円寺さんにだけマッサージをし(働き)、藍円寺さんからのみ報酬を現物で得ている(吸血)。なので閑古鳥が鳴いていたお店で、僕は最初、ぼんやりと過ごしていた。すると、ある日火朽さんに言われた。 「――何か趣味を作ってはいかがですか?」  僕が、退屈そうにしていたからだろう。本当は、「友達を作ってみてはどうか?」と先に提案されたのだけれど、僕は苦笑してそちらには首を振った記憶がある。  その後――僕は、しばらくの間、考えていた。  僕が興味を抱いている事は、なんだろう?  そんなある日、火朽さんから椿香の話を聞いたり、ローラが薔薇香を使うのを見た。  花の名前に香とついた――各種の妖怪薬の存在を偶発的に思い出した瞬間だった。  妖怪薬というのは、本来は妖のみが使う薬である。  だが、人間にも使用可能だ。  香りのみ――形が無い場合が圧倒的に多いが、口がある妖用には、飲み薬が存在する。これは、人間が好むフレイバーティに非常によく似ている代物だ。人間も摂取可能である。人間の方が何かと科学や研究が進んでいるのだが、時には妖怪の持つ知識や文化が先を行く場合もあって、例えば妖怪薬の効能は、その内の一つと言えるだろう。  こうして僕は妖怪薬の勉強を始め、それに伴い、お茶の淹れ方を学んだ。最初は必要に迫られてだったのだけれど、今は人間の品も含めてお茶を淹れる事自体が好きになった。
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