花か鬼か

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花か鬼か

あれは鬼じゃろうか。 それとも、花じゃろうか。 金色の髪をした少年の頬に赤い花が咲いている。 それに触れたくて、少女は白い手を伸ばした……。 「姫はこれから死ぬまでここにいて、俺と一緒に暮らすんだ」 目覚めたとき朝日を背中に背負いながら大柄な男は言い放ち、百合姫はきょとんとしながら見覚えのある男を見上げた。 夜半に侍女達の鋭い悲鳴を夢うつつに聞いて、なんだか担がれて運ばれている気がすると思ったのは、どうやら夢ではなかったらしい。 疲れはてて寝ていた百合姫は、何か懐かしいにおいのする温かい地面が動いたくらいにしか思わなかったのだが。 着物の裾にも袖にも襟にも全く乱れがないのを目で確認して……改めて男を見上げる。 「一朗太。なんの真似じゃ。説明せよ」 百合姫は一つ年下の、図体ばかりが大きくなった幼馴染を見上げて、睨んだ。 深い山間に、百合姫の父が治める領地はある。 領地と言うが荘園を守護した豪族、が主の公家を追い払って山間にわずかに根を張っただけの小国だ。 東西を名だたる武将に囲まれて国はこの数年、常に危うい。 一郎太は十数年前に領内に迷い込んだ子で、父の部下が養育している若者だった。 異人の子で、髪の色は金。 目の色は青。 さらには頬には血のような色の花の形の痣がある、屈強な体つきの異相の青年だった。 「鬼子」 幼い頃。 一朗太がそう呼ばれて同じ年頃の子供たちにひどく虐められているのを百合姫は知っていた。 別に庇う気はなかったが、異人のきらきらとした髪がめずらしくて美しくて、命じて伸ばさせた。 腰まで美しく伸びたのを喜んで、褒美に菓子をくれてやった。 切り落として髢(かもじ)にでもしようとおもったが鏡を前に顔に合わせて全く百合姫には似合わない色だったのでやめた。 それに、と思う。 (お前の頬の朱は百合の花のような形じゃな。見事なものじゃ) 一朗太の頬にふれて、ため息をつき、愛でる。 白い肌に青い瞳だからこそ、この金色の髪は映えるのだ。 赤い百合の花と共に一緒に愛でるのが、いいだろう。 大切にせよと傲慢に言うと、少年の白い顔が真っ赤に染まる。 一朗太はあっさりと百合姫に惚れたらしかった。 無理もないな、と百合姫は思った。 私は国一番の美人だから。 この鬼子が惚れるのもまったく、無理からぬことだな、とただ事実として思う。 それから百合姫は事あるごとに鬼子を連れまわして、意気地なしと虐めて、泣かせて。 二人の関係は友とも主人ともいえぬ曖昧なまま……ゆるやかに時が過ぎた。 かくて。 すくすくと縦に伸びた一朗太は鬼のようだと陰口を叩かれながらもその怪力と異相で一目をおかれ、父の護衛の一人になっていた。 それが、大恩を裏切って百合姫を攫うとは……。 百合姫はなおも彼を睨んで問いただした。 「なぜここにおるのか私に説明せよと言うておる。このでくのぼう、耳が聞こえぬか?」 「聞こえている」 「ならば話せ」 どうやらここは、領内の東にある山頂近くの廃寺のようだった。 小さなお堂は古びてはいるがつい最近修繕されたのか、床板は新しい。 百合姫は板の上に正座して一朗太をうながした。 「……俺が姫をさらった」 「らしいの」 「あんたはここで暮らすんだ」 「なにゆえ」 「……屋敷に返したくない」 「理由を申せ」 一朗太は寡黙な男だ。 困ったように首を傾げると……ずい、と何かを差し出した。 白い米の握り飯が笹にくるまれて大きな手にこぢんまりと収まっている。食えという事らしい。 腹が減っていたので百合姫は迷いなくそれを受け取る。 いつもの味がしたので屋敷から持ち出したのだろう。 「理由を言わぬのか」 「気が向けば話す」 百合姫は考え込んだ。 