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二
僕の役職は弁当員。
仕事内容は弁当を作ること。より噛み砕きながらも具代的に述べれば、頼まれた料理を調理し弁当にする作業。そして完成したお弁当はこちらから配達。
配達するのはいつも妻。
僕は結婚をしている。
しかし多少なりとも特殊と言わざるを得ないのは妻のこと。
妻の名前は斉藤ゆきえ。
彼女は常に狐のお面をつけている。
何故?と言われても分からない。
何せ出会った時から今に至るまで、ずっとそうなのだから仕方ない。
彼女と出会ったのは出会い系の掲示板を通してのこと。
はじめに食の好みで話が合い「豚肉のステーキにビターなチョコレートソースの組み合わせは美味しいよね」とする感性に、好物がエンサイマダという事で合致した。数回のメッセージをやり取りした後、実際に会うことになるまではごく僅か。
初対面時から彼女はお面を顔につけていて、気にしなかったといえば嘘になる。
しかしあまりに堂々としてそれをつけているので注意するのも野暮に思えて口には出さず、何よりそれを気にする以上に彼女とは馬が合った。
食の好み以外にも、好きな映画作品、培った価値観や従事する倫理観、はては望む家庭の姿まで。お付き合いの期間は短く、出会って僅か一年ほどで結婚。
新居は構えず妻は僕の住処に来た。何を隠そう僕は弁当屋に住み込みで働いており、妻がそこに来る流れとなったわけだ。僕が住み込みで働くようになった経由に関しても多少特殊でありそれは先代、といっても僕の親類でもなければ別段、特別に親しい関係でもなく僕はこの弁当屋の常連の一人だったに過ぎない。
その店主、当時の親父さんによれば「ちょっと野暮用がある」との事で来店した僕に声をかけ「二、三日店番としてここで働いてくれないか」と急に頼まれた。
僕としては当時、定職もなくぶらぶらしていたので断る理由もなかった。自炊こそしていたが人に料理を出した経験はなく、だからこそ一度断った。
親父さんは「マニュアルどおりに作れば問題ない」と言い僕を丸め込もうとして見事に僕は転がされ団子虫みたいに気持ちは丸まり、首を縦に振ったというわけだ。
その日から今日に至るまで店主は帰ってこない。
僕はその時からずっと、この弁当屋で弁当員として働いている。
一軒家となっているこのお店は、裏のバックヤードはひとりふたりが暮らすには十分な広さと空間があり、風呂とトイレも完備してあるので一応の生活をする上では何の不便もない。こうした理由から僕は此処に住み込みで働いており、彼女と出会い結婚する事となって妻もここに行き着いた。こういう顛末である。
そして妻が来たことにより事業を少しだけ拡大することにした。
それが車での配達。
僕は免許を持たず、妻は免許と車を持っている。話を持ちかけたのも妻からだった。そうして妻が来てからは配達をしてもらうようになると、僕はより引き篭る様に。
もともと外に出ることがあまり好きではなく億劫だったのだ。
必要な日常品の買出しは妻が担当し、弁当つくりは僕が主に担当。
家庭での食事は妻の手作りである。といっても妻は食事に同席こそすれど、お面は外さない。つまりは一切何も口にはせず、僕の向かい側に座って会話を行うのみ。
ではいつ食事をしているのか?と一度聞いたことがある。
すると「料理中につまんで食べているので大丈夫」と言う。
僕は結婚して尚、一度も妻の顔を見たことがない。
正に仮面夫婦とはこのことだろうか。
妻は身長が百七十センチほどあり、すらりと細長い足をしていて全身としては細身で痩せ気味。それでいて胸元はそれなりに出っ張っている。見事な体をしているなと知ったのは、もちろん実際に対面してから。口数は多過ぎず、仮面をつけているので表情は窺い知れない。
そんな妻の気持ちをまったく見た目から分からないと言えばまたも嘘になる。
今にして思えばそのためか髪形を変えることが頻繁に多く、普段は黒髪を靡かせるようなストレートヘア。長さは鎖骨を少し超えたほどまで。それが日によっては厨房のみならず後ろでお団子を作っていたり、あるいは耳の両側でネジみたいに捩れていたり、ふわっとしていたりする。かと思えば、ポニーテール、三つ編みなんていう日もあったのでその日の僕は少し驚いた。
次第にそれが彼女なりの表情なのだと気付いたのは少し前。
なんとなく理解していたのかもしれないが、それを理性に転化するほどにまでは至っていなかった。
細やかな表情らしさは分からず何を物語りたいのかまでは読み取るに至らないとしても、妻は表情を見せない代わりに髪型で自分の気持ちを呈しているのだと思う。
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