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翌日。
高杜さんはどこへ出かけたのやら、起きたら姿が見えなかった。
家族が好んだアップルパイを、供える為の分と自分達が食べる分の2ホール焼いて、片方を祭壇へ持っていく。すると祭壇には、昨日まではなかったスノードロップの花が、小さな瓶に入れられてそっと置かれていた。
――― 一体誰が・・・・・・?
そう思いながらも、簡単に祈りを捧げてキッチンへ戻る。
するとそこにも、小さな瓶に生けられたスノードロップが食卓の上に飾られて、いつ戻ってきたのやら高杜さんの姿があった。
「おいしそうな匂いね」
そう言う彼女の手には、白い刺身が盛られた皿がある。
「それは?」
「知り合いの漁師さんがくれたのよ。一品くらい、増えてもいいでしょ?」
「何の魚ですか?」
「フグ。ちなみに、この隅にある内臓は、少しならピリッとして美味しいらしいわ」
やっぱり有毒魚だ。しかもピリッとして美味しいそれは、毒のある内臓である。食べたら駄目な部分だ。まぁ不老不死のヴァンパイアだから、多分食べても大丈夫・・・・・・なんだろうが。
「このスノードロップは、高杜さんが?」
「ええ。ちょっとお出掛けしたら、道に咲いてたものだから。この時期は白百合もカーネーションもないもの。同じ白い花ならいいでしょう? それに、マドンナリリーの代わりに、貴方がいるわ」
2月27日の誕生花は、白百合だ。
花言葉は「純粋」「無垢」。
俺には似ても似つかない言葉だが・・・・・・。まぁ、そんなことはどうでもいい。一応供養のために祈ってくれるつもりがあるらしい、その心をありがたく受け取ろう。
スノードロップは2月2日の聖燭祭(マリアの清めの祝日)との関係が深く、修道院や教会の庭でよく育てられている球根植物だ。
耐寒性は強いが土壌を選び、直射日光に弱いため、木陰や木の下に生息。草丈は10~20cm。地面をよく見ていないと、見逃しそうなくらいひっそりと開花する花である。
ちなみに、この教会にはない。俺が管理を怠ったせいで、全て神の庭へ生息地のお引っ越しをしたからだ。
しかしこのスノードロップ、死を象徴する花でもある。
恋人の死を悼んだ乙女 ―― ケルマは、スノードロップを摘んで彼の傷の上に置いた。
彼は目覚めはしなかったものの、彼の肉体は雪のしずくに変わってしまったという異説がある。
この言い伝えのある地方では、初冬にスノードロップの花束を家に持ち込むと不幸が起こるとされ、またこの伝説から死に装束を連想させる花として忌み嫌われており、『あなたの死を望みます』ということを暗に意味していると捉えられかねない為に、人に贈る時には注意がいる花でもある。
俺は高杜さんに殺されたわけだから、彼女の意図は「死を希望」なのだろう。用意された魚も、ご丁寧に内臓まで添えられた有毒魚だし。
食事を終えると、片付けは私がやるわと言ってくれた高杜さんにその場を任せ、俺は礼拝堂で祭壇を見上げる。
ここ数日色んなことが起こり過ぎて、少し疲れてしまった。死んだと言うのにヴァンパイアとして生き返ったから、死んだ心地がしない。
信徒席に座って、机に突っ伏すようにして腕を枕に目を閉じる。
すると、扉が開く音がした。だがすぐにその扉は閉まって、静寂に包まれる。
暫くすると再び扉が開いて、カツンカツンとヒールの音が響いた。近づいてきたその音は傍で止まると、ふわりと温かい布が背にかけられる。
「不老不死だって、全く病気しないわけじゃないのよ」
高杜さんの声が、傍で聞こえた。
そっと目を薄く開けて見上げれば、彼女は憂いを含んだ顔をして、祭壇上の十字架を見上げている。
「禁断の果実を食べてエデンの園を追われたアダムとイヴ。地上で初めて迎えた冬の日、野原の草花が無くなり、一面の雪原を見て嘆いたイヴを憐れんだ天使が、「もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよ」と慰めるために、舞い落ちる雪をスノードロップに変えたというけれど、神様は追放した二人をどう思っていたのかしら? しかも慰めたのは、神様ではなく天使だなんて」
それはキリスト教の伝説だ。そしてその伝説からつけられたスノードロップの花言葉は、「慰め」「希望」「恋の最初のまなざし」。
――― 彼女が摘んできて手向けた意味は・・・・・・。
俺の胸に、温かいものが流れ込む。
スノードロップは、元々色を持っていたとも言われる。
しかし、自分に色がない雪が、その鮮やかな色を自分に分けてくれるよう花々に頼んだが、みな断られてしまうのだ。そしてその求めに唯一応じたのが、スノードロップであったという。
高杜さんはこのスノードロップのように、きっと心根は優しい人なのだろう。
毎日俺に有毒な生き物を食べさせ続け、「下僕」と呼んでいたとしても、きっとどこかにはほんの少しでも優しさを向けていてくれるに違いない。
それが分かっただけ、幸せな誕生日になったなと、温かな心に満たされた俺は、満足して再び目を閉じた。
そんな俺に気が付いたのか、高杜さんの視線がこちらに向いた気配がした。
「何故貴方を選んだのか、このあいだ私に聞いたわよね? 仕方ないから、誕生日プレゼントに教えてあげる。そんなの、決まってるじゃない?」
頭上からそんな声が降ってきて、カツンと一つヒールを鳴らすと、俺の耳元に唇を寄せる。
「――― 貴方を、愛してしまったからよ」
蜜を垂らすようにそんな甘い言葉を一言囁くと、彼女は寄せた唇を離して、ふっと笑う気配を漂わせた。
「寝ているのだから、聞こえてないでしょうけど・・・・・・残念ね」
一言言い残し、カツンカツンとヒールの遠ざかる音が礼拝堂に響いて、やがて扉の閉まる音が聞こえる。
俺は耳を疑った。
夢でも見ているのだろうか? いや、ヴァンパイアとして生き返ったこと自体がそもそも死後の夢で・・・・・・?
混乱する頭と、バクバクと鳴る心臓が、生きていることを主張する。
待て。だとするなら俺を下僕と呼ぶのは、彼女のあの性格からすると照れ隠しなのか?
それならあの毒ばかりの食事、もしかして薄めたら薬になるとかいう意図があってのことなんじゃ・・・・・・?
ここ数日で分かったが、彼女の識字能力はそんなに高くはない。
聖書の内容は知っているくせに、聖書自体は読めなかった。どうやら教会で朗読されたものを暗記しているから、内容は覚えているらしい。
そんな彼女が毎回、数ある生き物からピンポイントで毒のある生物をチョイス、食卓にのせるのだ。どこでその知識を得たのかちょっと気になるが、何かで薬効を聞いていて、俺の体を気遣って選んでくれているのかもしれない。
意外と優しいところもあるようだし・・・・・・?
いや待て、早合点かもしれないぞ、俺。
真実を突き止めるためには、思い込みや先入観を持つのは宜しくない。
しかし、早急に結論を求めて全てを暴いてしまっては、面白くないだろう。徐々に知って行った方が楽しみもある。
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