「……握り飯だけでは、味気のうて……つまらぬ」 「今はそれしかなかった。ほかに何が必要だ?」 百合姫は行儀悪く足を投げ出して、自分の素足を眺めた。 柔らかな、やわやわとした足だ。 「今から屋敷にとってかえして、草履をもって来やれ」 「草履?なぜ」 「屋敷に帰るのに、裸足では帰れぬであろ?」 一朗太が馬鹿を憐れむような眼で百合姫を見下ろしたので、百合姫は手近にあった碁石をつまんで投げた。  勘のいい男はひょいと首だけを動かして百合姫の癇癪を避ける。 「お前と一緒に廃寺で暮らすなぞごめんじゃ。鬼子。我は逃げるぞ――、だから草履をもて」 「……裸足で逃げようとは思わないのか、姫は」 「馬鹿を申せ、裸足など!足が痛うて歩けるわけがないであろう。私は痛いのは嫌いじゃ」 「痛さに負けて逃げ出すくらいの弱虫なら、そのままここにいろ。いいな」 一朗太は百合姫を堂の中に押し込めると外から鍵をかけた。 馬鹿一朗太め!とせいいっぱいの罵詈雑言をあびせてみたが、その夜一朗太は現れなかった。 領地の者が叫び声を聞いて扉を開けるのではないかと思ったがそれもなかった。 ……やがて、叫ぶのにも飽きたので百合姫は生あくびをする。 一朗太が用意した油で火をともして、身支度をして寝床に入る。 思いのほか心地の良い寝具にくるまって、百合姫は夢も見ずに寝た。 あくる日も。 その次の日も。 一朗太は食糧やら着替えやらをもって堂にやってきた。 かいがいしく侍女顔負けに百合姫の世話をやく。 二日目は握り飯に梅干しがつき、二日目は干し柿がついた。 化粧箱をもってこいといえば、やけに煤けた香りのするものをどこからか箱ごと盗んでやってきた。 人さらいのくせに。従順であるのが……おかしい。 「困りごとはないか、姫」 「退屈じゃ。踊れ」 「…………そんな事はしない」 「百合はかわいそうじゃな、そのうち退屈で死ぬ」 十日が過ぎようとする頃。 今日は米がないからと一朗太が魚を焼いて持ってきてた。 貰ったと言って綺麗な袋にはいった金平糖まで百合に渡す。 甘いものは嫌いじゃ、と百合姫が癇癪を起して川に水浴びに連れて行けと言うと、困り切った顔で盥に水を入れて持ってきた。 布を水に浸して、一朗太が絞って百合姫に渡す。 ふんと鼻で笑って着物をてらいもなく脱ぎ捨てて肌を晒そうとすると、一朗太は慌てて目を逸らした。 でかい図体をしているが、この青年は百合姫より年下で……あまりにも純朴だ。 内心で舌を出しながら体をあますところなく清める。 薄物だけを羽織ると、百合姫はひざまづいた一郎太に命じた。 「こちらを向け」 傲慢に命じれば、恐々と一朗太は顔をあげた。 「一朗太」 「なんだ、姫」 「髪がべたついてきもち悪い。おまえ、綺麗におし」 盥に張られた水を指差す。 一朗太はおおいにとまどったが、……しかし、一朗太は頷くと百合姫の頭を膝にのせて、黒髪を水に浸してゆっくりと盥の中を揺蕩(たゆた)わせた。 「……のう」 「なんだ、姫」 ちゃぽん、と水のはねる音がする。 一朗太は指までしっかりと太い癖に、髪を扱うしぐさはずいぶんと丁寧だった。 百合姫の気に入りの侍女にだって負けないくらいに上手に髪を綺麗にしていく。 「昔から不思議であった。私の髪は、なぜ……金色ではないのかの」 「……鬼子じゃないからじゃないのか」 「目の色も黒い。つまらぬ」 「……俺は、いいと思うけれど」 「私は、私がつまらぬと思う。黒い髪で黒い目で女子で草履がなければ逃げることも出来ぬ。お前のように鬼子で、頑健な体があればよかったのにな」 「……裸足で走ればいいじゃないか。……なれれば裸足だってそう痛くはない」 「言うたであろう?痛いのは嫌じゃ。……そういう粗野な生き方は私には出来ぬ。なにせ箱入りなのでな」 「姫は、意気地がないだけだ」 「黙りゃ」 ちゃぽん、とまた水がはねた。 