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それから放課後学習を言い渡された一週間の間、毎日中庭を見ていた。毎日彼も同じ時間帯に現れていた。
急いでいるだろう時は、走って中庭に現れて腕時計を気にしながら水をやる。そして、終わったら走って帰って行く。時間がある時は、花壇の前にしゃがみ込んで草むしりをしている。
名前も顔も知らないし、何年生なのかもわからない。彼のことは知らないが、彼の優しさが遠く離れた場所からも感じ取れた。
放課後学習の最期の日は、ミニテストだった。
早川はいつもの窓側の席でテストを受ける。一週間しっかりと補習を受けたので今度は全ての解答欄に答えを記入した。あとは時間になるのを待つだけ。
窓の外を見下ろす。今日は彼の姿が見えない。あれ、と思い窓を開けて下を見ようとした。
すると、びゅう、と急に強風が教室の中をかき混ぜた。教卓の上に無造作に置かれたプリントや、壁の掲示物がバタバタと音を鳴らし、教室の中を散らかした。
「あ、やべっ」
周りに気を取られているうちに、早川のテスト用紙を風が攫っていく。窓の外に手を伸ばしたが届かず、ひらひらと中庭に落ちていった。
教室に疎らだが、くすくすと笑う声が広がる。偶然の出来事だが少し恥ずかしい。先生も笑いながら取ってきていいぞ、と言ってくれた。
階段を息が上がるほどダッシュで駆け下りた。廊下は走るな、階段は飛ばすなと入学してから何度も何度も注意されていたが、こればかりは直らない。
「危ないよー、早川!」
「ごめん、ごめーん!」
「今度は何やらかしたんだ?」
「いやー、テストが窓から逃げちゃってさ!」
「転ぶなよー?」
「子供じゃないんだから、大丈夫だって!」
途中、クラスメイトや文化部の友達にすれ違うが、挨拶もそこそこに中庭に向かって走った。
この早川少年は、学校のクラスに一人は必ず居るような、典型的ムードメーカーである。人懐っこく、誰からも好かれる明るい性格。今も急いでいるというのに、色々な所で声を掛けられる。人と話すことは好きだが、さすがに今は察してほしい。人気者は辛いのだ。
玄関で上履きを脱ぎ捨て、踵を潰してスニーカーに履き替える。パタパタと潰したスニーカーが音を立てる。
中庭に行くと、いつも四階から見ていた中庭の彼が、テスト用紙を拾ってじっくりと見ている。
よかった、テスト用紙無事だった、と安心してしまったせいか、潰したスニーカーが脱げて足がもつれ、勢いよく転んでしまった。
「わっ!」
ズシャ、とまるでヘッドスライディングをするように転んだ。ほんの少し砂煙が舞ったような気がした。地面がコンクリートではなく土と草だったことが不幸中の幸いだ。
しかし、高校生になってまで、何もない場所で、しかもこんなに思いっきり転んだところを他人にしっかり見られたのはかなり恥ずかしい。
テスト用紙を見ていたようだったが、この無様な姿を見られているに違いない。格好付けたい年頃の早川は、羞恥でしばらく顔を上げられなかった。
「……あの、大丈夫?」
うつ伏せに倒れたまま、あまりにも動かない自分を心配したのだろうか、上から声が降ってきた。ばっと勢いよく顔を上げると、ごちん、と鈍い音がした。
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