「……お前のように金色の髪をして、青い目をした異人が都や尾張にはたくさんいるというぞ」 「へえ」 「父上がそう言っておられた。尾張のウツケ殿は、おまえのような異人が好きなのだと。おまえは行かぬのか。鬼などとは呼ばれずに、武士にしてもらえるというぞ」 「……これで、綺麗に汚れはおちた」 一朗太は百合姫の問いには答えずに、ゆっくりと百合の髪から水気を切り、慈しんで櫛で梳かしーー 布で丁寧に丁寧に乾かしていく。 従順な人さらいに命じて、着物を着付けさせると、化粧箱をあけさせて白粉をはたき紅をさす。 母がくれた櫛を黒髪に刺して百合姫はすっくと立ちあがった。 鏡を持てと命じて、堂の扉を開けさせ、陽の光を浴びる。 鏡にうつした顔をまじまじと覗きこめば、艶のある黒髪が目に入る。 百合姫は三国一とうたわれた。 ……美しい。 ……美しいだけの女がそこにいた。 「一朗太。なかなかに今日の私は良い出来じゃな。おぬしは武士でなくて侍女になれるぞ?私が誰かに推薦してやってもよい」 「姫……」 「のう、一朗太。私は美しいかの?」 「誰よりも」 「そうか。お前の手柄じゃな」 微笑んで、堂をでて、足を踏み出す。 土の上にむき出しになった石が、裸足の足裏にささって鋭い痛みが走り、それだけで百合はくじけそうになって笑った。 しかしとまらずに、小高い見晴らしのいい丘までたどり着くと、そこから領地を見下ろす。 本当は、ここがどこの堂なのかなんてわかっていた。 幼いころ、一朗太と何度も忍んでここにきた。 小さいながらも美しい領地を見下ろせる、ここは二人だけの秘密の家だった。 二人だけの。 そして今、眼下には……。 緑が全て失われた赤茶けた土地だけがある。 遠くに細く煙が立ち、まだどこかが燃えているのか、荼毘の証なのか。 かすかな風にまざる腐臭が、戦に敗れた惨めな現実をつきつけていた。 「……助けは来なかったのか。叔父上の援軍は、来なかったのか……そうなのじゃな」 一朗太は、百合姫の前にひざまづいて、項垂れた。 十日前。領内は嘆きに満ちていた。 東の大名に加勢して先陣を切っていた父と兄がともに討たれたとの報せが入ったからだ。 古くから恩顧ある西の大名を裏切って東についた百合姫の一族を彼はひどく恨んで、狭い領内全てを焼き討ちにすると息巻いているのだという。 領民は逃げ去り、侍女たちは怯え。 百合姫は母からすすめられるまま、眠り薬を呑んだ。 (可愛い百合や。何も心配なくお眠り、お前がねむっているうちに、母がすべておわらせてあげますからね) きっと、誰かが眠った百合の胸を突いて屋敷に火をかけ。それで全部終わるのだろうと思っていた。 そうなるはずだったのに。 一朗太が、邪魔をしたのだ。 百合姫を攫って逃げて匿って。おかげで百合姫は、ひとりで生き恥を晒している。 「……叔父上様は、西に寝返りました」 「そうかえ……母上は?」 「火の中で、喉を突かれました」 「そうか。ご立派であらせられた。……おまえ、なぜ、私を連れ出したの。こんな山奥で、私と夫婦にでもなろうと思ったのか、分もわきまえずに?」 一朗太は叱られた仔犬のように項垂れた。 「姫。俺は……姫が望むならここでずっとお世話します。都で俺が珍しがられるのならば一緒に行って、そこで姫をお守りしてもいい……と、思いました。でも、姫が紙切れみたいに焼け落ちて、いなくなるのは嫌だ……それくらいなら……」 百合姫は胸元に手を入れて一朗太が持ってきた金平糖の袋を取り出すと、ひとつ。つまみあげた。 甘い、毒のように甘い罪の味がする。 ……ひっくりかえして、土に落とす。 「おまえ、私を西に売ったのですね」 金平糖の……袋には桔梗紋。 西の大名の家紋だった。 一朗太は唇を噛みしめた。 「……西の殿様は。姫様を好いておられる。美しい、天女のような姫だと」 「ヒキガエルのような男じゃ。子供のころに見たことがある」 「姫を、大事にしてくれると言うて……丁重におつれせよと俺に命じた」 「父よりも年上の老いた男にか」 「……だが、姫を守ってくれるだろう?」 「……一朗太。もう一度、聞く。お前は、私に身を売れと言うのだな?」 「……俺では姫を守れない」 百合姫はおかしくなって身を捩って、笑った。 「なるほどお前は人ではない。鬼じゃな。この私に敵の情を受けよというのだな」 長い逡巡の上に一朗太は……鬼子は泣きそうな顔で、頷いた。 「そうだ。――俺は姫が生きてくれていれば、なんだっていい」 「私の心が死んでもか」 「そうだ」 「お前は私の器さえ生きていればいいと……そう、言うのだな?」 「ああ、そうだ。俺は姫の……、生きている姿が見ていたいだけだ」 くつくつと百合姫は笑い、踵を返して歩き出す。 足裏に尖った金平糖が刺さる。 痛かった。 けれど血が流れるほどではないのが口惜しかった。 「姫、草履を」 「要らぬ。お前の助けは、もう要らぬ。泣きながら裸足で歩いて、せいぜいヒキガエルの同情をかってやる。--案内せよ」 西の大名は一朗太に負ぶわれた百合姫をみると喜色満面に喜んだ。 足裏の手当てをして湯につからせる。 そして、その晩にはもう寝所に侍らせた。 ……控えの間にいる男の髪が月の光を弾いて銀がこぼれるのが見えて、 百合は、心底愉快だった。 闇の中で大名はぶつぶつの顔をゆるませ、美辞麗句を言い、一族がついえたことへ心無い悔やみを言い、子供が生まれたら、と涎を垂らしながら戯言をのたまう。 「お前の子が生まれたら領地を返してやろう。わしの誠意じゃ」 百合は嬉しゅうございますとしおらしくいった。 ぶつぶつとした頬に手を添える。 押し倒されたのでくすぐったさに笑う。控えの間の男が息を止めたのがわかった。 「馬鹿な鬼。意気地なしはおまえではないの。子供のころから変わらない」 冷たく言うとヒキガエルが胡乱な目を向けた。 なんでもございません、殿、と。百合は笑って櫛を外す。 白い布の上に髪が蜘蛛の糸のように散った。 櫛の柄を外せば、黒い丸薬が零れ落ちる。 なにかあれば飲みなさいと、母がいつか持たせたものだ。 百合姫は丸薬をそっと口に含むと、ヒキガエルに向けて微笑んだ。 「ひ、ひめ。私に微笑みかけてくれるのか」 「ええ。殿。私、ずっとこうしたかったのですもの」 百合姫は心から笑った。 新妻の思わぬ笑みに喜んだ西の大名は喜び勇んで百合姫に覆いかぶさり……十秒と待たずに悲鳴をあげて彼女を突き放した。 「な、何事!」 「殿っ!」 慌て家臣が閨に抜刀して割り込み、二人ともあっと声を失った。 美しい女が、微笑みながら口から血を流している。息がもはや浅い……。 なんの毒か。どう見てももはや長くないのは明白だった。 「姫!」 金の髪の男が悲鳴をあげて部屋に転がり込んだ。 「姫!姫!なんという愚かな事をなさるのです!!」 泣きながら己をかき抱く鬼の手の中で、百合姫は息を次第に細くしながら微笑んだ。 「……ゆるさぬ、鬼め。おまえを許さない」 「ひめ」 「死ぬことは許さぬ、あとを追うのもゆるさぬ、ずっと、ぶざまに生きるしか許さぬ……」 青い瞳を覗きこんで、幸せそうに笑う。 「百合……!」 叫んだ一朗太に、百合姫は満足に笑った。 「ようやく、名前をよびましたね……その名をどうか、死ぬまでわすれないで」 自らの吐いた血にぬれた指を伸ばす。 あれは鬼じゃろうか。 それとも、花じゃろうか。 金色の髪をした少年の頬に赤い花が咲いている。 それに触れたくて、少女は白い手を伸ばした……。
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